УРАЧКА!!

雑文・駄文なお気楽日記です。よろしゅーに。

駿河の白隠さん

2018-03-18 16:04:38 | 日記

今日もいい天気・・・
ソメイヨシノ咲き始めました。
この感じだと、静岡祭まで持ちそうもないなぁ~

で、今日は静岡市美術館に行ってきました。

現在の展示はこれ!です。

・・・でも、実は見るつもりは無かったんですよ、ホントは(爆)
仏教美術の水墨画的掛け軸とか、書とかだろうなあ~、あんまり興味ないなぁ~って思ってて。
でも、招待券をいただいてたんで行ってきました。

白隠さん、っていう自体を知らなかった無知っぷりなんですが、wikiにちゃんと載ってるような超有名人で・・・
白隠 慧鶴(はくいん えかく、1686年1月19日(貞享2年12月25日) - 1769年1月18日(明和5年12月11日))は、臨済宗中興の祖と称される江戸中期の禅僧である。諡は神機独妙禅師、正宗国師
って事で、「駿河の国には過ぎたるモノが二つあり、富士のお山に原の白隠」なんて謡われたりしたそうですよ、と地元の偉人だったりするのでありました。
で、それはともかく(?)私的に驚いたのは、この方、沼津の松蔭寺(しょういんじ)の住職されてて、お墓もそこにあるんだそうですが・・・そう、沼津の松蔭寺といえば、「日本で一番顔のえぐれた狛犬がいる!!!」で、有名な寺なんです(爆)
もちろん、私も見に行きました。





このデコの彫りこみがすごいっしょっ!!!

しかし、当時は門入って狛犬の写真だけ撮ってすぐ出てきたんでそんな偉い人由縁の寺で、そんな偉い人の墓があるとは全然知らなかったですね、今まで^_^;;

で、その白隠さん、彼の描いた絵とか書を集めた静岡ならではの展示でした。
なんでも、今年は没後250年だとか・・・
で、ほとんどがやはり水墨画、掛け軸系で、絵も仏教に関連したモノがほとんどでしたが、やはりこの方の場合は、絵<仏教の教えって感じですな、当たり前だけど。
絵に関してはプロではなくてアマって感じ、「絵の巧いお坊さん」っていう感じで。
いやいや、それが悪いとかだから見る価値ナイとかでは全然ないです。
当時は、やはり文字とかで伝えるよりも絵で仏教の教えとか逸話を伝えるほうが庶民には伝わりやすいだろうしね。
彼の絵は、わりと今だと四コママンガのキャラ風な、ポンチ絵っていうか、そういう感じの絵かな?
筆と墨で描いてるんだけどわりと迷い無く、サラッという感じ、でも本職絵描きみたいな繊細さとかはあまりなくて剛毅な感じね。
静岡県以外にもあちこちのお寺を回って、たぶん行く先々で「なんか描いてください」って頼まれて、その場でササッと描いてきました的な絵が多いようで、各地のお寺の所蔵品が多かったです。
書もあったけど、これもなかなか本人の体を現してるような感じの書で、肉太でハネとかトメとかを気にしてバランスよく、とかっていうのじゃなくて、その場の勢いでザザーっと一気に書き上げました!!って風の文字でしたなぁ。
雅ではなくて、気さくな感じです。
絵は、仏陀あり、七福神あり、観音様あり、達磨あり、って感じですが、わりと似た感じの絵を何枚も描いているっていうのは、そのあちこちで頼まれて、っていうのに関連してるかな?
三国志の換羽の絵なんかもあったよ。
七福神の布袋様って、実はホームレスだったんねぇ~、知らなかった・・・

しかし、このご本人の逸話もなかなか面白くて、なんでも5歳で海岸で流れる雲を眺めていて世の無常に気づき、将来僧侶になることを決意する、みたいな年表があって^_^;;
自分が5歳の時って何考えてたんだろう?覚えてもないわ・・・^_^;;
さらに、老婆に箒で叩き回されて次の階梯の悟りを得・・・ってありましたが、そーいうもんなのか、悟りって。

で、白隠さん紹介ビデオみたいのがあって、そこで彼に扮した僧侶が旅する映像を交えていろいろ説明があるんだが、彼が旅する背後に富士山が!
でも、あれ?宝永山がない?って思ったら、なんと宝永山ってその当時リアルタイムで出来たんだそうで!
つまり、彼が生きたのは宝永の噴火のあたり・・・
おぉぉ~、それで再現映像には宝永山がナイのか~っ!!!
で、禅宗っていえば座禅ですが、その修行のやりすぎ(?)の禅病とかにも罹ったそうでして。
うーむ、現在でいえば欝みたいなもんでしょうか??
と、また知らなかった事をひとつ気づくことが出来て、なかなか有意義な体験になりました。
座禅したいとは思わんが。



次回は猫展。こちらは行きますよ~
しかし、ほか美術館のチラシとか宣伝見たんだけど今年猫系の展示が多いねぇ、あちこちで。
戌年なのに、犬系展示がないっていう^_^;;

コメント
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