Stan Getz with Guest Artist Laurindo Almeida ( Verve V-8665 )
スタン・ゲッツのサンバ/ボサノヴァシリーズの中では、これがダントツで好きです。 月並みですが、不思議と夏によく似合う音楽であることは間違いなく、
この時期には頻繁に聴きます。 私はジョアン・ジルベルトが大嫌いなので(気持ちが悪い)、例のイパネマのほうはまったく聴きません。
ジルベルトもジョビンもアルメイダも、ゲッツがボサノヴァのことがまったくわかっていないと貶していたようですが、別にゲッツはボサノヴァのレコードが
作りたかった訳じゃないんだ、何言ってやがる、と思います。
このアルバムに収録された曲はどれも非常にカッコよくて、他のアルバムとは明らかに雰囲気が違います。 1曲目の "Menina Moca" のスマートさと
メロディーの素晴らしさは特に群を抜いていて、このアルバムが他の同系列ものとはちょっと違うぞ、というのがすぐにわかります。 そして、あとは
もう最後まで圧倒されっぱなしで聴き終えてしまうのです。
アメリカという国のラテン諸国と隣接しているという地理的特徴は否が応でもこの国のあらゆる所に深く影を落としていて、音楽にもそれは顕著でした。
ローリンド・アルメイダも早くからパシフィック・ジャズに録音をしていますが、それらはどれもあまり冴えない内容で、もしこれだけで終わっていたら
その名前はとうに忘れられていたかもしれません。 でも、このアルバムでの輝き方はまるで別人で、それはスタン・ゲッツの作りだした音楽の雄大さの
おかげであることは間違いない。
ゲッツがこの時期にボサノヴァに近づいたのは偶然でも何でもなくて、行き詰ってしまった当時のジャズに何とかして風穴を開けようとした彼なりの模索の
一つでした。 フリージャズにではなく、南米の音楽の中にその可能性がないかを探ったのです。 でも、コマーシャルな成功を得ただけでそれ以上のものが
何もないのがわかると、さっさと次の段階へと移ってしまいます。 そういう何かを探して旅するこの時期のゲッツの足跡を追っていくのは、とても重要な
ことに思えます。 みんなが同じことをやっていた50年代とは違い、60年代はこうして誰もが何かを探していろんなことをやりながら旅をしていた。
だから、60年代のジャズを聴くというのは音楽家のそういう姿を見るということなのであって、ただ単に耳あたりの良さだけを求めて終わるのだとしたら、
それは如何にこの音楽から遠い所にいただけだったのか、ということになってしまいます。
実際に共演したことがある人によると、スタン・ゲッツのサックスの音はピアニッシモからフォルテッシモに至るまでものすごく大きくて、他のサックス
奏者とはそのスケールの大きさが桁違いだったそうです。 ゲッツのそういう実像を本当の意味でリアルに録音できたのはクリード・テイラーが初めて
でした。 それまでのゲッツのレコードはサックスの繊細さや溢れる歌心は録れていたけど、そういうすべてを飲み込むようなビッグトーンをきちんと
録ったのはクリード・テイラーの時代からです。 だから、この時代のレコードにはそれまでの時代のレコード以上の価値が本当はあるのだと思います。