マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

あと9日で・・・『博士達イエスを拝む』 そして 『ヨハネが来て義の道を示したのに、祭司長や民の長老たちは彼を信ぜず、徴税人や娼婦たちは信じた。』

2020-12-15 22:00:00 | 待降節。クリスマス。降誕節。四旬節。聖週間。復活節。
12月15日。火曜日。曇り。

寒さが急に増してきた今日。

今年はホワイトクリスマスとなるだろうか?
昔は・・・夜半のクリスマスミサを終えて外に出ると
雪が降っていました。
家族で、雪の舞い散る真夜中、
家まで聖歌を歌いながら帰ったものでした。


               『博士達イエスを拝む』
     
              小磯良平作品       我が家にかかる版画


    『イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。
    そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。
      ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおられますか。
       わたしたちは東方でその方のを見たので拝みに来たのです。」


             占星術の学者たちが出かけると、
     東方で見たが先立って進み、ついに幼子のいる場所に止まった。
           学者たちはそのを見て喜びにあふれた。
         家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。
           彼らはひれ伏して拝み、宝の箱を開けて、
           黄金、乳香、没薬を贈り物として捧げた。』

                 マタイ福音書 2章1-11節


 誕生したイエス・幼子を、最初に見た方たち・異国の占星術の学者は、異邦人でした。
誕生したイエスは、異邦人・異国の占星術の学者たちによって、 初めて、『王』として認められたのです。

  『博士たち』は、司祭階級に属し、天文学者でもあり、政務にもたずさわっていた方たちでした。
     何よりも、
        待ち望んでいるユダヤ人の王に一目お会いしたい!” 
          ・・・と、
         主が来られるのをひたすら待ち望む方たちだったのでしょうね。    


      世界で初めて、神の独り子・イエスの誕生を見て、 そして 『王』であると認めた人が、
          それを一番待ち望んでいたであろう『ユダヤ人』ではなく
            素直な心で待ち望んでいた『異邦人』であった。
        驚く事実ですが・・・神様はそこに何を意図なさったのでしょうか?
           『幼子イエスの誕生』は、正に、『神の神秘』です。
      現在に生きる私たちも、素直な心で、『神の御計画』を受け入れたいものですね。
  


       私も、今宵、夜10時に外に出て、 空を見上げてみました。  
        漆黒の空にただ一つ  美しく輝いていました。
             『一等星』でしょうか?
   赤ちゃんイエス様のに早くお会いしたいですね。あと9日です♡ 楽しみです♡


そして。

今日は12月15日。待降節第三金曜日。

『今日の入祭唱』

  『わが神なる主は、聖なる御使いたちと共に、あなたのもとに来られる。
    そのときは昼もなければ、夜もなく、夕べになっても光がある。』

          ゼカリア書 14章5&7節


『今日の福音 イエスの御言葉』

     『そのとき、イエスは 祭司長や民の長老たちに言われた。
 

        「ところで、あなたたちはどう思うか。
    
ある人に息子が二人いたが、 
   彼はのところへ行き、
    『子よ、今日、ぶどう園へ行って働きなさい』  と言った。
    兄は『いやです』と答えたが、  後で考え直して出かけた。

   のところへも行って、  同じことを言うと、
    弟は『お父さん、承知しました』 と答えたが、 出かけなかった。


     この二人のうち、どちらが父親の望みどおりにしたか。」
      彼らが 「兄の方です」 と言うと、
イエスは言われた。
         「はっきり言っておく。
   徴税人や娼婦たちの方が、あなたたちより先に神の国に入るだろう。
 なぜなら、
        ヨハネが来て義の道を示したのに、
 あなたたちは彼を信ぜず、 徴税人や娼婦たちは信じたからだ。
        あなたたちはそれを見ても、
     後で考え直して彼を信じようとしなかった。」』
          マタイ福音書 21章28-32節


今日の福音の意味は
こういうことでしょうか。

   ある人の息子の兄は、
   父の勧めの言葉:『子よ、今日、ぶどう園へ行って働きなさい』に対して・・・
     最初は『いやです』と答えたが、 後で考え直して出かけました。
         父親の望み通りにしました。

      同様に・・・
   
   徴税人や娼婦たちは
   洗礼者ヨハネの話:『義の道』 を聞いて・・・
     最初は『理解できなかった』でしょうが、 後で考え直してヨハネを信じました。
         神のお望み通りにしました。


      兄と徴税人や娼婦たちの『共通点』は何でしょうか?
        最初は、自分の考えで動いた。 
        次に、 考え直して、父や神の意見に従った。
         素直に、 『自分の考えを改めた』点ではないでしょうか。


一方。

   ある人の息子の弟は、
   父の勧めの言葉:『子よ、今日、ぶどう園へ行って働きなさい』に対して・・・
     すぐに『お父さん、承知しました』と答えますが、 最後まで出かけませんでした。
          父親の望み通りにはしなかったのです。

     同様に・・・

   祭司長や民の長老たちは、
     洗礼者ヨハネの話:『義の道』を聞いて・・・
       最初から、最後まで、ヨハネを信じませんでした。
     徴税人や娼婦たちが信じる姿を見ても・・・
       最後まで、我が身を反省して、改心することがなかったのです。
         神様のお望み通りにはしなかったのです。  

    
      弟と祭司長や民の長老たちの『共通点』は何でしょうか?
        最初は、相手の言うことを熟慮することなく、相手の考えを聞いた。 
        次に、 父や神の意見を尊重することなく、相手の考えを聞き流した。
         かたくなに、 『自分の考えに固執する』点ではないでしょうか。   


    『素直さ』は、『進歩』を導きます。  『かたくなさ』は、『停滞』を意味します。
       私たちに常に呼びかけて下さる『父親』は、『神様』なのです。


私たちも、
自分はいつまでも不完全な者である
と認める『素直さ』が大切なのです。必要なのでしょう。
不完全さを認めるところには、常に、『反省』が伴います。
『反省』のある所に、神様が働いてくださるのです。
『反省』に、神様が与えてくださる『助言』を聞き入れる、『余裕』が生まれるのです。
自分の考えに固執することなく、『進歩』し続けたいものですね。


『今日の拝領唱』

  『正しい審判者である主が、
    主が来られるのをひたすら待ち望む人には、
       義の冠を授けてくださいます。』

          テモテへの手紙Ⅱ 4章8節

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
おとめマリア様は、ひたすら、我が子の誕生をお持ちになったことでしょう。
私たちも、あと9日、イエス様の誕生を待ち望みましょう。
何か良いことがありそうですね。ありますきっと。  お元気で!