私が時々引用する小学生の詩は主として、この「一五〇八日の思いで」と題する雑誌から引用しています。この編集者は、故播摩晃一氏(小学生時代の担任教師)です。
この作品集を編集するのに、わたしは高さにして一メートル三五センチの「資料」に目を通した。「資料」というのは、三年の時から六年までの学級日記、さまざまな作品群、日記帳、それに卒業記念の作文集、また一九五三年度以来の当直日誌、校務日誌、児童出席簿、表彰記録、校内作文集、記念写真など。もう帰ってこない思いでを、その時その場のなまのことばで、できるだけ正確に結晶させようとして、わたしは最大の努力をした。これが、卒業生を送りだす教師としての最後の贈り物のつもりで、わたしはやった。
マーケティングで言えば、「顧客の期待をはるかに上回るサービス」です。ここまでされる教師は今時いないのではなかろうか?「〇〇君は随分、僕を苦しめた。」と言われて逆に協力を求められかねない。「一五〇八日の思いで」は宝物となっており、今尚思い出の中に生き続けているのです。 小田原梅干
この作品集を編集するのに、わたしは高さにして一メートル三五センチの「資料」に目を通した。「資料」というのは、三年の時から六年までの学級日記、さまざまな作品群、日記帳、それに卒業記念の作文集、また一九五三年度以来の当直日誌、校務日誌、児童出席簿、表彰記録、校内作文集、記念写真など。もう帰ってこない思いでを、その時その場のなまのことばで、できるだけ正確に結晶させようとして、わたしは最大の努力をした。これが、卒業生を送りだす教師としての最後の贈り物のつもりで、わたしはやった。
マーケティングで言えば、「顧客の期待をはるかに上回るサービス」です。ここまでされる教師は今時いないのではなかろうか?「〇〇君は随分、僕を苦しめた。」と言われて逆に協力を求められかねない。「一五〇八日の思いで」は宝物となっており、今尚思い出の中に生き続けているのです。 小田原梅干