今日、改めて先日岡本太郎美術館で見てきた「岡本太郎芸術賞展」の解説小冊子をゆっくり読んでみました。
受賞作品それぞれの作者の来歴、その作品に対する意図や想い、選者の寸評なども載ってました。
実際にそれらの作品を見たときは、そういった内情(?)をかを全く知らずに見ていたわけなんですが、改めて作者の意図などを知ることでより現代アートの面白さが感じられたような気がする。
と、まぁそれほど偉そうに語れる立場でも、塲数を踏んでいるわけでもないのだが、『現代アート』の私的な楽しみ方なんぞを。
まずはとりあえず、作品を見てみる。
現代アートはわりと多面的にみるのを求める作品が多いし、またそれが可能な展示法にされていることが多いので、周囲をぐるぐる回ったり、離れたり近づいたりいろいろな角度から見てみたい。
それから、何か「引っかかる点」を見つけてみる。
単に「好き、嫌い」でもいいんだけど、「どこが好きだと思うのか?」例えば色合いとか、反対に「なんかイヤだな」と思ったらグロっぽいからイヤとか、なんかもう少し言語化してみる。
メモ書き程度でOKなんだけどね。
あるいは「これなんか●●に似てない?××思いだすねぇ」とかっていうのでもいいし。
何か関連づくもの、イメージ的な結びつきとかね~。
ちなみに、美術館とかでメモる場合は、鉛筆がマスト!!というか鉛筆じゃないといかんそうです。
ボールペンとかのインク物だと、万が一の時にインクによる作品への汚染の心配があるけど、鉛筆ならなんとかなる!という事らしい。
だいたい、美術館では用意されているので貸してくれるよ~
で、勝手に自分感覚で観た後に、次に解説なんぞを読んでみる。
作品横の解説版なり、パンフなりを。
その中に、自分が感じた事、思った事と重なる事が書かれているかもしれない。
そしたら、自分の目の付け所が良かった(?)合ってた!!と、ビンゴっ!!!で、少し嬉しい。
もちろん、全然違う事か、自分の思ってもみなかった事、場合によっては正反対の事が書かれている事も多い。
でも、それはそれで「私って見る目がないなぁ~」とどんよりしちゃうよりも、「へぇぇ、そういう見方があるんだ!」と、新たな発見だ!!と思う方が楽しいし、気が楽だ(爆)
新しいモノが見えてくる、そのきっかけになる!と、前向きに受け止めよう。
そしたら、今度はその新たな目と脳で、もう一度作品を見直してみたい。
帰宅後でもう見られない場合は、脳内再生で見てみよう。
そうする事で、作家さんと自分との間で、何か1本糸がつながった気がするのだ。
もちろん、あくまで私の一方的な思いなんだけどね。
その「つながり」を感じる感じられるところが『現代アート』の魅力の一つなのかもな?と、思ったのでありました。
それに、古典の何世紀も前の外国の有名作品でも、その生き方とか言葉とか残ってる人も残ってない人もいるわけなんだけど、時代背景が異なると生活環境も違うし、社会情勢なんかも違うわけで。
芸術と一井の生活はかけ離れたモノ、と思うかもしれないけど、実はそうでもない。
芸術として、芸術それ自身を目的として創作活動を行うっていうのは極々近代の話であり、それまでのかなりの長い間、芸術っていうのはスポンサー、依頼主がいて、その意向にある程度沿って制作する必要性があるわけだ。
当時の画壇の流れ、お偉いさんとか主流派だったり傍流だったり、そういった背景的な情報もある程度必要となる。
その作品、それだけではなく。
そうなると、それなりにいろいろと勉強したりせねばならんわけだが、それはそれで面白いけどさすがに全部それやってる時間はないし・・・
その点、現代の作品ならば背景がわりと理解しやすく、体感的にもわかるっていうかね。
「つながり」と言えば、現代の作家さんならば、大体同じ時代、今生きている、自分と同じ時に生きているわけだ。
同じ空気を吸っている、きざな事を書けば「同じ空の下にいる」というわけですな。
ナマの作品を見る、触れる事でますます、その「つながり」は強化されるように思う。
画像や写真とかとして見るだけよりもね。
まぁ、あくまで一方的なんですが、それでもどこか相互性を感じるのだ。
なかなか『現代アート』って、難解じゃ?暗そう・・・、わかんない、とかというマイナスイメージが大きいというか私がそうだったんだけどね、
実際観てみると結構面白いもんです。
地方の美術館では、それ専門でもない限り、作品の展示への対応が困難(いろんな素材とか大きさとかあるからね)だったり、あるいは集客面で難しい
っていうのもあるのか、あんまり観る機会がない・・・んだけど、実は「美術館」っていう箱というか枠じゃなくて、もっと身近に『現代アート』は存在している、ただ、私がそれに気づいていないだけ、なのかもしれません。
でも、一度東京都現代美術館には行ってみたいね。
只今、改修中だが。
受賞作品それぞれの作者の来歴、その作品に対する意図や想い、選者の寸評なども載ってました。
実際にそれらの作品を見たときは、そういった内情(?)をかを全く知らずに見ていたわけなんですが、改めて作者の意図などを知ることでより現代アートの面白さが感じられたような気がする。
と、まぁそれほど偉そうに語れる立場でも、塲数を踏んでいるわけでもないのだが、『現代アート』の私的な楽しみ方なんぞを。
まずはとりあえず、作品を見てみる。
現代アートはわりと多面的にみるのを求める作品が多いし、またそれが可能な展示法にされていることが多いので、周囲をぐるぐる回ったり、離れたり近づいたりいろいろな角度から見てみたい。
それから、何か「引っかかる点」を見つけてみる。
単に「好き、嫌い」でもいいんだけど、「どこが好きだと思うのか?」例えば色合いとか、反対に「なんかイヤだな」と思ったらグロっぽいからイヤとか、なんかもう少し言語化してみる。
メモ書き程度でOKなんだけどね。
あるいは「これなんか●●に似てない?××思いだすねぇ」とかっていうのでもいいし。
何か関連づくもの、イメージ的な結びつきとかね~。
ちなみに、美術館とかでメモる場合は、鉛筆がマスト!!というか鉛筆じゃないといかんそうです。
ボールペンとかのインク物だと、万が一の時にインクによる作品への汚染の心配があるけど、鉛筆ならなんとかなる!という事らしい。
だいたい、美術館では用意されているので貸してくれるよ~
で、勝手に自分感覚で観た後に、次に解説なんぞを読んでみる。
作品横の解説版なり、パンフなりを。
その中に、自分が感じた事、思った事と重なる事が書かれているかもしれない。
そしたら、自分の目の付け所が良かった(?)合ってた!!と、ビンゴっ!!!で、少し嬉しい。
もちろん、全然違う事か、自分の思ってもみなかった事、場合によっては正反対の事が書かれている事も多い。
でも、それはそれで「私って見る目がないなぁ~」とどんよりしちゃうよりも、「へぇぇ、そういう見方があるんだ!」と、新たな発見だ!!と思う方が楽しいし、気が楽だ(爆)
新しいモノが見えてくる、そのきっかけになる!と、前向きに受け止めよう。
そしたら、今度はその新たな目と脳で、もう一度作品を見直してみたい。
帰宅後でもう見られない場合は、脳内再生で見てみよう。
そうする事で、作家さんと自分との間で、何か1本糸がつながった気がするのだ。
もちろん、あくまで私の一方的な思いなんだけどね。
その「つながり」を感じる感じられるところが『現代アート』の魅力の一つなのかもな?と、思ったのでありました。
それに、古典の何世紀も前の外国の有名作品でも、その生き方とか言葉とか残ってる人も残ってない人もいるわけなんだけど、時代背景が異なると生活環境も違うし、社会情勢なんかも違うわけで。
芸術と一井の生活はかけ離れたモノ、と思うかもしれないけど、実はそうでもない。
芸術として、芸術それ自身を目的として創作活動を行うっていうのは極々近代の話であり、それまでのかなりの長い間、芸術っていうのはスポンサー、依頼主がいて、その意向にある程度沿って制作する必要性があるわけだ。
当時の画壇の流れ、お偉いさんとか主流派だったり傍流だったり、そういった背景的な情報もある程度必要となる。
その作品、それだけではなく。
そうなると、それなりにいろいろと勉強したりせねばならんわけだが、それはそれで面白いけどさすがに全部それやってる時間はないし・・・
その点、現代の作品ならば背景がわりと理解しやすく、体感的にもわかるっていうかね。
「つながり」と言えば、現代の作家さんならば、大体同じ時代、今生きている、自分と同じ時に生きているわけだ。
同じ空気を吸っている、きざな事を書けば「同じ空の下にいる」というわけですな。
ナマの作品を見る、触れる事でますます、その「つながり」は強化されるように思う。
画像や写真とかとして見るだけよりもね。
まぁ、あくまで一方的なんですが、それでもどこか相互性を感じるのだ。
なかなか『現代アート』って、難解じゃ?暗そう・・・、わかんない、とかというマイナスイメージが大きいというか私がそうだったんだけどね、
実際観てみると結構面白いもんです。
地方の美術館では、それ専門でもない限り、作品の展示への対応が困難(いろんな素材とか大きさとかあるからね)だったり、あるいは集客面で難しい
っていうのもあるのか、あんまり観る機会がない・・・んだけど、実は「美術館」っていう箱というか枠じゃなくて、もっと身近に『現代アート』は存在している、ただ、私がそれに気づいていないだけ、なのかもしれません。
でも、一度東京都現代美術館には行ってみたいね。
只今、改修中だが。