当ブログで良く閲覧される記事に「二宮尊徳 その2」(2006/5/
16)があります。これは、小学校時代のノートを基にして書かれて
います。
当時も担当教諭は懸念を示されていましたが、最近になって同様
に懸念を示された記事を目にしました。
道徳教材に「二宮金次郎」、何が問題なのか?(冷泉彰彦:プリン
ストン発 日本/アメリカ 新時代)
・小学校1・2年生用の道徳教材に、「二宮金次郎」が取り上げら
れていた。
・ストーリーは単純で、「幼くして両親と死別した金次郎は、おじ
たところ、菜種油を無駄遣いするなとおじに怒られた。そこで金次
郎は自分で畑を耕して菜種を収穫して読書を続けて立派な人になっ
た」というものです。
何が問題なのか? 思いつくままに列挙してみます。
・これは虐待被害の話です。児童が虐待の被害を受けた場合は、何
よりも信頼できる大人を探してSOSを出すことを教えなくてはな
りません。ですが、この教材は、その反対に「忍従」を教えていま
す。これ自体に違法性を感じます。
・これは児童労働の話です。国連を中心に、現在の国際社会では児
童労働を根絶するために大変な努力がされています。日本も多くの
予算を負担し、実際に根絶のための活動に従事している日本人ボラ
ンティアも世界では活躍していると思います。ところが、この教材
では児童労働を肯定的に扱っています。外務省と関係のNGOは厳
重に抗議すべきだと思います。
・金次郎はどうして忍従できたのでしょう? それ以前の話として
金次郎はどうして強い学習へのモチベーションを持っていたのでし
ょう? それは、幼くして漢籍の素養があり、中国の古代哲学をベ
ースとした早熟な世界観を持っていたからだと思います。要するに
精神的な「武装」ができていたのです。この点を完全に無視して、
児童に「忍従」を強いるというのは単なる野蛮に過ぎません。
・現在の日本では、高い教育を受けた層よりも、俗に言う「ソフト
・ヤンキー層」の方が高い出生率になってきていると考えられます。
教育に関心を持たない親を持った子供が増えているのです。そうし
た子供たちに対して、自分の方で学習へのモチベーションを持つの
は悪いことではありません。
・ですが、仮にそうであるならば保護者に成り代わって巨大な愛情
と知性を注いでそうした児童を保護するしかないと思います。「忍
従せよ。自助努力せよ」というアプローチはその正反対です。
・要するに21世紀の現代社会では、この「二宮金次郎」のストーリ
ーというのは批判的な討論の材料にしか使えないのです。それを小
学校1・2年生用の教材に使用するのは誤りだと思います。
ではそもそも、どんな授業をすればいいのでしょう? 例えばで
すが......
・先生「おじさんはどうして油を使っちゃいけないと言ったのかな?」
生徒「ハーイ。たぶんお金がなくて困っていたんだと思いまーす。」
先生「正解だ。では君たちは自分が金次郎だったらどうするかな?」
生徒「私も、金次郎みたいに自分のできることをやって人に迷惑を
かけないようにしまーす。」
先生「正解だ。みんなも、困ったらまず自分ができることをするん
だよ。人に頼ったり、欲しい欲しいなんて言う前に努力する人間にな
りなさい」
・というような授業が理想であり、そのような教師が人事考課で評価
され、このエピソードを否定的に扱った教師は「処分」される、ある
いは、このような「正解」を言った子供は「良い成績」(今のところ、
成績はつけないという話のようですが)になるというのが「道徳教育
」であるならば、それは勘違いもいいところです。
・それでは、教師も生徒も「こういう教科書」が与えられたのなら
「それが正解だろう」という「謎解き」をすることになるだけだから
です。そのような「正解探し」の能力からは困難を打開する知恵も、
困難に打ち勝って自分を高めるモチベーションも生まれては来ません。
・実務的には以上ですが、こうした「道徳教育」という発想のウラに
ある「思想性」に関しては、そう簡単に見過ごせないものがあるよう
に思います。それは、グローバルな世界の価値観、つまり「個の尊厳」
とか「平等、権利、自由」といった考え方に合わせていては、日本古
来の文化が失われるという観点から、国境の内側に閉じこもりたいと
いう発想です。
・その根底にあるのは近代の否定ということだと思います。個の尊厳
を否定し、将来ある若者を年長者に忍従するように仕向け、アジアの
人口も経済も縮小する中で、「整然とした撤退戦」を戦うには、そう
した思想が全員の幸福につながるという判断があるのかもしれません
が、全くの誤りです。
・残念ながら日本は成熟国家であり、最先端の高付加価値産業で食べ
ていくしかないからです。忍従の思想で訓練して生産性を上げれば、
労働集約型の産業でも新興国に伍していけるなどというのは幻想に過
ぎません。そのためには、日本人の生活水準を今から更に50%以上切
り下げなくてはならないからです。
(感想)学校で教えるべきことは、「忍従」ではなくて、「貢献意欲」
なのですね。“たらいの水”は手元に引こうとすると、逃げてしまう。
押してやると、手元に集まってくる。世の中、手元に引こうとする人
が多いだけに。
小田原梅干し
写真は小田原市立報徳小学校の「まごころの像」。村普請の時、ま
だ少年だったので不足分として、わらじの提供を申し出たのです。