音楽を聴く際、聴き比べをすることがよくあるが、人はなぜそんな手間のかかることをするのだろう?
聴き比べをすることが基本姿勢となるのは、まずはクラシックだ。このジャンルは作曲家が書いたある1つの曲を
演奏家たちが寄ってたかって演奏することになるから、どれが自分にとっての最高の演奏か、ということが
最優先事項に自然となる。
自分でオリジナル曲を書いて、それを披露して、後世に残る名曲として認められたもののみが楽曲として生き残ったのが
現在認知されているクラシックの名曲群だ。この特殊性が、他のジャンルとは決定的に違う。
それ以外の無数の楽曲は誰からも演奏されず、忘れ去られて、存在することすら認められない。
階級社会の中で生まれ育った音楽の宿命で、厳しい世界だ。
クラシック音楽における聴き比べというのは、例えば、バッハの「ゴルトベルク変奏曲」(昔は「ゴールドベルグ」
と言っていたけど、近年はこういう表記で統一されている)を例に挙げると、こういう感じになる。
グールドの第1回目の録音。コロンビア盤よりメロディア盤の方が音が数段いい、という噂が一部で囁かれているが、
実際に聴き比べてみると、そんなのは大嘘だということがわかって失笑する。
彼はバッハだけの枠をも遥かに超えて、クラシック音楽全体の演奏史観を根底からひっくり返してしまった。
グールドの子供たちは、今や指揮者、ヴァイオリン、チェロの他、あらゆる領域に数多く存在する。
グールドの第2回目の、そして最後の録音。左はドイツ初版、右は数年前にリマスタされたEU盤。
オリジナルが一番音がいい、という鉄則がクラシックには当てはまらない。また、この録音はレコードより
CDの方が音がいい。テクノロジーの進化に比較的忠実なのがクラシックの特徴。おそらく、資金の投じ方が
他のジャンルとは違うのだろう。そのため、レコードよりCDの方がマーケット規模は大きい。
もちろん、グールドだけがいい演奏を残したわけではない。他にもいい演奏はいくらでもある。
少なく見積もってもこの3倍以上の演奏を聴いているけど、繰り返し聴くに値すると思うもののみを手元に
残している。まだ聴いていないものも当然あるので、これからもボチボチと聴いていく。
こんなのは全然少ない方で、交響曲なんかこの何倍もの種類がある。だから、クラシック愛好家は音盤を数千枚持っている
という人がざらにいるわけだ。微に入り細に入り聴き比べをして、自分のお気に入りの演奏がどれかを模索している。
そして、それらの演奏に点数をつけて、ランキング形式にするのが好きらしい。各人が思い思いに順位付けをしている。
でも、これがびっくりするくらい、自分の認識とは合わないのだ。好き嫌いというのはこうも人によって違うのか、
ということを思い知らされる。
一方、ジャズの聴き比べはというと、クラシックの場合とは様相が異なる。"Round Midnight" の演奏に関して、
セロニアス・モンクとマイルス・デイヴィスの演奏に点数を付けて、どちらがいい演奏か、という議論には決してならない。
ジャズの場合は「マイルス・デイヴィスのアルバムの中ではどれが一番好きか」だったり、「レコードとCDでは音はどう違うか」
だったり、同じレコードでも「オリジナル盤と再発盤はどう違うか」を聴き比べるということが主になってくる。
そもそもの音楽の成り立ち方が違うのだから、聴き比べの内容そのものが違ってくるのは当然だ。
でも、どちらにも共通して言えることは、聴き比べは面白いということだろう。結局のところ、それは未知なるものを
知りたいという欲求が原点になっているし、より良い音楽を聴きたいという渇望に支えられている。
聴き比べをする中で音楽的な感性は研ぎ澄まされ、見識も深まっていく。そして、一番好きな演奏を探していくということは、
つまるところ「自分とは何か」を探すことである。だから、聴き比べをするのはいいことなのだ。
聴き比べをすることが基本姿勢となるのは、まずはクラシックだ。このジャンルは作曲家が書いたある1つの曲を
演奏家たちが寄ってたかって演奏することになるから、どれが自分にとっての最高の演奏か、ということが
最優先事項に自然となる。
自分でオリジナル曲を書いて、それを披露して、後世に残る名曲として認められたもののみが楽曲として生き残ったのが
現在認知されているクラシックの名曲群だ。この特殊性が、他のジャンルとは決定的に違う。
それ以外の無数の楽曲は誰からも演奏されず、忘れ去られて、存在することすら認められない。
階級社会の中で生まれ育った音楽の宿命で、厳しい世界だ。
クラシック音楽における聴き比べというのは、例えば、バッハの「ゴルトベルク変奏曲」(昔は「ゴールドベルグ」
と言っていたけど、近年はこういう表記で統一されている)を例に挙げると、こういう感じになる。
グールドの第1回目の録音。コロンビア盤よりメロディア盤の方が音が数段いい、という噂が一部で囁かれているが、
実際に聴き比べてみると、そんなのは大嘘だということがわかって失笑する。
彼はバッハだけの枠をも遥かに超えて、クラシック音楽全体の演奏史観を根底からひっくり返してしまった。
グールドの子供たちは、今や指揮者、ヴァイオリン、チェロの他、あらゆる領域に数多く存在する。
グールドの第2回目の、そして最後の録音。左はドイツ初版、右は数年前にリマスタされたEU盤。
オリジナルが一番音がいい、という鉄則がクラシックには当てはまらない。また、この録音はレコードより
CDの方が音がいい。テクノロジーの進化に比較的忠実なのがクラシックの特徴。おそらく、資金の投じ方が
他のジャンルとは違うのだろう。そのため、レコードよりCDの方がマーケット規模は大きい。
もちろん、グールドだけがいい演奏を残したわけではない。他にもいい演奏はいくらでもある。
少なく見積もってもこの3倍以上の演奏を聴いているけど、繰り返し聴くに値すると思うもののみを手元に
残している。まだ聴いていないものも当然あるので、これからもボチボチと聴いていく。
こんなのは全然少ない方で、交響曲なんかこの何倍もの種類がある。だから、クラシック愛好家は音盤を数千枚持っている
という人がざらにいるわけだ。微に入り細に入り聴き比べをして、自分のお気に入りの演奏がどれかを模索している。
そして、それらの演奏に点数をつけて、ランキング形式にするのが好きらしい。各人が思い思いに順位付けをしている。
でも、これがびっくりするくらい、自分の認識とは合わないのだ。好き嫌いというのはこうも人によって違うのか、
ということを思い知らされる。
一方、ジャズの聴き比べはというと、クラシックの場合とは様相が異なる。"Round Midnight" の演奏に関して、
セロニアス・モンクとマイルス・デイヴィスの演奏に点数を付けて、どちらがいい演奏か、という議論には決してならない。
ジャズの場合は「マイルス・デイヴィスのアルバムの中ではどれが一番好きか」だったり、「レコードとCDでは音はどう違うか」
だったり、同じレコードでも「オリジナル盤と再発盤はどう違うか」を聴き比べるということが主になってくる。
そもそもの音楽の成り立ち方が違うのだから、聴き比べの内容そのものが違ってくるのは当然だ。
でも、どちらにも共通して言えることは、聴き比べは面白いということだろう。結局のところ、それは未知なるものを
知りたいという欲求が原点になっているし、より良い音楽を聴きたいという渇望に支えられている。
聴き比べをする中で音楽的な感性は研ぎ澄まされ、見識も深まっていく。そして、一番好きな演奏を探していくということは、
つまるところ「自分とは何か」を探すことである。だから、聴き比べをするのはいいことなのだ。