УРАЧКА!!

雑文・駄文なお気楽日記です。よろしゅーに。

文章化

2012-11-15 20:23:54 | 日記
森光子さんがお亡くなりになったそうで・・・
で、今日のスポーツ紙の一面ほとんどが、このネタで、ワールドカップ予選のオマーンVS日本、じゃないっていうのがなんとも・・・というかねぇ。
それだけ、日本人にとってはインパクトがあるんだろうねぇ〜。
しかし、92歳ですか〜、思い出す森光子さんの画像というか、絵は、とーてもそんなには見えなかったねぇ〜。
それにしても、改めて、当たり前なんだけど、人間っていつかは誰でも亡くなるもんなんだなぁ〜と思ったりして。
頭では、理屈では判ってるんだけど、なんだかあんまり普段は実感がないっていうかねぇ〜。

で、他のニュースネタとしては・・・
逗子市で、元カノを殺して自分も自殺したストーカー殺人の事件があって、警察の捜査とかにも問題があったようで。
被害者が生前「警察が頼りにならない」って言ってたのもあるけど、警察ってあんまり積極的には動かないですよ、ホント。
少なくとも、「予防的観点」からはほとんど動かないと思ってた方がいいかも。
いくら、そういう法律があるって言っても、「知らない」的な対応されるケースが多くて、かえって反対に、「じゃ、(警察に)どーしろって言うんですか?(自分でなんとかしろ)」みたいな逆ギレ対応される場合もありますからねぇ。
組織内での連絡も、かなーり「イマイチ」だし、私はあんまり信用してません、警察って(笑)
関係者の皆さん、すみません。
いや、丁寧に親切にしていただいて、感謝した経験もあるにはあるんだけどね〜。
でも、数的に考えると、どー見てもマイナスの方が多い、残念ながらね。
この事件の場合も、頼りにならない以外にも、「お役所的」な杓子定規対応で、被害者の住所とか結婚後の氏名とかも、「形式的」に加害者に伝えてたんだろうな〜と思います。
普通の常識的な考え方で、被害者の立場と彼女の気持ちをもし考慮したなら、そういう情報は相手に漏れないようにすると思いますがねぇ。
要するに、そーいう「個別」対応は考えていない、っていう事だろうな。

で、この事件のストーカーの話だが、加害者の男性は、元教師とかだけで、結構先生としての評判もよく、「いい先生」「いい人」で、事件を知ったその以前の教え子からとかからは「まさかっ!?」の声も多かったそうです。
という報道から、「そんないい人がこれだけの事件を起こすとなると、被害者からよほど酷い扱いをうけたとか、傷つけれれたんじゃないか?」という疑問の声も、ネット上で少々目にしました。
が・・・うーむ、残念ながら「世間的にはいい人」が、裏では家族(主に妻)とかに暴力振るったりとか
精神的に虐待をしていたり、とかっていうケースって少なくないんだよね〜。
そーいう問題行動を起こす男性の職業で多いのは、「教師」「聖職者」っていうのが今回もピッタリ当てはまっていたりするんだがね〜。
外で「いい人、いい旦那」という評判があるだけに、妻からの訴えは聞き入れられにくかったりい、信じてもらえない、とかで周囲からの助けが得られず、最悪のケースにまでいってしまうっていうのもあったからなぁ~。
また、ストーカーになる人が、どこから誰が見ても完全に異常で社会からハズれている人、っていうわけでもなく、ちょっとそういう傾向がある人が拍車がかかって止まらなくなってしまう、というのも多いみたいで・・・
人間、誰もが少なからず心にいろいろ、問題とか悩みとかは抱えているわけだし、それが深くなっていってしまって、知らず知らずのうちに「加害者側」になる可能性もゼロじゃないわけでしてねぇ〜。
で、それを予防するためには、まず「自分自身の心と体に余裕を持つ」「(悩みを)相談できる相手を確保する」とかっていうのがまず重用になるらしい。
これって、自殺予防とか、他でも有用な方法でございますね〜。
他人に語る事で、具体的な有用なアドバイスがもらえるかも、っていう以外にも、自分や自分の気持ちを客観的に改めて整理して見つめ直す事が出来る、っていうのも有効なのかもしれませんが。
とかと書きつつも、私自身はあーんまり人に悩みを相談したり、とかっていう経験がなくてねぇ^_^;
まー、一番の理由は「相談するほどの悩みがナイ」っていうありがたいところなんですがねぇ〜。
相談する、っていうかすぐネタ的に話しまくってしまうケースが多いような気がします(爆)
また、話す以外にも、こーやってブログとかで書く、っていう方が多いかなぁ?最近では。
自分の気持ちとか考えをこうやって文章化する、っていうのも、客観的に自分を見る方法の一つだと思うんですな。
もちろん、ブログと違って他人には見せない「日記」でもいいと思うんだけど、私の場合は「他人が読む」事を前提とした文章としてまとめて書く方が、整理がつくなぁ〜というか。
まぁ、何書いてもいいんだけど、不特定多数の人が読む事を想定した文章としてのマナーをある程度意識した文章っていうか(実際どーなのかは謎だが・・・)その方が、相手を意識しているっていうためか、より客観性のある見方が出来るような気がします。
そーいうのと関係してるのかは謎なんですが、以前、新聞記事かなんかで読んだような記憶があるのだが、
「子供の頃から本を読む習慣のある子供は、読まない子供よりも他人に対する共感とかを持つ能力に優れている」という結果が出た、とかっていうニュース。
まぁ、読書の習慣は、わりと推奨されているわけで、だからこそ夏休みの読書感想文なんかを書かされたんだろうな〜とも思うのですが。
他人の体験とか、気持ちとかを本を読む事で、自分が二次的に体験するのが、こういうった「共感の強さ」に結びつくんだろうなぁ〜とは思うのですが、だったら別に本じゃなくて、マンガでも映画でも、TVドラマでも、いいんじゃなかなぁ?と思った事もあるのですが(まぁ、そういったジャンル別っていうよりも各個の内容によりかも、ですが)前述のような点から考えると、映像とか画ではなく、「文章」で書かれているっていうところも、共感の強さ度UPのポイントかもしれないなぁ〜と、ふと思ったりしました。
っていうのは、映像とか絵とかって、結構人によって感受性というか観察力の深さ、洞察力の深さによって差が出てきますが、文章化されていれば否応なくそれが、直接的に表現されているケースが多いから、っていうあたりからですがね。
本の文章は、読者が頭の中でその映像を自分なりに再生して読み進めるのに対し、映画なんかは映像そのものが出るので、そっちの方が直接的っていう見方もあるけど、反面、映画では「あのシーンでバックにこういう人が歩いていたのは、こういう裏事情があって、これを示したいための表現なんだ」とかっていうのは、気づく人じゃないと気づかないケースが多いわけですが、文章だとそれがわりとストレートというか、わかりやすいような気がするのだな。
そういう点なんかは、文章化の方が直接的なんじゃないかな?とも思うわけでして。
でもまぁ、これも作者とかにもよるかな〜?という気もしますが。
しかし、とかとかと語れるほど、私は小説を読まないのでなんですが(苦笑)
本自体は結構読むけどねぇ〜。
コメント
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