Maria-Joao Pires / F. Schubert Piano Sonata Nr.21 D.960 ( 仏 Erato NUM 75262 )
D.960はこのアルバムが発表された当時は第11番と表記されているが、現在では第21番ということになっている。
シューベルトの作品は生前楽譜が発売された(つまり正式発表された)作品があまり多くなく、彼の死後にロベルト・シューマンを始め、
数多くの研究家たちが彼の遺稿の山を掘り起こして、埃を払い、内容を検証して正式な作品として順番にリリースするという異例の作業が
続けられているため、タイトル番号が変わることがある。特にピアノ曲は、まだ正式な取り扱いをどうするかが決まっていない曲が
たくさん残っているのだ。
マリア・ジョアン・ピリスのこの録音は言及されることが皆無のアルバムだが、演奏の素晴らしさといい、録音の良さといい、この楽曲を
聴く上での決定盤の1つと言っていい。彼女はまずはモーツァルト弾きのイメージが強く、なかなかこの辺りまでは手が届かないのだろう。
深い森の中を流れる冷たく透き通った清流のような演奏で、それでいて表現としての充足度も極まっており、この楽曲に秘められた魅力の
すべてを享受することができる。技術的にも極めて高い次元で安定していて、聴いていて引っ掛かる所が何もない。
ペダルの使い方が上手く、音の響きが素晴らしい。フォルテも耳障りなところはなく、その音が濁らず美しい。
死の2ヵ月前に書かれた生涯最後のピアノ・ソナタとして、彼の万感の想いが込められているのがよくわかる演奏だ。
楽想に枯れたところはなく、ますますみずみずしい。ここで作品が途切れてしまったことが本当に残念に思える。
ピリスは自身の姿を前面に押し出して芸術家を主張することなく、作曲家の実像とその楽想を最大限の力を込めて見せている。
だから、聴き手は純粋にシューベルトの音楽に身を任せることができる。
好きな楽曲が見つかり、順番に聴き進めていく中で素晴らしい演奏に出会ったり、高名な演奏家の演奏に満足出来なかったり、と
一喜一憂することが楽しく、音楽を聴く歓びを体験することができる。