ITSを疑う

ITS(高度道路交通システム)やカーマルチメディア、スマホ、中国関連を中心に書き綴っています。

自動運転のもたらす未来

2013年11月17日 | 自動運転
「おじいちゃんが若かった頃は人が自分で車を運転していたんだよ。だから毎年何千人も事故で死んだんだ」「信じられない!」
という時代はいずれくる。技術的には既に実現可能で、しかも多くの人命を救え、渋滞も減り、エネルギー消費も押されられるのだから、これは時間の問題でしか無い。

走る喜びはなくならないから、そんな未来は来ない、と思う人もいるだろう。でも、趣味と人命・環境を天秤にかければ答えは明白。近年の若者の車離れを考えれば、そうした圧力もたいして強くなくなるだろう。

自動運転の世界では、車は同じように加速し、減速して曲がり、最高速度も規定される。
ということは、個々の車の性能差は全く意味を持たなくなる。
車の価値を決めるのは、内装の豪華さ、乗り心地の良さ、車内エンターテイメント等だけになる。

自動車メーカーが長年築いてきたノウハウの多くの部分が車両の制御だ。これは運転者の意思のままに加速し、曲がり、停まるということと、運転者のミスや想定外の使用に対するフェイルセーフということ、つまりは人間が操縦することを前提にしているものだから、自動運転では殆ど意味がない。

そうなると、自動車のブランドも余り意味を持たなくなる。
車にはそれぞれの個性があり、性能差があるからブランドに意味がある。自動運転の「移動道具」にブランド価値を見出すのは難しい。
商業バンと同じ加速、最高速のBMWを買う理由なんてあまりない。

ブランドも関係なく、官能的な運転制御性能も関係なくなるとなれば、自動車メーカーの優位性はなくなる。

キーとなるのは、大量の交通を制御する技術であり、そのノウハウは公共交通システムなどを手がけている電機メーカーにある。
車両本体は誰にでも作れ、電動車が増加するとなると、電機メーカーの参入障壁は低くなるだろう。
さらに、性能差がなくなり、安全性が交通制御で保証されるとなれば、消費者の選択はコストでしなかくなる。
自動車メーカーの統廃合は避けられない。

バッグや時計は、廉価品と性能には差がないがブランドが存在している。これは所有満足価値ってやつだけど、それすらも怪しい。
自動運転になれば、使いたい時に呼べば車が自分でやって来る、という世界も簡単に実現する。となると、車を所有する意味もなくなる。
金持ちは自分専用の豪華内装大型車を所有するかもしれないが、普通の消費者はもう車に所有価値を見出さないかもしれない。

生活道路まで自動運転になるにはまだ何十年もかかるだろうが、いずれはそうなる。
それは社会は勿論、自動車産業の構造を根本から変えてしまうことになるだろう。