
桐生市から太田市へ移動し中島知久平邸にやって参りました
ここは中島飛行場を立ち上げた知久平氏が両親の為に建てた邸宅であり
後に太田に本拠地を持つ「富士重工場・すばる」(現在は株SUBARU)の
創始者として名を馳せた人物がこの人なのです
因みに私が一番最初に運転した車が「すばる360」でした
今でも偶に乗っておられる方を目にする事が有ります


生涯、独身を通した知久平氏には後見人が居りませんでした
平成の初期まで住んでいた姉が持ちきれずに区に寄付したと言うこの家が
敷地面積1万㎡を越えると言う豪邸として一般の目に触れるようになったのも
未だ数年前の事でした


母屋の完成は昭和5年(1930年)
客を迎える「車寄せ」は重厚な唐破風造りで国の重文に指定されました

玄関ロビーの照明器具

ロビーの格天井は複雑に組まれ
建物全体に言えるのでしょうが大工さん泣かせの設計だった事が伺えます

現在は未だ一部だけが公開されているだけですが全面改修に向けてプロジェクトが
組まれている様ですので建物全体の見学もそう遠くではないはずです(現在は無料)

客室、居間、食道等々に囲まれるこの中庭は小規模では有りますが
中々味わい深いものが有りました

壁は全て絹織で「下がり藤」の家紋が織り込まれています




応接間の家具調度品の殆どは嵌め込み式の為、目を見張る様な物は有りませんでしたが
ステンドグラスなどの装飾品も決して華美では無く品の良さが感じられました


こちらは応接間の隣りに有ります食堂棟
窓から覗く庭を見ながら談笑していたでしょうか
陸海軍からの大量受注に栄光を讃えあったでしょうか

一端、玄関を出て中門を潜りますと建物も一変いたしました
写真の枚数が多くなりますので、次の項で紹介したいと思います
続く

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