マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

朝の小径・・・人生色々。 そして 『聖ヨハネ(十字架の)司祭教会博士 記念日』・・・『ヨハネの洗礼はどこからのものだったか。』

2020-12-14 07:00:00 | 自然・花々・樹木・ガーデニング・畑
12月14日。月曜日。曇り。

朝七時

   真っ赤に・・・     『サザンカの落ち花』
   
               朝の小径を美しく彩ります。 
              その赤色に元気をもらいます。


               駅に急ぐ働く人や学生たち。 
          ”人の数だけ、それぞれの人生の数があるね!
       真っ赤な落ち花に元気をもらって、 行ってらしゃ~い!”

         
           コロナ禍に始まり・・・終わろうとしている今年。
             そんな中で
        今日も頑張る人たちを見送りながら、感動して、 
            ”エール” を贈りたくなったウォーキング中の私でした。


そして。  

今日は12月14日。待降節第三月曜日。


         『聖ヨハネ(十字架の)司祭教会博士 記念日』
 

1542年。 十字架の聖ヨハネは、スペインのアビラ近郊の町フォンティベロスでまれる。
    生後まもなく、父親を失いました。このため、家族は生きるすべを探しながら転々とし、
          ヨハネは、幼少のころからメディナにある孤児院に入れられて育ちました。
            この間、ヨハネは病院でペスト患者を助け、
          その一方でイエズス会の学校に通って勉学に励みました。

1563年。21歳。 メディナにあったカルメル修道会に入会し、サラマンカで哲学神学を学びました。
1567年。25歳。 『カルメル会』の改革にあたっていた、アビラの聖テレジアに出会う。
          テレジアは、改革の協力者となるよう、ヨハネを熱心に招きました。
            ヨハネはテレジアの招きに応じ、神学の課程を終えた後、
              テレジアとともに、バッラドリッドに移り、
            『跣足カルメル修道会』 のあり方について深めました。

1568年。28歳。 更に、バッラドリッドからドゥルエロに行き、
              農家の小さな小屋で、新しい『奉献生活』を始めました。

  ヨハネの精力的なはたらきもあって、『奉献生活』の『新しい生き方』、 は広まっていきますが、
      大きくなるとともに、カルメル修道会内における法的問題が生じていき・・・
       この問題がもとで、ヨハネは8カ月以上にわたってに入れられますが、
     その後はさまざまな責任職を担いながら、忍耐強く問題の解決に尽力しました。

     晩年のヨハネの生活は、 さらに苦難に満ちたものになっていきます。
        それでも、改革の仕事を最後まで続行しました。

1591年。49歳。 ヨハネは、最後まで、 温順と堅忍をもってすべてを受け入れ、
            地上での務めを終えたヨハネは、ウベダで死去。

1593年。死後2年後。  ヨハネの遺体は、セゴビアに移され、
              今も、『跣足カルメル修道会』の教会に眠っています。

    ヨハネの傑出した霊性 と 英知を示す、優れた『霊的著作』 を残した。
                 『毎日の読』より


『今日の入祭唱』

  『このわたしには、わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、
      誇るものが決してあってはなりません。
この十字架によって、世はわたしに対し、わたしは世に対してはりつけにされているのです。』

              ガラテヤの信徒への手紙 6章14節


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、 イエスが 神殿の境内に入ってえておられると、
        祭司長や民の長老たちが近寄って来て言った。
 

「何の権威でこのようなことをしているのか。だれがその権威を与えたのか。」
イエスはお答えになった。
        「では、わたしも一つ尋ねる。
それに答えるなら、わたしも、何の権威でこのようなことをするのか、あなたたちに言おう。

         ヨハネの洗礼はどこからのものだったか。
        天からのものか、それとも、人からのものか。」


彼らは論じ合った。
 「『天からのものだ』と言えば、『では、なぜヨハネを信じなかったのか』と我々に言うだろう。
  『人からのものだ』と言えば、 群衆が怖い。 皆がヨハネを預言者と思っているから。」
そこで、彼らはイエスに、
            「分からない」と答えた。
すると、イエスも言われた。
      「それなら、何の権威でこのようなことをするのか、わたしも言うまい。」』
            マタイ福音書 21章23-27節   

今日は、
私はこんな風に考えました。


    イエス様は、神様です。 
    イエス様は、神の御心も、御自分の使命も、よくご存じです。
    私たちは、人間です。
    私たちは、神様の御心も、イエス様の権能も使命も、なかなか理解することができません。


   そんな私たちは、
   自分の至らなさ、知識や理解の不足、自分の間違い、 等を認める必要があるのでしょう。
   イエス様は、
   私たちの弱さをよくご存じでも、私たちを責めることなく、私たちの反省を促すのです。
    『あなた方が私の質問に素直に答えないなら、私も答えないことにしましょう。』
       ・・・と、上手に、反省と改心を促してくださるのです。導いてくださるのです。


私たちも、
素直になって・・・
自分のいたらなさを反省しましょう。
間違いの多いことを認めましょう。
そうすれば・・・
改心ができることでしょう。
きっと神様が導き、助けて下さいますことでしょう。


『今日の祈願』

   『愛の源である神よ、
あなたは、聖ヨハネの生涯を通して、十字架の神秘の偉大さを示して下さいました。
      わたしたちが、いつもキリストに結ばれて、
    人々の救いのために力強く働くことができますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
今年も残すところ2週間と2日になりました。
師走で、私もなんとなく走り回っています。 お元気で!