最近、坂野潤治(東大名誉教授)著「日本近代史」を読む機会が
あった。
これは一八五七(安政四)から一九三七(昭和一二)年までの八〇
年間。近代日本の劇的な歩みを、「改革」「革命」「建設」「運用
」「再編」「危機」という六つの時代に区分し、通観する歴史書で
す。
わずか数十年の間にめざましい「近代化」を実現しながら、やが
て「崩壊」へと突き進まざるをえなかった根本原因はどこにあるの
か。史料を読み解き、近代史を捉えなおした史書です。
「危機」から「崩壊」へ の中で著者は一九三七年六月四日に成
立した第一次近衛文麿内閣は、「小キザミ」化した諸政治勢力のす
べてを包括した内閣であった。
すべての政治勢力に支持された内閣には、基本路線もなければ信
頼できる与党的勢力もない。その時々の状況により、右に行ったり、
中道に行ったり、左に行くしかない内閣構成だったのである。
そのような内閣の成立後約一か月で、日中全面戦争の危機が生じ
たのである。この「危機の時代」から「崩壊の時代が」始まったの
である。
二〇一一年三月一一日は、日中戦争が勃発した一九三七年七月七
日の方に近く見える。三月一一日の国難を迎えて以降の日本には、
「改革」への希望も、指導者への信頼も存在しない。それを導くべ
き政治指導者たちは、ちょうど昭和一〇年代初頭のように、四分五
裂化して小物化している。
この「国難」を克服するためには、新しい指導者層の台頭が必要
である。四分五裂した小指導者の下では、「復旧」も「復興」も望
み薄である。と手厳しい。
「興」に向かう次の指導者たちは、政界、官界、財界、労働界、
言論界、そして学会の中で、出番を待っているのと思われる。と結
んでおられる。
小田原梅干し:梅丸