地蔵堂の「万葉うどん」は行列の賑わいでした。それを横目に、更級日記の作者が「足柄山といふは、四五日 かねておそろしげにくらがりわたれり。 」と表現した足柄古道を縫って行くこと60分、峠に出ます。標高759m。899年、ここに関所が設けられ、これより東国を関東、西国を関西と呼ばれていました。
かって、古代足柄峠は都と東国とを結ぶ要路であった。奈良時代東国の任地に赴く役人たちが、ここで都に最後の別れを告げ、また防人(さきもり)の任におもむく東国の農民たちも、この峠で故郷に残した肉親を思い心の叫びを詠じている。
・ 足柄の 御坂畏(かしこ)み 曇夜(くもりよ)の
吾が下延(したば)へを 言出(こちで)つるかも ー万葉3371ー
(大意)足柄の神の御坂を越えて行くとき、峠の神に手向けして、恐れかしこまるのあまりに、人に秘さねばならない恋人の名までつい告白してしまった。当時は恋人の名前を口に出してはならないとされていた。
・ 足柄の 御坂に立(た)して 袖振らば
家なる妹は 清(さや)に見もかも -万葉4423-
(大意)足柄の御坂に立って、ふるさとに向かって別れを告げるとき、家に残して来た妻は私が力の限り袖を振っているのを はっきりと見ているであろうか。再び故郷に帰ることが困難な時代であった。
・ 我思い 届けよ峠 そよぐ風 小田原梅干
かって、古代足柄峠は都と東国とを結ぶ要路であった。奈良時代東国の任地に赴く役人たちが、ここで都に最後の別れを告げ、また防人(さきもり)の任におもむく東国の農民たちも、この峠で故郷に残した肉親を思い心の叫びを詠じている。
・ 足柄の 御坂畏(かしこ)み 曇夜(くもりよ)の
吾が下延(したば)へを 言出(こちで)つるかも ー万葉3371ー
(大意)足柄の神の御坂を越えて行くとき、峠の神に手向けして、恐れかしこまるのあまりに、人に秘さねばならない恋人の名までつい告白してしまった。当時は恋人の名前を口に出してはならないとされていた。
・ 足柄の 御坂に立(た)して 袖振らば
家なる妹は 清(さや)に見もかも -万葉4423-
(大意)足柄の御坂に立って、ふるさとに向かって別れを告げるとき、家に残して来た妻は私が力の限り袖を振っているのを はっきりと見ているであろうか。再び故郷に帰ることが困難な時代であった。
・ 我思い 届けよ峠 そよぐ風 小田原梅干