「こどもを叱れない大人たちへ」と題した落語家・桂才賀氏(「笑点」
の元メンバー)による講演が、地区の公民館であるとの事で参加してみま
した。
「父さん母さん、おもいっきり叱ってよ」
「怒る」ことは出来ても「叱る」ことが出来ないと言う。「怒り」は
「自分を弁護」する心理で、自分を守るために子供を怒る行為。それに対
して、「叱る」は子供のために「いさめる」ことで、子供を正しい方向に
導いてやる行為です。要するに愛情の裏付けが有るか?無いか?ですね。
なぜ、子供に対する愛情を表現できないのか?
現在は、近所づき合いをしなくても暮らしていける便利な時代で、大人と
しての技も術も学びようがない。だから、自分の子供に対しても、どうし
ていいかわからなくなったのでは?と。
初詣、節分、桃の節句、端午の節句等の「年中行事」が軽視され、心の
交流が無くなった。「お金」でつながるようになっています。
時間が取れたら、親子揃って刑事裁判を傍聴することを勧められている。
現実の社会勉強になり、裁判から人間模様を垣間見ることができる。非行
防止の教育効果ものぞめるとされている。
私も学生時代講義のない時に、良く裁判を傍聴していました。授業料タ
ダの良い実社会勉強になりました。 小田原梅干
桂才賀著:「子供を叱れない大人たちへ」
の元メンバー)による講演が、地区の公民館であるとの事で参加してみま
した。
「父さん母さん、おもいっきり叱ってよ」
「怒る」ことは出来ても「叱る」ことが出来ないと言う。「怒り」は
「自分を弁護」する心理で、自分を守るために子供を怒る行為。それに対
して、「叱る」は子供のために「いさめる」ことで、子供を正しい方向に
導いてやる行為です。要するに愛情の裏付けが有るか?無いか?ですね。
なぜ、子供に対する愛情を表現できないのか?
現在は、近所づき合いをしなくても暮らしていける便利な時代で、大人と
しての技も術も学びようがない。だから、自分の子供に対しても、どうし
ていいかわからなくなったのでは?と。
初詣、節分、桃の節句、端午の節句等の「年中行事」が軽視され、心の
交流が無くなった。「お金」でつながるようになっています。
時間が取れたら、親子揃って刑事裁判を傍聴することを勧められている。
現実の社会勉強になり、裁判から人間模様を垣間見ることができる。非行
防止の教育効果ものぞめるとされている。
私も学生時代講義のない時に、良く裁判を傍聴していました。授業料タ
ダの良い実社会勉強になりました。 小田原梅干
桂才賀著:「子供を叱れない大人たちへ」