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(再録)現代中東の王家シリーズ:サウジアラビア・サウド家(20完)

2019-03-24 | 中東諸国の動向

 

初出:2007.9.10

再録:2019.3.24

(注)以下の人名、肩書はいずれも2007年当時のものです。

 

(最終回)サウド家の後継問題(3):混沌とする後継者レース[1]

 

 これまで19回にわたってサウド家の歴史、政官界における勢力図、いくつかの有力家系等について解説してきたが、最後に今後サウド家を担い将来サウジアラビア国王になる可能性のある王族について私見を述べてみたい。

 

 次期国王はスルタン皇太子であることは決定済みである。彼がアブダッラー国王より先に亡くなるなど余程のことがない限り、これは既定路線である[2]。従ってここではアブダッラーが亡くなり(重病で生前退位というケースも考えられるが)、スルタンが第7代国王となった時に王族の中で誰が皇太子に指名されるかという、ポスト・スルタン問題として検討してみたい。

 

 アブダッラー国王は83歳の高齢であるが健康状態は良好のようであり、今後数年間はアブダッラー体制が続くと考えられる。従ってスルタンは80歳を超え、場合によっては80台半ばでの即位となる可能性が高い。その場合はスルタン体制が短期間になることは多分間違いないであろう。

 

 スルタンの即位が80台半ばとなれば新皇太子の指名は今後5年或いはそれ以上先のこととなる。これまでポスト・スルタンの候補者として、スルタンの実弟ナイフ内相の名前が取り沙汰されてきたが、5年先となれば彼自身80歳を超え、皇太子としては余りにも遅すぎる[3]。5年後でも第二世代の王族のうち十数名は存命中と思われ、1945年生まれのムクリン・ハイール州知事などはその時点でも年齢的には十分皇太子となることは可能である。第三世代の王族については、今年マッカ州知事になった1940年生まれのハーリド王子(ファイサル第3代国王子息)から1971年生まれのアブドルアジズ国務相(ファハド前国王子息)まで年齢に大きな幅がある。

 

 次期皇太子としては第二世、第三の両世代にチャンスがある。5年後或いはそれ以上先と想定されるスルタン国王誕生の時点で、新皇太子を選任する「忠誠委員会」(前回参照)が開催され、年齢及び健康面で問題が無く、将来のサウド家の家長として指導力があり、かつ人望と識見を備えた第二世代或いは第三世代の王子が皇太子に指名されることになる。

 

 現状では後継者レースは混沌としているというのが実情であろう。ここでは問題を単純化するために現在の王族のうちアブダッラー現国王を除く全員が存命していると仮定して考えてみる。まずこれまで最有力と言われてきたナイフ内相は、上述のとおり年齢的に無理があると考えられる。しかも兄弟のスルタンとナイフで国王及び皇太子を独占することに対して他の王族から反対が出る恐れが強い。ナイフ自身はこれまでも実兄のファハド前国王及びスルタン現皇太子の影で彼らを補佐する黒幕的な存在であった。従って彼としては血縁関係の濃い若い王子を皇太子とし、自分の影響力を維持することを狙うものと思われる。

 

 スルタン、ナイフの実弟であるサルマン・リヤド州知事も有力な後継者候補とされてきたが、第8回「要職を独占するサウド家の王族(その2)」で書いたように、筆者はサルマンの能力と性格は国王に適していないと考えており、年齢的にも彼が皇太子になることはないと考える。

 

 第三世代の有力王族の中でこれまで後継者(次期皇太子)候補に挙がったのは、サウド現外相(1941年生、ファイサル国王子息)、バンダル元駐米大使(1950生、スルタン皇太子子息)、アブドルアジズ国務相(1971生、ファハド前国王子息)の3名である。このうちアブドルアジズが後継候補に擬せられたのはファハド存命中のことであり、現在ではその可能性は無くなったと見るのが妥当であろう。サウド外相は非スデイリ系王族の中では実力・人気ともに最も高く、かつてアブダッラー国王が彼を第二副首相(即ち次期皇太子)に任命するのではないかとの観測記事も流れたほどである。しかし最近彼は米国の病院に入院したと伝えられており、健康面で不安がある。まして今年の内閣改造で彼自身が引退を望んだにもかかわらず、アブダッラー国王が無理に留任させたとも言われている[4]。これらの点を勘案するとサウド皇太子説も少し怪しくなる。

 

 このように次期皇太子が誰になるか推定することはかなり難しいが、あえて候補を絞りこむとすれば、上記の第二世代ムクリン王子、第三世代バンダル王子に加え、アブダッラー国王の三男ムテーブ国家警備隊副司令官、ナイフ内相の次男ムハンマド内相補佐、さらにはスルタン皇太子の長男ハーリド国防相補佐などが挙げられる[5]。但しムテーブ、ムハンマド、ハーリドの3人は実力のほどが不明であり、またその肩書が示すように裏を返せば親の七光りでもある。次期皇太子を選定する「忠誠委員会」のメンバーが第二世代の全ての王子本人或いはその子息により構成されていることを考えると、父親と余りに近すぎるこれら3人の王子はむしろ候補者としては不利であるともいえよう。

 

 なお従来の「王室評議会」に代わり「忠誠委員会」が設置されたことにより、これまで後継者選びから除外されていた第二世代の王族にも皇太子選出に関与する権利が与えられたことは注目に値する。特にアブダッラー国王と親密なタラール王子は皇太子選定の鍵を握る重要人物の1人であろう。彼自身はかつて「自由プリンス」としてサウド家に反旗を翻してエジプトに亡命、その後許されて帰国した経歴を有しており、そのために王位継承権は放棄している。ちなみに彼の息子は世界的な富豪アルワーリド王子であり、アルワーリド王子もアブダッラー国王のお気に入りである。王位継承権を放棄したタラール王子は政府の要職にもつかずサウジ家庭医学協会会長など名誉職を務めている。そのため後継者問題については中立の立場で発言することができる。彼こそはまさにかつてサウド家の「マジュリス」を取り仕切った「長老」に相応しいと言えそうである。

 

(現代中東の王家シリーズ:サウド家編 完)

 

本件に関するコメント、ご意見をお聞かせください。

荒葉一也

Arehakazuya1@gmail.com

 

 

(再録注記)



[1] (捕逸)サウド家の後継者レースは筆者の予測と大きく異なり、本稿では皇太子になることは無いと述べたサルマンが国王に即位しており、12年前の2007年当時22歳であったサルマンの子息ムハンマドが皇太子になると予測した者は誰もいなかった。このような展開になった最大の理由は、アブダッラー国王在位中に皇太子に指名されたスルタン、ナイフが相次いで亡くなり、結局サルマンが皇太子となったことであろう。

2015年1月、アブダッラーが亡くなり、サルマンは第七代国王に即位したが、その後彼は皇太子を異母弟のムクリンから第三世代で故ナイフの子息ムハンマド内相に替え、最終的に2017年に皇太子を息子のムハンマドに継がせて現在に至っている。その間に第二世代王子も少なくなり、サウド王家の勢力地図が替わったことにより皇太子を指名する忠誠委員会の機能は有名無実となり、ムクリン-ムハンマド(ナイフ子息)-ムハンマド(国王子息)と続く皇太子のリレー劇はサルマン国王の独断専行であった。

参考:「タナボタで皇太子になったサルマン王子」(2012年7月)

http://mylibrary.maeda1.jp/0232SaudiCrownPrinceSalman.pdf 

[2] スルタンは1995年皇太子に即位、2011年に皇太子のまま亡くなっている。

[3] ナイフは実兄スルタン死亡後、2011年に皇太子となったが、翌年亡くなり、実弟サルマンが皇太子になっている。

[4] サウドは2015年、外相の肩書のまま病死している。

参考「辞めさせてもらえないサウジアラビアのサウド外相とナイミ石油相」(2007年4月)

http://mylibrary.maeda1.jp/0154SaudNaimi.pdf 

[5] これらの候補者のうちムクリン、ムハンマド(ナイフ内相子息)はその後サルマン国王により皇太子に任命されたが、注記1の通りいずれも短期間で交代させられた。

 

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