Miles Davis / 'Round About Midnight ( 米 Columbia CS 8649 )
新年の縁起物はマイルス・デイヴィスということで、今年もやる。
まだプレスティッジとの契約が切れていない中で録音したコロンビア第1弾のこのアルバムは天下の大名盤として不動の地位を保っているが、
実のところは各曲の演奏時間が短くて不完全燃焼感が残ることと、録音時期が古いせいで音場感がデッドで、コロンビアにしては珍しく
高音質とは言い難いレコードである。端正で優れたテーマ部のアレンジが物凄くカッコよく、音楽的には満点の出来だが、本人の自伝を読むと
同時期に併行して行われたプレスティッジへのマラソン・セッションの方へはたくさん言及していて、演奏内容にも非常に満足していた様子が
伺えるが、こちらの録音については録音した事実には触れているが内容については一切言及がない。マイルスはまだ自身が若くてやんちゃ盛り
だったプレスティッジ時代の日々に非常に愛着があったらしく、嬉しそうにそして慈しむようにその頃の出来事を話している。
それに引き換えこのアルバムの録音経緯については、ジョージ・アヴァキャンが大金を積んでマイルスを引き抜いたことへの後ろめたさから
移籍したことへの言い訳に終始していて、肝心のアルバム制作に関する自身の想いが語られていない。だからそれを補完するとすれば、
おそらくマイルスはこのアルバムでグループのエキサイティングなアドリブ至芸を披露したかったのではなく、ジャズという音楽がクラシック
などの他の音楽様式と比較しても何も遜色はないのだということを示したかったのではないだろうか。
このアルバムの最初の発売はコロンビアがモノラルとステレオを同時発売するようになる前のことだったので、ステレオプレスはかなり後に
なってからリリースされている。当然疑似ステレオで、ジャケットにも仰々しくその旨が書かれていたりして、このステレオプレスについては
誰も相手にしない。でも、モノラルプレスの音質に満足できない私は、ちょうど安レコとして転がっていたこの版としては3rd プレスくらいの
盤を拾って聴いてみた。
疑似ステによくある左右に楽器を極端に振り分けたような感じではなく、音場全体に残響を付加したようなサウンドで、これが悪くない。
楽器の音色はモノラルプレスとさほど変わらないが、空間に拡がりが感じられて、チェンバースのベースの音圧が上がり、よりクリアに聴こえる。
残響がこの音楽の仄暗い雰囲気を盛り上げるのに一役かっており、"'Round Midnight" や "Dear Old Stockholm" のようなハードボイルドな楽曲の
良さがより引き立つ感じだ。高音質になったかというとそこまでは行っていなけれど、このアルバムが持っていたカッコよさみたいなものが
半歩ほど前進した感じはある。疑似ステレオという言葉には「偽物」という語感が伴いイメージが悪いけれど、これは全然悪くはないと思った。
素晴らしいカヴァー・アートだが、これはコロンビア専属のデザイナーだった Sadamitsu Neil Fujita というハワイへ入植した日本人移民の
家に生まれた日系アメリカ人がデザインした。デイヴ・ブルーベックの "Time Out" も彼のデザインだ。
録音風景がこうして残されている。まるで音楽が聴こえてくるかのよう。ジャケットの写真は裏焼きだったのだ。
疑似ステレオを取り上げているので以前から疑問に思っていた事をお聞きします。モノラル録音を電気的にステレオにした疑似ステレオ盤をモノラルの針で聴けばモノ盤を聴いているのと同じ事なのですか?
モノ針で聴くとモノラルと同じか・・・ よくわかりません・・・・・
疑似ステレオは電気信号そのものに手を入れるようなので、音源自体はステレオ感があるままなのではないでしょうか。
ただ、それが溝にどう刻まれているのかなどはよくわかりません。再生感はそれに左右されるのでは、と想像します。
実際にかけてみればわかるのかもしれませんが、モノ針でステレオ盤をかけると溝がダメになるようなので、怖くてできません・・・・
モノ針でステレオ盤をかけるとダメになる話は聞いた事が有りますが針の種類によるそうです。それを知らなくてDL-103で普通にステレオ盤を聴いていましたが問題無いみたいです。
でも目的外利用なので、あえてそこまでしなくても、と思います。
ネットにそういう実験結果が載っていないか、探してみます。