犬山を観光した私達は岐阜市へと向かいます
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金華山の天辺に見える岐阜城はまるで濃尾平野を睥睨するかのように凛とした姿です
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先ずは車を無料の臨時駐車場に置き長良川に向かい歩きますと
葛懸神社の裏手で戯れる巫女さんを発見
神社では七五三のご家族の姿も見られましたが、こんな所で油を売っていたら叱られるのではないですか?
と思いつつも微笑ましい光景にしばし見とれてしまいました
下の写真は神社の隣に有ります岐阜市と中国・光州市との友好都市提携10周年を記念して
平成元年に造られた中国庭園です
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こんな街の中で鵜飼が行われていたんですね
・・もう少し長閑な場所を想像していましたのでビックリ
もっとも映像で見る鵜飼は夜ですので周りのビル群は見えないですからね
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屋形船のレトロな待合所から南に延びる川原町界隈は格子戸の連なる街並みが連なっています
ここは濃尾震災や空襲の被害にもあわなかった為、江戸、明治の建物がそのまま残されているのだそうです
? 何処か、すっきり見えるのは・・あぁ電線が無かったんですね
多少の不便は有っても古い物を大切にし、それを後世に残そうとする精神は群馬としては見習わなければなりません
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取り敢えず腹ごしらえをしましょうか
入ったお店は「信長」
戦国の雰囲気を盛り上げようという意図か薄暗い個室でしたが
流れる音楽は何故かポップス
並べられた小皿は前菜ですが美味しかった~
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この石段を登って急峻な山道を1時間半、登れば岐阜城です
本当はそうしたかったのですが時間が・・・言い訳に聞こえますか?
ともかく、そう言う訳でして私達は金華山ロープウエイで楽々と
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この時期、何処へ行っても開かれているのが菊花展
岐阜公園でも御多分に漏れず開催されておりました
菊人形も信長にちなんだ物ばかり、載せた菊人形は見張り人でした
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岐阜城は見取り図でもお分かりの様にかなりの急勾配の上に建っています
ロープウエイを利用しても残り20分ほどの登りが待っています
山全体が岩盤なので道幅も狭く良くまぁ、機材も無い時代、こんな所に城を建てたものだと只々感心するばかり
まさに天然の要害、難攻不落とと言われた所以が伺われます
それにしても下から登りあげて来た人はさぞや大変だった事でしょう
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この石垣は技術の高さから信長入城後に造られたと言われ側には貯水用の井戸も残されていました
ただ金華山には湧水が無く此処に雨水を貯めていた様です
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漸く城が見えてきました
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大分、疲れました。焦らず・・・展望台で一休みしましょうか
眼下に広がる濃美平野を貫通するように長良川がゆったりと流れています
さて、落ち着いたところで、もう一踏ん張り
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嘗ては斉藤道三の居城でもあり後に織田信長の本拠地とした城、岐阜城直下までやってきました
現在の城は復元された物ですが、ここまで来る過程に岐阜城の真髄は有った気がしましたので
復元いかんにつきましたは気になりませんでした
左から斉藤道三、明智光秀、お濃の方、織田信長、最後は笏を持っているので秀吉か信長か一寸迷います
信長だと言っている人も居りますが階位を譲った織田信忠かも???
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新しいもの好きな信長はこんな物も所持していたんですね
近眼だったのでしょうか、それとも老眼? だったら親しみを感じてしまう・・・な
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やはり城は天守から眺める景色ですね
蛇行して流れる長良川の何と美しい事でしょう
点在する山々のこの景色は何処か足利を思い出させます
空気が澄んでいれば遠くアルプスの山並みまで見渡せるのだとか
美濃を制するもの天下を制す
信長は此処に立ち戦いの無い世の中を築こうとしたのでしょうか
城下町に楽市楽座を置くなどし町は大いに盛り上がったと言われます
鳴かぬなら殺してしまえ不如帰
後に謳われた三武将の其々の気性を表した句は有名ですが果たして当たっているのでしょうか
節によれば、鳴くまで待とうの家康の方が短気だったとか・・・
天から見下ろして「おいおい、そんな目で見てるのかよ」と苦笑しているかもしれませんね
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