とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

2013日本最西端・最南端エンジョイマラニック「7日目」

2013-05-11 07:35:11 | 観光
さて、いよいよ最終日だ。午前中は予定がなかったが、帰りの飛行機の搭乗時間までには時間があるので、急遽カヌーツアーを申し込む。帰りの飛行機が同じ人たちを誘い、ツアー会社に宿まで迎えに来てもらう。

石垣島には、いろんなマリンレジャーがあるが、このカヌーツアーも人気がある。マングローブの林をゆっくり漕いで回ることは、南国の島を楽しむのには最適である。マングローブツアーで有名な吹通川の川辺に到着すると、別のグループがカヌーで川を下って来るところだった。気持ちよさそうに漕いでいるのがよくわかる。


さて、我々もガイドの説明を聞きながら、カヌーツアーの準備をする。


パドルをもって、いざスタートだ。私は、昔カヌー教室に通ったことがあり、久しぶりのカヌーに気持ちが高ぶっていた。


いよいよマングローブの林の中に入っていく。ところで、今まで知らなかったのだが、そもそもマングローブという植物はないそうだ。マングローブとは亜熱帯から熱帯にかけて分布するヒルギなどの仲間の総称で、日本では鹿児島県から沖縄県・南西諸島の河口付近に発達するヒルギなどの林を「マングローブ林」と呼んでいるということだ。勉強になった。




流れがあまりないので、カヌーさばきは楽勝だ。ヒルギの林を前にしてガイドの説明を聞く。


マングローブ林には、干潟が多く珍しい生き物が生息している。これは、いずれか片方のはさみ脚が異常に大きいカニでシオマネキという。甲幅3cmに達し、甲は前方が広く後方が強く狭まっている。ただし、片方のはさみ脚が異常に大きいのはオスだけだ。よく見ていると、オスは時々はさみ脚を大きく振り上げる。この行動は、オスのメスに対する求愛と他のオスに対する威嚇の二つの意味があるといわれている。まことに興味深い生き物だ。




ヒルギの葉っぱをかじるとしょっぱいそうだ。そんな説明を聞きながら上流に向かう。


浅瀬となり、カヌーを繋いでマングローブ林に上陸する。




熱帯のジャングルを探検するような気分だ。


ところどころに泥が盛り上がり、塚のようなものが見える。これは、オキナワアナジャコが穴を掘ったときに掘り上げられた泥の塚だ。巨大なものでは1mを超えるものもあるという。今まで見たこともない光景に、自然の造形は見事だなあと感心する。




塚に手を突っ込み、オキナワアナジャコを手探りで探す。残念ながら、泥中深く潜り込んでいて捕まらなかった。


これは、シオマネキ同様マングローブの林の中に生息するめずらしい生き物の一つのシレナシジミだ。内地ではシジミといえば1㎝くらいだが、このシレナシジミは大きいものだと10㎝近くある。泥の中を足で探ってみると簡単に見つかった。ただ、中身はとても小さくドロ臭いのであまり食べる人はいないという。簡単に探り当てたが、結局泥の中に戻しておいた。


マングローブ林の探検を終り、再びカヌーで元に戻る。


これで、すべての予定が終わった。ガイドの人に空港に送ってもらい、帰路につく。帰りの飛行機から見た島影は、奄美大島だ。


一週間も島めぐりをしていたのに、帰るとなるとあっという間だった。マラニックだけでなく、観光や乗馬、カヌー、天体観測と盛りだくさんの贅沢な一週間だった。この企画を考えたヒロボーさんには大感謝。また、同行した皆さんにも楽しく過ごさせていただき感謝である。また、12日間も続いたブログを見ていただいた方にも感謝である。長い間ありがとうございました。

2013日本最西端・最南端エンジョイマラニックの記事はこれでお終い。

追記:民宿「おもろ」の女将さん(薬師丸ひろ子似ですよ)のブログにも載せていただきました。与那国島に行ったら、是非泊まってほしい宿です。
http://ameblo.jp/omorobiyori/entry-11528422179.html

2013日本最西端・最南端エンジョイマラニック「6日目」

2013-05-10 18:51:09 | 観光
この日は、波照間島を去り石垣島に向かう。少し晴れ間も見えてきて、旅の後半になってやっと天気が良くなってきた感じだ。もっとも、ずっと曇り空とはいえ雨に降られることもなく、マラニックする上では走りやすかったとも言える。もう終わりに近いと思うと名残惜しいが、波照間港から石垣島行きの船に乗る。




1時間ほどで、石垣島に到着する。本当なら、この日で帰るつもりだったのだが、帰りの飛行機が満席でとることができなかったので、やむを得ずもう一日滞在することになった。とれたとしても、ゴールデンウィーク中なので運賃の割引がなくべらぼうに高い。一日延ばすと、1/3の運賃になるので宿泊してもまだ安いのだ。

ほとんどの参加者が一日延長したので、この日は、レンタカーを借りて石垣島をドライブすることになった。また一部の人は、石垣島を拠点にして近くの西表島等に行ったりしていた。石垣島からは、西表島以外に小浜島、竹富島、黒島といった島々にも近く、時間があれば、いろんな島に渡ってみたかった。

レンタカー組は、まず玉取崎展望台に向かった。港から約1時間のドライブだ。石垣島の東側にあり、平久保半島と石垣島らしい海が見渡せる景勝地だ。外海と内海のコントラストが石垣島で1番きれいに見える所だという。展望台の道にはハイビスカスがたくさん植えてあり、きれいな花を見ながら展望台に着いた。




次は、石垣島最北端にある平久保崎灯台に向かう。灯台の手前には、石垣島最北端の標識が立っている。灯台を見下ろすと正面に大地離島という小さな島があり、その右手にサンゴ礁のリーフに囲まれたコバルトブルーの海が見える。今回の旅行で、一番美しい景色を見たといえるだろう。東シナ海のサンゴ礁、海の色の美しさ、白い砂浜の海岸線、空の青さと全てが絶景だった。






こちらは、石垣牛が放牧されている牧場だ。


最後は、石垣島で一番の観光名所という川平湾(かびらわん)に寄る。黒真珠の養殖場としても有名なこの湾は、いくつもの小島に囲まれており沖縄の松島といった様子だ。波は穏やかで、船底がガラス張りのグラスボートに乗って、色鮮やかな熱帯魚と珊瑚礁を観察することにした。


グラスボートの底から見た珊瑚礁の海底。カメラでは、どうもうまく撮れないようだ。やはり肉眼で見たほうが感動する。








グラスボードから降りたところ。


初日に泊まった民宿「八重山荘」に再び泊まる。夕食なしだったので、近くのスーパーに食材を買い出しに出かけ、旅の最後はメンバーの手料理による夕食会になった。




そして、旅の最後の夜を迎えた。
2013日本最西端・最南端エンジョイマラニック「7日目」に続く。

2013日本最西端・最南端エンジョイマラニック「5日目後半」

2013-05-09 22:14:24 | マラソン
サトウキビ畑を抜け、再び浜のほうに入っていく。珊瑚で囲まれた小さな浜は、プライベートビーチと言っていい。ほとんど人が来そうもなく、知られたくない場所だ。




毛崎と南浜(ぺーはま)の中ほどの海岸に、浜シタンの群落がある。樹齢数百年に及ぶ大木もあり、竹富町指定天然記念物になっている。海岸の隆起サンゴ礁に根を張り巡らせ、小ぶりの白い花を咲かせるそうだ。今では自生する浜シタンは少なく、これほどの群落や古木が生育している場所は珍しいという。




林の中では、アサギマダラが飛び交っていた。


“ぺーはま”から浜崎に向かって海岸を走る。




浜崎を過ぎると北浜である。北浜の読み方だが、実は“にしはま”と読むそうだ。北の浜なのに“にしはま”と読むなんて訳が分からない。沖縄の言葉は難しいものだ。読み方はともかく、この浜は海の色がとても美しく、砂が細かくて白い。サンゴ礁の海で素足で海水浴を楽しめる“にしはま”は波照間では最高のレジャースポットだ。


“にしはま”のビーチに着くと、靴を脱いで海の中に入る。暑くなって火照った下半身が気持ちいい。ランを中止して海水浴に切り替えた人もいた。




浜から上がり、内陸部のコースに入っていく。何かの貯蔵場所なのか、遺跡なのかよくわからないが、不思議な場所である。


下田原城跡の看板を見つけ、その先に入っていく。ぶりぶち公園の石碑があり、小さな溜め池と鬱蒼とした森があった。この「公園」は沖縄の日本復帰直後、島の老人会によりと整備されたそうだが、現在は荒れ放題となり、亜熱帯の自然の侵食にさらされたままになっている。「ぶりぶち」とは「城跡」を指す方言であり、実はこのぶりぶち公園は、「下田原グスク」と呼ばれた城跡だったのだ。




ため池の先に進むと、シムスケーという古井戸があった。ここは、旧シムス村があった場所だ。その昔、7ヵ月にも及ぶ大干ばつの際、1頭の牛がこの地を前足で掘り水を飲んでいた。それを見た人々はここに井戸を掘り、水を得て、命を救われたと伝えられている。




波照間空港近くには、可倒式風力発電設備がある。台風時に90度近く倒すことで、強風による被害を避けることができるという珍しい風力発電だ。可倒式の風力発電設備は、台風時の対応の他にも、建設に大型クレーンが必要ない、地上高でのメンテナンス作業が可能、といったメリットもある。2基設置されているが、1号機は波照間の方言で「波照間の力」という意味の「ベスマスィカラ」、2号機は同じく「もったいない」という意味の「あったらさやー」という愛称がついている。風力発電施設の完成で、島全体の電力を通常時約5割、最大約8割をまかなえるそうだ。




内陸部の高い場所に来ると、コート盛という高い石積の場所があった。これは、「先島諸島火番盛(さきしましょとうひばんむい)」の一つで、海上の監視や船の通報を行う番人の詰め所だったという。


日本最南端にある駐在所を過ぎると、もうすぐゴールだ。内陸部に入ると風がなく、かなり暑くなっていた。


午後3時、朝スタートした波照間中学校前に無事ゴールする。全部で約30キロだった。


参考:今回走ったコース(赤、黄、緑の線が走ったコース)


夕食後、地元のNさんと一緒に“ゆんたく”。「ゆんたく」とは沖縄の言葉で何人かで集まっておしゃべりする井戸端会議のようなもの。


その後、南十字星を見るために星空観測タワーまで行くが、あいにくの曇り空で南十字星は全く見えなかった。しかし、わずかな雲の切れ間から見える星座や恒星の名前を観測員から教えてもらう。星を見るなら、新月の時に来たほうがいいことを覚えた。その後、プラネタリウム見物などもでき朝から晩まで充実した一日となった。

2013日本最西端・最南端エンジョイマラニック「6日目」に続く。

2013日本最西端・最南端エンジョイマラニック「5日目前半」

2013-05-08 21:27:13 | マラソン
この日は、波照間島を隅から隅まで回る日だ。波照間という表記は当て字で「果てのうるま」(「うるま」は、琉球または珊瑚礁の意味)に由来するという。島の海岸線長は15キロほどなので、一周だけでは20キロくらいにしかならない。物足らない人のために、外周と内周をそれぞれ一周ずつ走って約30キロのコースとなった。宿泊した民宿「うりずん家」で写真を撮ってスタート地点に向かう。


波照間島の集落内にあるオヤケアカハチ誕生の地の碑。オヤケアカハチとは、八重山で農民のリーダーとなって琉球王朝に立ち向かっていった英雄の名前だという。民宿を出てすぐ近くにある。


空き地には、ごく当たり前にヤギが飼われている。


マンホールのフタには日本最南端「南十字星が輝く島」の文字が...。夜になったら南十字星を見に行こうという計画があるのだが、果たして見えるだろうか?


波照間中学校前に、別の民宿に泊まったメンバーも集まってきた。


参加メンバー以外に、地元のランナーが一人飛び入りで参加することになり、一緒に集合写真を撮る。


中学校前で、クラッカーを打ち上げスタートする。


まずは、サトウキビ畑の横を進む。トラクターが後ろから走ってきていた。


草を刈っている地元の人もいた。


3キロほど走ると波照間空港前に出た。現在定期便の就航がなく、休業状態のさびしい空港だ。


波照間空港をぐるっと回って地球環境モニタリングステーションのある建物の前に出る。この波照間ステーションでは、北西太平洋の大気中の二酸化炭素やメタンなどの温室効果ガスの長期変動の観測を行っている。このような施設は、北海道根室半島の落石岬ステーションと波照間の2か所しかないそうだ。


波照間ステーション前のヌービ崎に出る。サンゴ礁の浜が広がっている。


オオハマボウの花。和名は、ハマボウに似て、花も葉も一回り大きいことに由来する。この花は、なんと秋篠宮家第二女子・佳子内親王のお印であるそうだ。


これも名前があったはずだが、思い出せない。


7キロほどで、星空観測タワー前に出る。波照間島は、緯度が低く日本国内では南十字星を好条件で観測できる数少ない島だ。周囲に人工的な灯りが極めて少ないため、他の場所では見えにくい星を肉眼で観測することができるという。夜になったら、このタワーから南十字星が見えるといいのだが...。タワー前にも、ヤギが飼われている。


日本最南端之碑前に到着する。北緯24度2分、東経123度47分、波照間は有人島として日本最南端になる。これで、今回の最終目的は達成である。よくぞここまで来たかと思うと感慨深い。ちなみに無人島も含めれば、日本最南端は東京都の沖ノ鳥島になるそうだ。




近くには、海に抜ける洞窟がある。波照間島では、あまり観光客を見かけなかったが、日本最南端之碑周辺だけは、唯一観光客で賑わっていた。


ショウジョウソウ。赤く虫食いされたような葉が特徴的だ。


さらに、牧草地帯の道をまっすぐ走る。ここでもヤギが至る所にいる。


地元ランナーのNさんの案内で浜に出る。白いサンゴの砂浜が続き、サンゴの欠片を拾いながら進む。


浜から上がり、サトウキビ畑の中を進む。もうちょっとサトウキビが伸びていたら、まるで迷路歩きになっていただろう。


2013日本最西端・最南端エンジョイマラニック「5日目後半」に続く。

2013日本最西端・最南端エンジョイマラニック「4日目」

2013-05-07 23:06:46 | 観光
さて、4日目は与那国島から波照間島への移動日となる。与那国島から石垣島へのフェリーの出航時間前に、どうしても見ておきたかった海底遺跡見学ツーに出かける。フェリー出航時刻が比較的早い時間だったので、海底遺跡ツアーを企画している業者に連絡して、1時間ほど早く迎えに来てもらう。23人という団体なので、貸し切り状態だ。団体割引もあり、業者はお迎えからフェリー乗り場への送迎もしっかり対応してくれた。


船は久部良港から出港し、西崎(いりざき)をぐるっと回る。


日本最西端の西崎灯台を回りながら南東方向に向かう。


このあたりの海域は台湾と100キロ程度の距離しかない。日本の果てに来たのかと思うと感慨深い。海底遺跡は、新川鼻の沖合約100メートルにあるという。


Dr.コトー診療所の建物のある比川浜前を通過する。


さて、いよいよ海底遺跡のポイントに着いた。船底に降りると、座ったり腹這いになったりして遺跡の様子を観察できるのだ。グラスボートでは上から下をのぞき込むのだが、半潜水艇となっているので、立体感を感じながら観察できるのがいい。


この海底遺跡が発見されたのは、今から10数年前だという。実際のところ、本当に人工的にできた遺跡なのか、自然にできた物なのかははっきりしてない。ただ、謎の地形であることには間違いなく、なにかロマンを感じさせられる場所である。






現在わかっている状況は、東西約50m以上・南北150m・高さ25~26mの岩礁に、人の手が加わったようなテラスや階段、排水路らしき溝などがあり、遺跡のようにも見える。人工物だとすれば、水没したのが動植物の分布や鍾乳石から1万年以上前とみられることから、世界最古の古代遺跡ということになるかもしれないそうだ。とにかく、与那国島に行ったら絶対見ておきたい場所だ。




1時間ほどのツアーが終わり、石垣島に向かうフェリーに乗船する。


民宿「おもろ」の女将さんたちが見送りに来てくれた。




これで、与那国島とはお別れだ。


いつの間にか、フェリーに付き添うようにカツオドリの群れが前後を飛びかっていた。








石垣島で船を乗り換え、波照間島行きの船に乗り、約1時間で波照間島に到着する。




波照間島では、道路際にアマリリスが咲いていた。


今夜の宿「うりずん家」に到着する。うりずんとは、「潤い初め(うるおいぞめ)」が語源とされ、冬が終わり大地に潤いが増してくる時期(2~4月)のことをいうそうだ。


夜は、うりずん家の屋外のテラスで夕食である。


おまけ:石垣空港で新聞記者の取材を受けたのだが、民宿に届いた一日遅れの八重山毎日新聞に載っていた。


さて、翌日は波照間島一周マラニックである。
2013日本最西端・最南端エンジョイマラニック「5日目前半」に続く。

2013日本最西端・最南端エンジョイマラニック「3日目・懇親会編」

2013-05-06 21:39:26 | いろいろ
与那国島一周を終わった夜、地元の走友会の人たちとの懇親会になった。民宿から歩いて5分くらいの場所にある居酒屋を貸し切る。我々のメンバー以外に地元の人たちを入れると30名近くになる。

まずは、地元走友会の代表方の方が挨拶する。与那国島には、与那国走友会と与那国かけっこクラブがあるそうだ。とくにかけっこクラブのメンバーは若く早い人が多いらしい。


挨拶のあと、さっそく余興である。寒い北海道に嫌気がさして沖縄に移り住んだというN部さんの沖縄民謡の踊りが始まった。この日のために、練習してきたらしい。


立ち見で見学している人もいる。


呼びかけ人のヒロボーさんの挨拶もあった。


こちらは、民宿「おもろ」のご主人。三線の演奏が入ると、やはり沖縄らしい。次第に会場の空気が盛り上がってくる。




三線の音色に合わせ、次第に全員が踊り始めた。




若いアントニオさんも負けじと三線を弾いてくれた。沖縄の名曲が何曲も聴けた。






こちらは、飛び入りで参加した若い女性ランナー。「おもろ」で手伝いをしていた方だ。


そして、「おもろ」の女将さんが挨拶。


最後は、たけるさんの三々七拍子で閉めとなる。もと応援団長だけあって、いい声だ。


全員で集合写真を撮って解散。その後、さらに地元青年たちと二次会に行った人もいた。


朝からのマラニックに続いて夜の懇親会と長い一日が終わった、翌日は、波照間島への移動となる。

2013日本最西端・最南端エンジョイマラニック「4日目」に続く。

2013日本最西端・最南端エンジョイマラニック「3日目・後半」

2013-05-05 18:29:45 | マラソン
塩工場前を出ると、与那国馬を連れた二人連れの女性が通りかかった。前の日に行った与那国馬ふれあい広場の人たちだった。


たけるさんが、颯爽と馬に乗って付近を駆け回った。こんなふうに馬に乗れるなんて羨ましい限りだ。私も、颯爽と馬に乗れるようになりたいものだ。


これは、すぐ先にあるテレビドラマ「Dr.コトー診療所」で使われた建物だ。


「Dr.コトー診療所」からしばらく浜を歩く。


海沿いの南牧場線を走る。


鳩がいた。与那国島だけにいる鳩なのだろうか?


ほぼ20キロで日本最西端の碑に到着する。今回の目的の一つをまず達成する。


与那国島と台湾の位置関係を地図で確認する。こんなにも台湾に近かったのだ。


日本最西端の碑から先に進む。


ユキさんちのカレー店に立ち寄る。島内では有名なカレーの店だ。


お腹がすいていたので、カレーが美味しい。


日本最西端の久部良中学校前を通過。


あまりにも悲しい歴史がのこる「久部良バリ」。今から200年ほど前、八重山・宮古地方には「人頭税」という世界的にも例をみないような過酷な税制度があり、島の人たちは苦しめられていた。その頃人減らしのために村の妊婦をここに集め飛び越えさせたという。幅3~5メートルもあり、成功しても流産してしまうし、転落死をしてしまう人もいたという。怖い場所だ。




昔の塩工場跡。全焼して、骨組みだけしか残っていない。何かの遺跡のようだ。


ダンヌ浜に寄る。サンゴ礁が美しい浜だ。




久部良岳の上に、3つの大きな石が並んでいる。女性の神が宿っているといわれ、神秘的な雰囲気が漂う。ミミシ(ミミ石)と呼ばれているそうだ。ミミシを見ながら進む。




与那国空港前を通過する。


地元の子供たちが応援してくれる。


ティンダハナタが見えてきた。ゴールは近い。


午後4時ちょっと前に民宿「おもろ」に到着する。


ほぼ7時間で与那国島を一周できたマラニックだった。

参考:今回のコースマップ


2013日本最西端・最南端エンジョイマラニック「3日目・懇親会編」に続く。

2013日本最西端・最南端エンジョイマラニック「3日目・前半」

2013-05-04 22:10:57 | マラソン
いよいよ与那国島一周の日だ。民宿おもろ前に全員集合する。新聞社の記者も取材に来ていた。


おもろの女将さんと手伝いに来ていた女性。手伝いの女性は、マラニックにも参加する。


みんな走る準備は万端だ。


午後9時に、民宿前をスタートする。


ナンタ浜を走る。


地元の漁師が5000万円かけて作ったというお墓の入り口にある門。まるで宮殿の入り口のようだ。


東崎(東から日が上がることから“あがりざき”と読む)の風力発電が見えてくる。


東崎の入り口。


野生の与那国馬があっちこっちにいる。


海岸線も見えている。


サンニヌ台展望台方向へ走る。


NHK大河ドラマ「琉球の風」の碑


これは立神岩。与那国島にシンボル、別称頓岩(とぅんがん)ともいう。昔の伝説に鳥の卵を採るため男2人が岩に登ったが、1人は転落死して、もう1人は恐怖で降りられなくなり、神様に祈りながら寝てしまい起きたら陸地にいたという話が残っているそうだ。この岩は男根の形にも似てるので、子が授かるように祈願に訪れる人もいるという。


ユリやハイビスカスも咲いている。




ジャングルの中を進む。


謎の人面岩。沖合の「海底遺跡」を見下ろす位置にある。巨石と土台に敷き詰められた岩々は完全に切り離されており、頭頂部には古代遺跡によく見られる円形の杯状の穴もあり、自然にできたものではないらしい。高さをそろえて敷かれた土台石にどうやって巨石が載ったのか。誰かが運んできた以外考えられないそうだ。


沖縄の名木らしい巨木がある。




与那国海塩の工場前に到着する。ここは、昔ながらの製法を尊重しながら、取水などの重労働は機械化し、ミネラルと微量元素を豊富に含む「昔の味の塩」を目指している塩工場だ。「黒潮源流塩」は、取水から約10日間伝統の平釜で海水を焚き、時間をかけて作られているそうだ。にがりをほどよく含み「甘み」と「まろやかさ」が素材のうま味を引き出し、お料理を引き立ててくれる塩である。さっそくお土産用に何袋か購入する。




ありがたいことに、社長(素敵な女社長だ)が我々のためにエイドを開設してくれた。パイナップルと漬物、購入した塩を付けれが美味しい。持参したおにぎりにも塩を付けて食べる。しかも、車で酒屋までビールを買ってきてくれたのには感激だ。


社長と一緒に工場前で写真を撮って先に進む。


2013日本最西端・最南端エンジョイマラニック「3日目・後半」に続く。


2013日本最西端・最南端エンジョイマラニック「2日目」

2013-05-02 23:10:57 | 観光
2日目は、石垣島から与那国島に向かう。民宿を出て、バスターミナルに向かう途中に、「730記念碑」がある。これは、沖縄が日本に返還されて6年後に、「人は左、車は右」から「人は右、車は左」に変更された日が7月30日であることに由来する。




我々が集合写真を撮ろうとしていたら、たまたま通りかかった人がいて、写真を撮ってくれたのだが、その人は何と“石垣市長”だった。市長が自転車で、通りを何気なく通りかかっていたというのも驚きだ。しかも、気さくにカメラを構えてくれたのでありがたかった。市長と知って、もう一度市長を交えて写真を撮る。




バスで、再び新石垣島空港に戻る。




これが与那国島行きの飛行機だ。30人乗りのプロペラ機である。




飛行機の窓からサンゴ礁に囲まれた島が見える。


機内の乗客は、我々のグループで2/3を占めていた。


与那国島に着くと、お迎えが出ていた。


与那国空港前でさっそく記念撮影。


今夜の宿、民宿「おもろ」前でも記念撮影。


さっそく、近くの浜まで向かう。気の早い人は、水着で海に入っていった。




坂を上がると、大きな墓石群が見えてくる。沖縄方面の墓はとてつもなく大きく豪華である。




レンタサイクルで、さらに先に進む。




東崎展望台に着く。


ここにも、与那国馬が多数生息している。すべて野生らしい。






東崎から、民宿方面に戻り、近くにある「ティンダハナタ」に立ち寄る。ここは、サンゴの隆起によって出来た高さ100mぐらいの断崖絶壁で、祖内の街を一望できる。


また途中途中に湧き水が出ている場所があり、洞窟的な場所もあって変化に富んだ地形を楽しむことができる。そもそもここは伝説の女酋長サンアイイソバが住んでいた場所と言われ、そのサンアイ・イソバの碑が立てられている伝説の地でもあった。






「ティンダハナタ」から民宿に戻ると、与那国馬ふれあい広場からお迎えが来た。これから与那国馬の乗馬体験の予約をしていたのだ。スタッフの指導の下、初めての乗馬体験をする。与那国馬はおとなしく小さい馬なので、比較的乗りやすかった。1時間弱ではあったが、初めてとはいえ楽しく乗馬体験ができた。この日一番の思い出になった体験だった。






2013日本最西端・最南端エンジョイマラニック「3日目」に続く。