たかたかのトレッキング

駆け足登山は卒業、これからは一日で登れる山を二日かけ自然と語らいながら自由気ままに登りたい。

水生植物と城の街・行田 9/6

2015年09月08日 | 

悪天続きになかなか見に行く事の出来ないホテイアオイ

ホテイアオイの群生は埼玉県の行田市に有ります

そこで天気予報をピンポイントで探ってみますと雨が降り出すのは夕方以降との事

と言う事で行って参りました

ところが・・・

     

左は昨年の開花の模様が紹介されていたタウン誌からお借りしました

今年はと言いますと御覧の通り緑の絨毯です


このホテイアオイは日本の気候では越冬出来ない為 花後 一旦引き揚げ

翌年の6月、地元の小学生が5000株を一斉にこの沼に投げ入れるのだとか

ホテイアオイは一日花ですから今日が良かったからと言って明日の保証は有りません

上の写真の様な光景を見たいならば暇に飽かして通うか 余程、運がよく無ければ・・・なのでしょうね

自分の運を天のせいにはしたく有りませんがともかく今年は天気が悪すぎです





     







行田市は嘗て沼の多い所でした

広大な水城公園はその名残なのでしょう

「熊に注意」の看板は良く目にしても「蚊に注意」の看板は恐らく此処だけかもしれません

ホテイアオイに落胆し公園内を一巡してみますとアサザトチカガミの水草が浮き

紅白のムクゲ彼岸花が沼を彩っていました

今日は土曜日、太公望の姿も目立ちます

このまま帰るには余りにも寂し過ぎ

忍城にでも寄って帰る事に致しましょう








ホテイアオイの有る水城公園は忍城の一角ですので歩いても行けますが

何時降ってくるか分からない空模様ですので市役所まで車移動する事にしました

ここが湿地帯である事は昔の地図を見てもお分かりですね

忍城は、そこに残る島や堤防を利用して1478年、成田顕泰により築かれました

先ずは冠木門を潜り「浮き城の径」を歩いていきますとお堀の向こうに三層の忍城が見えてきました

復元されたものですが雰囲気は十分です








忍城につきましては上に解説が有りますので省きますが一言で言えば秀吉が唯一落とせなかった難攻不落の城が忍城です

何代か城主は変わりますが残されている鐘楼の鐘は家康の孫である松平忠明が持って来た物で

それは博物館に展示されていました

と、その時



     

不意に現れたお侍

「そちはどなたじゃ」

「わしは正木丹後守と申す

 只今、紙芝居で忍城を紹介しておる、是非ご覧くだされ」

彼ら(7名)は映画「のぼうの城」をきっかけに結成した観光PR隊「忍城おもてなし甲冑隊だそうです

紙芝居や寸劇で行田の歴史を紹介しているのだとか




以前はホテイアオイが咲く水城公園までが庭園だったのでしょうね

しかし廃藩置県により城も壊され残った物は土塁のみと言う事ですから、この小庭園も想像の産物にすぎません


折角なので行田市郷土博物館を見学する事にしましょう(撮影禁止)

二階は忍城の模型や甲冑など武具、書状などが展示され

その奥には江戸時代の庶民の生活が絵や等身大の人形で解説されていました

行田は現在でも足袋の街として有名です

私の姪が行田に住んでおりまして何度か足袋の形をした煎餅を土産に持って来た事がありますが

解説書を見ますと、その足袋作りが盛んになったのは江戸時代後期からだそうです

きっと町屋を行き交う人々の往来も多い良き時代だったのでしょう

三階は明治から現代までが写真で紹介されていました

大正時代の足袋工場の写真、当時使用された手廻しミシン等々・・・

私の家にも有った何処か懐かしい文明の利器が並んでいました

最後の写真は最上階からの行田市街地の一部ですが、この眺めから武家屋敷や町屋の跡が消えたのは残念ですね






最後に徳川家ゆかりの神社を参詣し降り始めた雨の行田を後にしました


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