12月8日。火曜日。快晴。
今年も。
友から・・・
『信州りんご』
おいしいのです♡♡
恒例の 『友からの愛』 が届く。
「いつも優しくして頂いてありがとう。」 とのメールまで届いた。
師走は、一年の締めくくりです。
あの方、この方へ、『一年の感謝』を表わしたいものですね。
私にも、昨日も、今日も、友人や親戚から、『お歳暮』 が届きました。
ありがとうございます。 感謝!感謝!
そして。
今日は12月8日。待降節第二火曜日。
『無原罪の聖マリア 祭日』
『無原罪の御宿り 』
バルトロメ・エステバン・ムリーリョ作品 エル・グレコ作品
お二人の画家共に、マリア様は天を見上げておられるのが印象的です。
マリアは神の特別な恵みによって、
その存在の最初の瞬間からあらゆる罪から守られていました。
これは、マリアが神の母であることに基づいています。
『被昇天』と同様、 『無原罪の宿り』 においても、
マリアはしみもしわも汚れもない『聖なる教会』の『前表』である。
11世紀。 イギリスで、『無原罪のマリア』が祝われるようになり、
やがて、それはイタリアに伝わり、
教皇ピオ9世は、これをキリスト者が守る『教義』として宣言しました。
『無原罪の御宿りの教義』は、
『マリアはイエスを宿した時に原罪が潔められた』 という意味ではなく、
『マリアはその存在の最初(母アンナの胎内に宿った時)から原罪を免れていた』 とするものである。
『おめでとう、恵まれた方。 主があなたと共におられる。』 ルカ福音書1章28節
と、天使ガブリエルから聖母マリアが言われたことには
神がともにおられるという恵みが特別にマリアに与えられていることが示されているのであり、
マリアが存在の初めから神と一致していることが示されているのです。
こうしたことから・・・
マリアが存在の初めから神と一致し、 生涯と死を通じて人のいのちの完成に至ったこと、
人類に対する『キリストの救いのわざのもっとも完全で典型的な現れ』であるとし、
そのことを示す二つの『教義』が
『無原罪の御宿り』 と 『聖母の被昇天』 であるのです。
『毎日の読書』より
『今日の入祭唱』
『わたしの魂はわたしの神によって喜び躍る。
主は救いの衣をわたしに着せ、 恵みの晴れ着をまとわせてくださる。
花嫁のように宝石で飾ってくださる。』
イザヤ書 61章10節
『今日の福音 イエスの御宿りの次第』
『そのとき、 天使ガブリエルは、 ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。
『受胎告知』 レオナルド・ダ・ヴィンチ作品
ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。
そのおとめの名はマリアといった。
天使は、彼女のところに来て言った。
「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」
『受胎告知』 エル・グレコ作品
マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。
すると、天使は言った。
「マリア、恐れることはない。 あなたは神から恵みをいただいた。
あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。
その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。
神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。
彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」
マリアは天使に言った。
「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」
天使は答えた。
「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。
だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。
あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。
不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。
神にできないことは何一つない。」
マリアは言った。
「わたしは主のはしためです。
お言葉どおり、この身に成りますように。」
『受胎告知』 アントネッロ・ダ・メッシーナ作品
そこで、天使は去って行った。』
ルカ福音書 1章26-38節
マリア様は、天使からのお告げの『受胎告知』を、どのようなお気持ちで聞かれたのでしょう。
『あなたは、おとめのままで、神の子を宿します。』
との『お告げ』です。
マリア様が、天使に言った『言葉』は、『一言』だけでした。
『どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。』 と。
続けて言われる天使の『言葉』・・・
『神にできないことは何一つない。』 を、マリアは信じました。
そして。
マリア様は、即答で、返事をなさいました。承諾なさいました。
『わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。』 と。
それは。
マリア様の 『素直な信仰』、『すべてを神にゆだねる信仰』、
の表れだったのでしょう。
『無原罪の御宿りの御方の信仰』 の表れだったのでしょう。
私たちは、
マリア様のように、
神のなさり方にお任せする信仰
を持っているでしょうか?
神様は私たち一人ひとりの幸せを願っておられる
と心から信じているでしょうか?
神様のお考えを
すべてにおいて優先しているでしょうか?
神様を素直に信じる信仰を与えて頂くように
神様に祈ってまいりましょう。
『今日の祈願』
『全能の神よ、 あなたは限りない愛によって、
おとめマリアに罪の汚れのないいのちをお与えになりました。
わたしたちのうちに残る罪の傷跡を、あなたの恵みによっていやしてください。』
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
そして、コロナ禍の中で厳しい日々をお送りの医療関係者の皆様に
心より感謝申し上げます。
今年も。
友から・・・
『信州りんご』
おいしいのです♡♡
恒例の 『友からの愛』 が届く。
「いつも優しくして頂いてありがとう。」 とのメールまで届いた。
師走は、一年の締めくくりです。
あの方、この方へ、『一年の感謝』を表わしたいものですね。
私にも、昨日も、今日も、友人や親戚から、『お歳暮』 が届きました。
ありがとうございます。 感謝!感謝!
そして。
今日は12月8日。待降節第二火曜日。
『無原罪の聖マリア 祭日』
『無原罪の御宿り 』
バルトロメ・エステバン・ムリーリョ作品 エル・グレコ作品
お二人の画家共に、マリア様は天を見上げておられるのが印象的です。
マリアは神の特別な恵みによって、
その存在の最初の瞬間からあらゆる罪から守られていました。
これは、マリアが神の母であることに基づいています。
『被昇天』と同様、 『無原罪の宿り』 においても、
マリアはしみもしわも汚れもない『聖なる教会』の『前表』である。
11世紀。 イギリスで、『無原罪のマリア』が祝われるようになり、
やがて、それはイタリアに伝わり、
教皇ピオ9世は、これをキリスト者が守る『教義』として宣言しました。
『無原罪の御宿りの教義』は、
『マリアはイエスを宿した時に原罪が潔められた』 という意味ではなく、
『マリアはその存在の最初(母アンナの胎内に宿った時)から原罪を免れていた』 とするものである。
『おめでとう、恵まれた方。 主があなたと共におられる。』 ルカ福音書1章28節
と、天使ガブリエルから聖母マリアが言われたことには
神がともにおられるという恵みが特別にマリアに与えられていることが示されているのであり、
マリアが存在の初めから神と一致していることが示されているのです。
こうしたことから・・・
マリアが存在の初めから神と一致し、 生涯と死を通じて人のいのちの完成に至ったこと、
人類に対する『キリストの救いのわざのもっとも完全で典型的な現れ』であるとし、
そのことを示す二つの『教義』が
『無原罪の御宿り』 と 『聖母の被昇天』 であるのです。
『毎日の読書』より
『今日の入祭唱』
『わたしの魂はわたしの神によって喜び躍る。
主は救いの衣をわたしに着せ、 恵みの晴れ着をまとわせてくださる。
花嫁のように宝石で飾ってくださる。』
イザヤ書 61章10節
『今日の福音 イエスの御宿りの次第』
『そのとき、 天使ガブリエルは、 ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。
『受胎告知』 レオナルド・ダ・ヴィンチ作品
ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。
そのおとめの名はマリアといった。
天使は、彼女のところに来て言った。
「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」
『受胎告知』 エル・グレコ作品
マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。
すると、天使は言った。
「マリア、恐れることはない。 あなたは神から恵みをいただいた。
あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。
その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。
神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。
彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」
マリアは天使に言った。
「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」
天使は答えた。
「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。
だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。
あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。
不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。
神にできないことは何一つない。」
マリアは言った。
「わたしは主のはしためです。
お言葉どおり、この身に成りますように。」
『受胎告知』 アントネッロ・ダ・メッシーナ作品
そこで、天使は去って行った。』
ルカ福音書 1章26-38節
マリア様は、天使からのお告げの『受胎告知』を、どのようなお気持ちで聞かれたのでしょう。
『あなたは、おとめのままで、神の子を宿します。』
との『お告げ』です。
マリア様が、天使に言った『言葉』は、『一言』だけでした。
『どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。』 と。
続けて言われる天使の『言葉』・・・
『神にできないことは何一つない。』 を、マリアは信じました。
そして。
マリア様は、即答で、返事をなさいました。承諾なさいました。
『わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。』 と。
それは。
マリア様の 『素直な信仰』、『すべてを神にゆだねる信仰』、
の表れだったのでしょう。
『無原罪の御宿りの御方の信仰』 の表れだったのでしょう。
私たちは、
マリア様のように、
神のなさり方にお任せする信仰
を持っているでしょうか?
神様は私たち一人ひとりの幸せを願っておられる
と心から信じているでしょうか?
神様のお考えを
すべてにおいて優先しているでしょうか?
神様を素直に信じる信仰を与えて頂くように
神様に祈ってまいりましょう。
『今日の祈願』
『全能の神よ、 あなたは限りない愛によって、
おとめマリアに罪の汚れのないいのちをお与えになりました。
わたしたちのうちに残る罪の傷跡を、あなたの恵みによっていやしてください。』
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
そして、コロナ禍の中で厳しい日々をお送りの医療関係者の皆様に
心より感謝申し上げます。