まりはな屋

地方都市で、清貧生活  

配慮しすぎてもしなさすぎても

2024年02月17日 19時15分24秒 | テレビの話
「昭和の価値観」とか「令和の価値観」とか聞くと

おいおい平成はどこ行った?

と、いつも思う。

そして昭和は良かったとか,昭和の価値観などが話題になると

昭和のどこ?と思う。

とにかく昭和は長かったので、戦前戦後高度経済成長と

どこを切り取るかで価値観も全く違うはずだ。

そしてよく昭和と言えばバブル世代と言われがちだけど

実際は昭和から平成にかけてで、バブルの象徴のように言われる「ジュリアナ東京」に至っては

平成にオープンして、平成にクローズしている。

平成のはじめの10年くらいは、昭和の雰囲気を引きずっていたと思う。

それはさておき。

「不適切にもほどがある」というドラマを楽しみに見ているのだけど

毎回、何度も笑ってしまう。

昭和が良かったとか間違ってるとか、令和が正しいとか息苦しいとかじゃなくて

世代がどうとかいうことでくくって過剰に配慮しても、問題は解決しないよね?

ということを、説教臭くならないように笑いに変えてくれている。

1980年代以降をリアルタイムで過ごした人間にとっては

昭和ってこんなだった?という答え合わせをしたり

昭和っぽさをうまくファンタジー化してるなーと感心したり出来るけど

リアルタイムで知らない世代にとっては、ただただ昭和のパワーを

羨ましいと感じるか、野蛮と感じるか、理解不能に陥るか・・・なのかな。

どうだろう。

このドラマについて同世代とも別の世代とも話したことがないから分からない。

共有しないで一人で楽しみたいかも。

「地上波でおっぱいが見たいんだ」という台詞に吹き出してしまったけど

いや、昭和だってテレビでおっぱいを見るのは大変だったのだ。

まず、テレビは一家に一台の時代は親が寝るまで「11PM」も「トゥナイト」も見られない。

家族で見ているドラマのラブシーンでおっぱいが出てくると、気まずさ全開だし。

そう思うと現代のほうが、スマホでおっぱいどころかなんでも見られるでしょう。

本当に昔のドラマって、なにかにつけて女性の裸が出てきたなぁ。

二時間ドラマのサスペンスには温泉が出てきて、若い女の子が出たり入ったりしてたし。

わたしが嫌だったのは、時代劇でもよくあったのだが若い女性が暴行を受けるシーンだ。

社会的な正義とか問題意識なんかこれっぽっちもなく、ただお茶の間に裸を届けるための

エロを見せる仕掛けとしてのもっともらしいシーン。

そういうシーンが喜ばれるという、需要あっての供給だと思うと本当に嫌。

映画なんかでも、脱ぐと一人前の女優なんて評価を受けたりしていたけど今でもそういう風潮ある。

「不適切にもほどがある」での「インティマシー・コーディネーター」を見て

今ってそんな時代なの?そんな必要ある?と思うか、そうだよなー、やっぱこういうの大事・・・と思うかは人それぞれ。

ただ、昔と違うのは脱いだらそれが未来永劫残るということ。

若気の至り、青春の思い出、減るもんじゃなし・・・で済んだ時代は去ったのだ。

軽い気持ちで脱いでも永久に残る。

断り切れずに脱いでも永久に残る。

お金目当てでも、身体に自信があったからでも、みんなが褒めてくれても

どんな理由で脱いでも永久に残る。

脱ぐ自由があってもいいと思うけど、それは永久に残るということなのだから

無理に脱がせたり、そういう雰囲気に持っていったりして脱がせてはダメ。

昔は良かったという人におじさんが多いのはなぜなのだろう。

それはおじさんが堂々と威張り散らしていられたからじゃないかしら。

昔って、どのへんの昔か知らないけど。

昔は暮らしに困ったら、親や家族のために売られる娘がいたことを考えると

昔が良かったなんて、簡単に言って欲しくない。

そんなの本当の昔じゃないかというかもしれないけど、それほど昔のことじゃないのだから。

話はずれたけど、「不適切にもほどがある」は面白いけど危険なドラマだ。

配慮が必要と思っていた年下の同僚に、最近

「なんでこっちばかりが配慮?」と感じてしまうことが多くなった。

いや、ドラマのせいじゃないですね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

聞かないわけは

2024年02月17日 17時21分44秒 | 日々雑感
出産で、自身の家族が増えた報告をするときに

性別を公表しない芸能人が多くなった気がする。

プライベートなことだし、防犯というか子の安全を考慮してということもあるだろう。

かと思えば、「元気な男児が誕生」とか「長女を授かりました」などという報告もあり

まあ、人それぞれである。

最近は「性別はこの子が決めることだから」という風潮もあるし。

そういうこととはあまり関係なく、数年前からわたしは

知人の出産報告を受けても実際に赤ちゃんを見せに来てくれても性別を聞かなくなった。

理由は「聞いても意味が無い」と思うようになったからだ。

以前は赤ちゃんの性別を聞くときに「女の子ですか?」と聞くのが良いとされていた。

それは女の子に「男の子?」と聞いてしまうと失礼だからという、わりとつまらない理由かららしい。

赤ちゃんの時から女の子っぽく可愛く見えないとダメなのか?

そんなことないでしょう。

というか、別にいくつになってもそんな必要ないでしょう。

性別を聞く人の中には相手が男児と分かると

「それは何よりですね、跡継ぎが出来て」なんて言ったり

女児と分かると「お嫁に出すとき泣きますね」とか「親の面倒見てくれるからいいですね」とか

他人が何をごちゃごちゃと。

性別を尋ねるのは、どちらだかよく分からないからなんだから

じゃあどっちだっていいじゃん、とわたしは思うのだ。

どちらか分かったところで、可愛いね、おめでたいねということに変わりはなく

どちらだったにしろ、意味が生じないので聞く必要がない。

まあ、それはわたしにとって・・・であるから

聞きたい人は聞いたらいいとは思う。

答えるかどうかは、相手の自由だし。

先日、同僚から「妻が妊娠しまして」と報告されたときも

わあ、おめでとう!と心からお祝いの気持ちを述べつつも

性別を聞こうともしないわたしに、彼の方から

「なんか、まだどっちか分からないみたいです」

もしかして聞いて欲しかったか?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする