УРАЧКА!!

雑文・駄文なお気楽日記です。よろしゅーに。

光と影

2012-11-29 19:44:48 | 映画
♪君は光、僕は影〜、離れられない2人の絆〜♪
って、ベルバラだったか??
いよいよ、もうじき師走で、世間はクリスマス!!
クリスマス電飾があちこちで輝いております。
が、私は、基本的に、別にどーでもいいというか^_^;
電気代の方が気にかかるというか(笑)
ま、わざわざ、見に行くっていうのもまずないし、会話の中で、
「へぇ〜、ほぉ〜、ふぅ〜ん、綺麗だよね(←棒)」と、
まぁ、調子を合わせる程度で、そんなに興味もなしです。
で、TOPの写真は、昨日たまたま通ったとある歩行者通路にあった街灯・・・
これを見た瞬間、「おぉぉぉ〜、なんか灯台みたいでいーじゃないですかっ!!」と思ったのですな。
まー、私の写真では、その素敵雰囲気が出せてないので、なんですが。
クリスマスのと同じく、電気と明かりという素材なのに、何故こっちに心が惹かれるのか?とちょいと考えてみたのですが(←ヒマ・・・)
思うに、私の感じる、電気というか明かりの「素敵〜」というツボ・ポイントは、色が多いとか電球の数とか明るさ、ではなくて、「光と影のバランス」というか、「影をいかに生かすか?」というところにあるのではないか?と思い当たったわけです。
クリスマス電飾は、まぁもちろんそうでないのもあるだろうけど、「光ですべてを描く」方式が多いように思います。
影というか闇の部分は背景で、暗幕扱い。
でも、この街灯の場合は光と影が対等というか、影を表すために光がある感じっていうか。
そーいうところに、多分、私は惹かれるんでしょうな。

と、まぁ電飾だけじゃなくて、そんな事を感じた昨日今日なんですが・・・

昨日は、夜にCさんとサイボーグ009の映画版を見に行ってきました。

【本予告編】 映画『009 RE:CYBORG』(サイボーグ009)


2Dが良かったんだけど、もう3Dしか上映がなくてねぇ。
で、結論的に言えば、やはり2Dで十分というか別に追加料金払って3Dで見る必要もないです、って、まぁほとんどの映画がそうなんですが。
特に、セル画絵の日本アニメは、3D化してもあんまりその意義を感じないっていうか、キャラが平面的なので3Dで活かせるのって背景とかが主になるんだけど、そーなるとそれほどより効果感が薄れるっていうか、別にそーいうのを見るのが主目的じゃなくて、やはり観客が見るのは「キャラクター」なんであってねぇ。
背景が主張しすぎてもなんだと思うんですよ。
おまけに、目と頭疲れるしさ。
3Dって、いい事あんまりないのぉ〜。なんで世間は3Dばかりなんだろう??
内容的には、「言いたい事は判るけど〜^_^;なんか、今ひとつ「中2病」っぽい感じ?」という(笑)
島村ジョーが高校生っていうのには、今回の絵的にもちょいと無理が^_^;
さらに、詰襟似合わん^_^;
早く、いつものユニフォームにしろよ、その方が似合ってるよ〜と、ついついつっこみを入れたくなるのでありました。
002のジェットが、なんか「逆襲のシャア」あたりのシャア・アズナブルみたいでございました〜。
003はイケイケ系(爆)だし。
そして、ギルモア博士が、超・美老人に(爆)
でもまぁ、イワン(001)が可愛かったから、まっ、いいか(爆)美赤ん坊でした(爆)

で、今日は、これを見てきたのです。

映画『シルク・ドゥ・ソレイユ3D 彼方からの物語』予告編


こっちも3Dで、というか最初から3Dのみなんですな。
でもまぁ、こっちは3Dにする意図は判るは判るっていうか。
目の前でパフォーマンスを見る的な意図があるんだろうからなぁ。
私は、シルク・ドゥ・ソレイユ、名前くらいしか知らないのですが、たしかにパフォーマンス的にはスゴイですね〜。
サーカスのアクロバット+バレエ+パントマイム+舞台演劇、とかいろんなエンターテーメント的パフォーマンスをMIXした感じで。
でも、この映画に関して言えば、ケッコー退屈(爆)
でも、目の前で舞台としてシルク・・・を見ていたとしたら、きっと、この映画のように「退屈」なんて思う事は決してナイと思うのですよ。
人間とは思えぬスゴサはあります、が、映画の作りが今ひとつ工夫がないのでねぇ。
思い切って、ドキュメンタリーにしちゃうとか、なんかすればいいんだけど、延々90分山場PVを続けれている感じの映画でね。
一応、PVっていうわけじゃなくて、不思議な世界に迷い込んでしまった少女が、彼を探す的な物語があるはずなんだけど・・・
こーいう映画だから、脚本的にはシンプルな方がいいのかもしれないけど、あーまりにもシンプルすぎるっていうか(爆)どうでもいい、っていうかねぇ。
人間って贅沢なので、どんなにスゴイ映像でも見続けてると慣れちゃうんだよねぇ〜。
例えるなら、「黒毛和牛の高級ロース肉食べ放題」で、ホントにロースだけを焼いて、しかも味付けは塩のみ、ごはんもナシ、肉だけ、で延々1時間食べたとします。
で、同じ1時間、同じ肉を半分、あと半分は野菜とかタンとかハツとか食感の違う部分の肉+ごはん、焼肉のタレも数種類違うのがあり、という状態で食べた場合と、満足度というか「あー美味しかったねぇ」と、心から思うのってどっちか?という事と似ていると思うのだな。
値段的に考えたら、肉だけの方がたしかに食べ放題としてはお得だと思うけど、お金じゃなくて「美味しかった」という、心の満足度から考えたら・・・
他にもいろいろあった方がいいんじゃないかな?と思うのですな。
という感じで、凄いパフォーマンスでも延々延々それが続くと「飽きる」んですよ〜。
舞台なら、もちろん違うと思うけどね。ナマのエネルギーがあるっていうか。
という感じで、映画も「光と影」というか、緩急というか強弱というか、そーいう差があるからこそ、面白いんだなぁ〜と思ったわけです。
音楽も似てると思うけど・・・
そうだな〜、例えば、典型的な四楽章からなる交響曲とかで例えると・・・
(ベトベンの7番とか、ドヴォルザークの9番とか)
第一楽章は序章だけあって、静かな中にメインとなる骨格が見え始めてきて、これから先の展開をワクワクと予想させる感じ。
第二楽章は全体に暗めなトーンで、やや悲しめで鎮魂・鎮痛的な重い感じ。
第三楽章はリズミカルでトーンは明るめ、親しみやすい感じになってきて・・・
第四楽章は、ド派手(爆)ぶちかませ〜っ!!!的な盛り上がり。

・・・という感じで、例えると・・・
「009」の映画版は、第一楽章→第二楽章→第二楽章→第二楽章、で、あれ?このままで終わり?^_^;っていう感じ。
「シルク・ドゥ・ソレイユ」は、第一楽章→第四楽章→第四楽章→第四楽章、で、置いていかれて終了^_^;
おまけで、「ヱブァンゲリヲンQ」は、第四楽章→第二楽章→第三楽章→第一楽章、っていう感じで、最初に掟破り(?)で第四楽章でド肝を抜かれ、そのあととことん落とされても最後に第一楽章が来てるので、結果として「あー、次が楽しみねぇ」ってなってくるわけだ。
ってわけで、「光と影」は、バランスが大切なんだねぇ〜と思った本日でございました。
コメント
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