意表を突いたクラシックのレコード本だけど、私は面白く読んだ。ただ、これからクラシックを聴こうかという人は、ここに載っている
アルバムを買うのは一旦止めておく方がいい。ここに載っているのは何十年もクラシックを聴いてきて、世に言う名演・名盤は一通り聴いて、
その次の次の次くらいに聴くものが大半で、つまり、ガチ中のガチだからである。
本人は高価な稀少盤の知識は持ち合わせていない、と書いているけど、これはおそらく違うだろう。ジャズのレコードを漁るのと同じ
スタイルでレコードを探していれば、否が応でもそういう知識は身に着く。でも、ただでさえ妬み・やっかみを買いやすい立場にいるのに、
稀少盤やら高額盤やらを見せびらかせば総スカンを喰うことは火を見るより明らかだから、そういうものはここでは徹底的に排除されている。
つまり、そういう知識が無ければ逆にここまで完璧に痕跡を消し去ることは不可能なのだ。これはまるで完全犯罪をやり遂げる天才犯罪者並みの
仕事だと言っていい。本当なら好きなレコードを全部開陳して、思う存分語りたいことを語りたいはずなのに、なかなかそうもいかないという
本人の難しい立場を反映したギリギリの内容だったのだと思う。世界的大ベストセラー作家になるのも、良し悪しである。
そういう大人の事情が透けて見えながらも、それでも私には面白い内容だった。私自身はクラシックに関しては今ではもう特定のジャンル
(室内楽とピアノ曲)しか聴かないから、家にあるレコードがこの本に出てくることはあまりなかったけど、それでも何枚かはヒットしていて、
そういうのは素直にうれしいものだ。
しかしなあ、ゲザ・アンダが好き、というのもある意味、来るところまで来ている。そんな人はそうそういないはずだ。
ただ、このシューベルトは記載にもあるように、悪くない。シューベルトのソナタが今ほど評価されていなかった時代なのに
正面切って録音しただけあって、得も言われぬ意志の力を感じる。
まるでベートーヴェンのようなシューベルトで、演奏の質感としては異例なものだけど、私もゼルキンの不器用さには
いつも心を惹かれて、同じように心情的に肩入れしてしまう。
本に掲載されているのはアメリカ・ウエストミンスター盤だけど、こちらはフランス・コンセルテウム盤。
古い録音だけど端正な演奏で、さすがは "ウィーン三羽烏" 。
以前、何かのエッセイでもこの盤を取り上げていたので、余程のお気に入りなんだろう。
グールドがこうして録音したおかげで、その後は間奏集のアルバムがたくさんリリースされるようになった。
本に載っているのは第3版くらいの廉価盤で、こちらはフランスのデュクレテ・トムソン盤。ウエストミンスター社はフランスでの
発売をデュクレテ・トムソン社に委託していた。ハスキルはこの第20番を2回録音しているけど、私はこちらの方がずっと好き。
この本は、村上春樹ファン、クラシック音楽ファン、レコード・マニア、の3種類の人間を満足させる稀有な本なのである。
個人的にはもっとディープでコアな内容を読みたいけど、いずれまたどこかでそういう機会もあるだろうから、今後に期待したい。