前者は 信玄堤と呼ばれ武田信玄が築堤主体でした。後者は小田原
城主・大久保忠世(家康の側近)の発議で後年に完成しています。
共通点は水勢を削ぐ護岸工事がなされていることです。前者は支
流の流路変更、後者は本流の流路変更がなされています。それと共
に不連続部分を持つ堤防となっています。
前者は祭りを行い神輿を繰り出すことで突き固めたり、近くに移
住する者を無税にして堤防守りをさせたり、後者は松の植生で護岸
する工夫が見られます。 小田原梅干し:梅丸
前者には半世紀以上前に撮影した写真が出て来ました。後者は極
最近撮影したものです。