12月4日。金曜日。晴れ。
2週間前の11月18日・・・ 『緑のままのもみじ』

そして。
今日。
12月4日・・・ 『紅葉したもみじ』

朝陽が当らない部分の緑色のもみじ、いよいよ紅葉して・・・
今年の我が家の紅葉狩りも最後です。
庭の様子も世の中の様子もめまぐるしく変わっていく、コロナ下の12月。師走。
わたしの心は、 揺らぐことなく、 変化に対応しつつ、 どっしりと居座っていよう。
今日も、美しい『神の業』 に癒されました。
感謝!感謝!
そして。
今日は12月4日。待降節第一金曜日。
『今日の入祭唱』
『見よ、 主は輝きを持って来られる。
平和のうちにご自分の民を訪れ、 永遠のいのちを与えてくださる。』
『今日の福音 イエスの御言葉』
『そのとき、 イエスが そこからお出かけになると、
二人の盲人が叫んで、

「ダビデの子よ、わたしたちを憐れんでください」
と言いながらついて来た。
イエスが家に入ると、 盲人たちがそばに寄って来たので、
「わたしにできると信じるのか」 と言われた。
二人は、 「はい、主よ」 と言った。
そこで、
イエスが 二人の目に触り、

「あなたがたの信じているとおりになるように」 と言われると、
二人は目が見えるようになった。
イエスは、「このことは、だれにも知らせてはいけない」 と彼らに厳しくお命じになった。
しかし、二人は外へ出ると、その地方一帯にイエスのことを言い広めた。』
マタイ福音書 9章27-31節
今日は、イエス様が、
『二人の盲人』の『信仰』を確認した後に、 二人を癒された話です。
私も考えてみました。
まずは。
当時のイスラエルには、沢山の盲人がいたことでしょう。
その中で・・・
『二人の盲人』だけは、 『ダビデの子よ、わたしたちを憐れんでください。』
と叫びながら、イエスの後を追いかけてきました。
『ダビデの子』とは、当時の人たちが『救い主・メシア』を呼ぶための『敬称』でした。
『二人の盲人』は、 イエスこそ『救い主・メシア』 である、 と願っていたのでしょう。
次に。
イエスは、すぐに『二人の盲人』を癒すことなく、家の中に入りました。
しかし・・・
『二人の盲人』は、 決して諦めることなく、 家の中にまでイエスの後を追いかけました。
その家の中で、 『二人の盲人』はイエスと直接に話をして、 イエスを完全に信じたのです。
『信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。』
ローマの信人への手紙 10章17節
イエス様は、 『二人の盲人』の『信仰』 を試されたのでしょう。
改めて。
イエスは、 『わたしにできると信じるのか』 と、 『二人の盲人』に尋ねたのです。
今度は・・・
『二人の盲人』は、 『はい、主よ。私たちは信じます。』 と答えたのです。
『主』とは、 イエスを神の子と認め、イエスへの『信仰』ができた『信仰者』が呼ぶ、 『敬称』です。
『信仰者』とは、 イエスにおいて神がなさる『神の業』、 を見る人、信じる人です。
最後に。
イエス様は、 『二人の盲人』の『信仰』を認めて、 二人を癒されたのです。
イエス様は、 『あなたの信仰があなたを救った。』 マルコ福音書10章52節
と、ご自分への信仰がある者を救ってくださるお方です。
私たちも、
二つの目は
神の造られたうつくしい『神の業』、
神のなさる『愛の業』、
を見分けるために与えられているのです。
イエス様は、
私たちの『信仰の目』を開くために
この世に来られたのです。
私たちは『よく見える目』になるために、
聖書から『キリストの御言葉』を聞きながら
目を開いていただきましょう。
『今日の祈願』
『いのちの源である神よ、
わたしたちが、過ぎゆくものを正しく理解し、
あなたの変わらぬいつくしみをたたえることができますように。』
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
コロナ禍の中での12月を、巡り来る季節を楽しみながら、お過ごしください。
皆様の週末が、恵み豊かな日々でありますように。 お元気で!
2週間前の11月18日・・・ 『緑のままのもみじ』

そして。
今日。
12月4日・・・ 『紅葉したもみじ』

朝陽が当らない部分の緑色のもみじ、いよいよ紅葉して・・・
今年の我が家の紅葉狩りも最後です。
庭の様子も世の中の様子もめまぐるしく変わっていく、コロナ下の12月。師走。
わたしの心は、 揺らぐことなく、 変化に対応しつつ、 どっしりと居座っていよう。
今日も、美しい『神の業』 に癒されました。
感謝!感謝!
そして。
今日は12月4日。待降節第一金曜日。
『今日の入祭唱』
『見よ、 主は輝きを持って来られる。
平和のうちにご自分の民を訪れ、 永遠のいのちを与えてくださる。』
『今日の福音 イエスの御言葉』
『そのとき、 イエスが そこからお出かけになると、
二人の盲人が叫んで、

「ダビデの子よ、わたしたちを憐れんでください」
と言いながらついて来た。
イエスが家に入ると、 盲人たちがそばに寄って来たので、
「わたしにできると信じるのか」 と言われた。
二人は、 「はい、主よ」 と言った。
そこで、
イエスが 二人の目に触り、

「あなたがたの信じているとおりになるように」 と言われると、
二人は目が見えるようになった。
イエスは、「このことは、だれにも知らせてはいけない」 と彼らに厳しくお命じになった。
しかし、二人は外へ出ると、その地方一帯にイエスのことを言い広めた。』
マタイ福音書 9章27-31節
今日は、イエス様が、
『二人の盲人』の『信仰』を確認した後に、 二人を癒された話です。
私も考えてみました。
まずは。
当時のイスラエルには、沢山の盲人がいたことでしょう。
その中で・・・
『二人の盲人』だけは、 『ダビデの子よ、わたしたちを憐れんでください。』
と叫びながら、イエスの後を追いかけてきました。

『二人の盲人』は、 イエスこそ『救い主・メシア』 である、 と願っていたのでしょう。
次に。
イエスは、すぐに『二人の盲人』を癒すことなく、家の中に入りました。
しかし・・・
『二人の盲人』は、 決して諦めることなく、 家の中にまでイエスの後を追いかけました。
その家の中で、 『二人の盲人』はイエスと直接に話をして、 イエスを完全に信じたのです。
『信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。』
ローマの信人への手紙 10章17節

改めて。
イエスは、 『わたしにできると信じるのか』 と、 『二人の盲人』に尋ねたのです。
今度は・・・
『二人の盲人』は、 『はい、主よ。私たちは信じます。』 と答えたのです。

『信仰者』とは、 イエスにおいて神がなさる『神の業』、 を見る人、信じる人です。
最後に。
イエス様は、 『二人の盲人』の『信仰』を認めて、 二人を癒されたのです。

と、ご自分への信仰がある者を救ってくださるお方です。

私たちも、
二つの目は
神の造られたうつくしい『神の業』、
神のなさる『愛の業』、
を見分けるために与えられているのです。
イエス様は、
私たちの『信仰の目』を開くために
この世に来られたのです。
私たちは『よく見える目』になるために、
聖書から『キリストの御言葉』を聞きながら
目を開いていただきましょう。
『今日の祈願』
『いのちの源である神よ、
わたしたちが、過ぎゆくものを正しく理解し、
あなたの変わらぬいつくしみをたたえることができますように。』
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
コロナ禍の中での12月を、巡り来る季節を楽しみながら、お過ごしください。
皆様の週末が、恵み豊かな日々でありますように。 お元気で!