まりはな屋

地方都市で、清貧生活  

可愛いこ

2020年05月28日 21時32分00秒 | 日々雑感
同僚と、「昆虫食」の話になった。

どこからそんな話になったかは置いといて。

田舎育ちなのでイナゴの佃煮は、子どもの頃に食べた。

長野に行ったとき「ハチノコは食べなければ」と力んで食べたが

かなり佃煮っぽく、想像していたような幼虫感はなかった。

というような話をしていたら同僚が「おかいこさんとかね」と言ったので

「やっぱり、『おかいこ』って言うよね!」

例えばですよ。

アリさんとか、蝶々さん・・・なんて言い方はするでしょう。

でも「お」まで付けて呼ばれる虫が他にいるでしょうか。

いや、いない。

犬だって猫だって「お」を付けて呼ばれることはない。

昔は「お犬様」だったけど。

「お猿さん」とは言うけれど、類人猿だからという親しみと

ほんの少し、からかいの気持ちがあったりする。

でも「おかいこさん」は違う。

もう、すごく大事にしてるのだ。

やっぱり、生活を豊かにしてくれたからなんだろうか。

でも蜂蜜を集めるミツバチに「お」は付けない。

小さな幼虫が脱皮を繰り返し、糸を吐いて繭になる。

その繭が美しい絹を生み出す。

そんな神秘性と、繭のまま煮てしまうことへの申し訳なさが

蚕に「お」を付け「さん」を付けさせたのだろうか。

信仰とも結びついているというし。

子供の頃、母親がどこからか蚕の繭をもらってきたことがある。

机の上に置いて、生きてるんだろうかと毎日眺めていたが

夜中に繭から蛾が出てきたときは大興奮だった。

つぶらな瞳で羽根を震わせていたが、飛びもせずほどなく死んでしまった。

そもそも成虫には口がなく、生殖が終わればすぐに死んでしまうのだ。

好きな俳句がある。

『吹く風に 顔を上げたる 捨蚕かな』  倉田紘文

「捨て蚕」(すてご)というのは春の季語で、病気になって捨てられた蚕のことだそうだ。

哀れなのだが、その風は気持ちの良い風だったように感じるのは

きっと作者も「おかいこさん」が好きだったんだろうと思うからだろうか。