梅さんのかわら版.umelog

我が家の琉球朝顔~オーシャンブルー

”書き直した原稿~ラジオのおばさん”

2014-08-20 23:53:35 | 花子とアン

8_20_2_2  8_20_3_2
 1923年に関東大震災が発生し、この震災がきっかけとなって、情報伝達手段としてラジオが注目されるようになりました。そして、震災からわずか2年後の1925年にJOAKによって日本初ラジオ放送が開始されます。
 
花子がラジオのおばさんとしてデヴューしたのは、1932年、その7年後でした。
 
その頃になるとラジオも低価格になって一気に普及したそうです。そうはいっても、貧乏人の小作人である花子の実家や、朝市の家はまだラジオは買えませんでしたね。何かあると、大地主の徳丸家に聞きに行っていたのでしょう。そこはもう、徳丸さんは太っ腹ですから、「みんな遠慮しんで聞きに来てくれちゃ。いいずら、いいずら…。」

8_20_4
花子はいきなり放送局が用意した原稿を書き直しましたね。この時代は、原稿はすべて逓信省の確認が必要だったのですが、そこを書き直してしまうなんて花子は素晴らしい!花子が子供たちに分かりやすく書き直した原稿全文を載せます。

原文    「本日午前八時頃、京都市街の動物園において、「小櫻號」といふ名前のライオンが檻の外へ飛び出し、しばらく園内を縦横無人に歩き回りました。」「このライオンは京都で生まれ今年十三歳になります。普段はおとなしく園長さんの命令に従ふのですが、けふは園長に襲いかかり園内を恐怖に陥れたため、射殺されました。」
            ?

直した原稿 
「けさの八時頃、京都市にある動物園で、今年十三歳になるライオンが、園長さんのすきを見ていきなり、のそのそと面白がって動物園の中を歩き廻りました。」「このライオンは京都で生まれ、「小櫻號」といふ名前まで貰ってゐる位で、いつもならおとなしく園長さんの言ふ事をきくのですが、どういふわけか、けふは園長さんにかみついたりしてダダこね、みんなをこはがらせましたので、たうたう鉄砲で撃たれてしまひました。」

 花子に拍手です。いつも子供の立場で書いているので、こういったことも気が付くのでしょうね。自分の言葉で伝えたかったのでしょう。歩君も聞いていますからね。