新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

5月9日 その3 どのような英語を教えてきたのか、勉強してきたのか

2020-05-09 15:01:16 | コラム
音読できてはならない英文:

ここでも私は「我が国の英語教育の問題点」を論じていこうと考えている。それは、この世の英語教師の方々が何を言われようと、「東南アジアのどの国とは言わず、韓国をも含めた諸国よりも英語力が低いとの定評があるのは何故か」という問題である。何度でも繰り返して言うが「科学としての英語を数学のように教えて、5段階の評価を決めよう」としている限り、海外の諸国よりも劣るし、多くの方が望んでおられるように思える、実用性も向上しない」のである。

私のブログの読者の中からは「英語関連の話題だと読まない」というご意見を頂戴したこともある。「くどい。ウンザリだし、何が言いたいのか良く解らない」と指摘されたと同様だと謙虚に(?)承った。

そこで、これからこれまでに何度か採り上げた我が国の英語教育の問題点のほぼ全部を背負って立ったような会話の英文を後ほど掲載するので、音読を試みて頂きたい。これが文章にある通りには音読出来ない方は、幸運にも我が国の至らざる英語教育に出会っても、正しい英語を学び取れた珍しい方だと敢えて言っておこう。一方では、この英文をすらすらと何にも引っかからずにも音読できてしまったのであれば、それは「学校の教育で科学として英語を正しく教えていなかったか、またはEnglishとは何かを学び損なっていた」と判断して良いと思う。

特に冒頭の“Every years”を文字通りに音読できてしまうようでは、根本的に文法を理解できていなかった証拠である。

英語がペラペラのように聞こえた(如何なる水準の英語力を目指すのか):
私は持論として「英語で話す際には文法を正確に守り、中学校1~2年の教科書に出てくる程度の言葉を沢山使って、細部まで十分に伝えるように心がけ、発音を明瞭にして相手に聞き取って貰えるような速度で大きな声であるべき」と主張してきた。そして、「英語で話す際には頭の中のギアを英語に切り替えて、頭の中で日本文を英訳するような事をしないで、英語のみで考えるようになれば尚良い」とも言ってきた。俗に言う「英語ペラペラ」の方が全て上記のような原則に従っておられるのではないと、あらためて指摘しておく。目指すべきはアメリカに行って支配する階層やアッパーミドルの人たちにも評価される格調高く品位があるEnglishである。


我が国には「単語を並べてみたら通じた」であるとか「兎に角通じれば良いのではないか。どんな英語でも実際に役に立てば良いのではないか」といった主張をされる方に屡々出会う。私はそのように言われる方と「英語論」を交わす意志はない。それは「英語とEnglish」ほどの違いがあるし、「意志が通じたのは結構でしたね」と申し上げるだけだ。しかし「矢張り、可能な限り文法だけはお守り頂きたいのだ」とだけはお願いはしておきたい。

30年近く前のことになるだろうか、地下鉄の中で2人組の英語?もしかしてEnglishだったかの会話を聞いていた。片方は英語のnative speakerではない外国人で、一方は日本人だった。これは私が聞き取り得た会話の一部だが、私が聞いていた間はほぼ一方的に日本人側が凄い速度で話していた、如何にも流暢というか「ペラペラ」とも形容したい英語で。

“Every years, I take vacation two months, you know. I go Europe with family, you know. Nowadays, children become big and go to school and cannot stay long, you know. So, we don’t go and wife complain and become angry."

と、ここまででで彼等が下車してしまった。これは我が国の英語の試験問題にあるような「文中の誤りを正せ」の類いのような内容だった。即ち、単数と複数、過去と現在等々が全く無視されている。遺憾ながら、これらの点は「日本語には英語にあるような細かさというか厳密さは無い事」を表している。我こそと思う方は、文法の誤りだけでも正して外国人に理解されるような英文にすることを試みて貰いたい。かなりの難問になると思うが。

私が問題だと思っている点は、我が国に英語教育で学んだ方が、この英語(なのだろう)をどのように解釈され、「上手い」と思うが「酷い英語だ」と受けとめられるかなのだ。実は、私はこの英語でも通じていたのは間違いないと見えたのが問題だと思う。「この不正確な英語でも会話が成り立つのでは、俺の英語力も十分だろう」と自信を持って満足して海外に行かれてもこれで押し通す方は「通じれば良いのだ派」に加入されたのだ。

または「自分はそんな程度の所を目指していない。より質の高い品位を備えた英語か、ビジネスの世界に入っても評価されるような高味を目指す意欲があるか」だと思う。お解りの方はおられるだろうが、上記の例文は明らかに文法無視で、ワードで入力すると赤線を引かれてしまう箇所ばかりのだ。それでも、「通じたのだったら、それで良いじゃないか」という結論を出した方は何人もおられた。

更に重要なことは、一旦こういう種類の英語で「通じる」と知ると安心してしまい、先ず正しく格調高い正確なEnglishの世界には入って行けなくなる(戻れなくなる?)点だ。このようになってしまった英語を、由緒正しきEnglishに何とかして近づける為には、当人がよほど意識して勉強し直すか、正しい英語とは如何なるものかを心得ている指導者に、基礎と基本から叩き直して貰う方法しか無いのではないか。私の持論はnative speakerは駄目なのだ。それは「彼等は日本人が如何なる事で悩んでいるか」を本当には理解できないのだから。反対に「貴方は外国人に日本語を教えられるだけの十分な自信がありますか」という問題だ。

この例文を、海外を飛び回っておられる専門商社の海外部門担当の専務さんにお見せしたことがあった。「貴方は私の海外出張に何時の間にかついてきていたのか。私の英語は将にこの類いなのだ」と笑って言われた。

更にこの例文の文法等の他の問題点を挙げておこう。絶対と言って良いほど駄目な点は “you know”の多用である。これは繰り返して指摘してきた問題点で「これを会話の中に挟むことは、貴方が『有能』であることを示すことにはならない」のであるし、一定以下の階層に属していることを示したことにもなるのだ。その点は、我が国のNPB等に参加している元MLBの連中が話す英語を聞いていれば、彼等がどれほど「有能」であるかが解る。

この「“you know”は駄目よ」とは私が1945年にGHQの秘書の方に英語で話すことを教え込まれた際に、最初から「思うように言葉が出てこない時でも何時でも、“you know”と言って繋いでははならない」と厳しく指導されたのだった。即ち、“you know”の多用は「お里が知れる」ことになるのだ。

私はこの英語まがいの語りの中で最も興味深く受け止めたのが“children become big”の使い方だった。この話し手は明らかに「成長した」と言いたかったようのだと思った。だが、不幸にも単語帳に“grow”がなかったのか、あるいは咄嗟に思い浮かばずに“become big”、即ち「大きくなった」の直訳で逃げたのかも知れない。善意で解釈すれば「単語を知らないでも、その意味を考えてphraseかclauseで表現できる能力があった」かも知れないのである。
私は文章でも会話でも、このように表現したいことを洗わず単語を知らずとも、異なった言い回しをする能力を備えるがことは重要だと思っている。だが、これは同時に語彙の問題でもあるが。

私は上記の例文を以て、我が国の英語教育における「文法重視」の教え方に疑問がありはしないのかと言いたいのだ。正しく理解させていれば、あのような会話にはなり得ようが無いのだ。私は「音読・暗記・暗唱」で文法をも何とか自分の物に出来たと敢えて報告しておく。私はこの文法の教え方の欠陥か問題点は「カタカナ語のほとんどが文法の原則を忘れて、複数や過去や現在の使い方を無視している例が圧倒的に多い」ことからも明らかだと、何度も指摘して来た。

結論を言えば「通じれば良い」といった低次元の英語力で満足するか、「いや、私は飽くまでも文法等の原則を守った格調高い英語を目指して、支配階層の仲間入りをする」と言われるのかは、人それぞれの好みで私が介入することではないのだ。しかしながら、上記の例文のような英語を話せば、アメリカを支配する階層というかアッパーミドル以上には評価されないとだけは保証しておく。

私はそうではなくなるように「科学としての英語を教える」のではなく、native speakerたちにも評価され、尊敬されるEnglishを教えるのが「英語教育に携わる方々の義務」であると思っているのだ。しかし、現状はそのようになっていないし、そういう方向に持っていこうとはしていないのが、我が国の英語教育の問題点であり、悲しさであり、教えられる方には気の毒な結果を生じているのではないのかと思っている。。


5月9日 その2 膝の痛みに苦しむの記

2020-05-09 09:41:39 | コラム
Knee brace着用になった:

過去2ヶ月ほど右膝の痛みに悩んでいたにも拘わらず、何故かかかりつけのクリニックでは申告してこなかった。だが、先月の28日には立ち居振る舞いにも苦痛を感じるに至って、連休前にS医師に訴え出た。先生は寝かせて膝の屈伸をさせただけで悲鳴を上げたので「水が溜まっている」と宣告された。太めの注射器に半分ほどのリンパ液(なのだろ)が抜かれた。同時に何か注射をされた。するとどうだろう、帰路は何の苦痛も無く歩けたのだった。

だが、無意味な連休の2日目辺りからまた様子がおかしくなり、昨日辺りでは一度椅子にでも座ったら動けなくなったので、連休明けに加えて木曜の休診日が開けた昨8日には、予めS医師の了解を取って、午後に直ぐ近くまで行くバスを利用して診て頂きに参上した。診断では「未だ再度抜くほど水は溜まっていないので、現在着用しているサポーター程度では改善の役に立たない」ということで“knee brace”(=膝を補強するために着ける保護帯)の着用を指示された。金額については後ほど触れる。

これはフットボールという競技では、当たったり当たられたりすることが多く負傷することが多く、愚息たちが故障した膝の保護のために使っていたので、言うなれば馴染み深いものだが、まさかこの年齢になって自分が使うとは予想もしていなかった。しかもその価格帯は1万円を超えて2万円台もあると記憶していた。生まれて初めての経験だったが、帰路は通常は10分そこそこの距離を倍以上かけて馴らし歩行をしていた。

昨日はこの他に、今月辺りから「何でだろう」と悩みになっていた「声がかすれる」というか「自分本来の発声が出来ないこと」を「もしかしてウイルスの影響か」との点を先生に訴えてみた。先生は喉を診られて「何の心配もない。ズバリといえば年齢と共に声帯が老化して起きる現象であるから」と診断された。なるほど、膝も同様に老化したのかなどと考えながら歩いて帰ってきた。なお、S医師は4月前半に女子事務員が全員退職され、現在は未だ1人でやっておられるので、清算事務までは手が回りきらずに「支払いは後日で」という状態が続いている。


加藤勝信厚労相には責任感は無いのか

2020-05-09 08:22:32 | コラム
<strong>PCR検査の基準が改正されるとか:

昨日は「個人攻撃をしている場合ではない」と言って回避したが、この際私はやはり加藤厚労相の姿勢には疑問を呈したい。テレビの報道で見た限りでは、加藤氏は平然として例の37.5度条項は「誤解であると何度か言った」と言い切って見せていた。何処で誰がどう誤解したのか、あの設定の真の狙いはどうだったか等の説明は一切なかった。無責任だなと思って聞いた。

彼は都立高校から東京大学経済学部を経て大蔵省に就職しておられた。我が国の最高の官庁で官僚と議員生活こそしておられるが、何歩譲っても専門的知識を要する厚生労働省の中でも医療に関する知識が豊富になって、未曾有の有事に際して厚生労働省の先頭に立って「俺についてこい」と言えるだけの知識も経験も十分にあったとは思えない。何度でも言うが、あの取り決めの結果で自宅療養を指示され、容態が急変して亡くなった方が複数出ておられたことの責任は、厚生労働省にも専門家会議にもないというのか、加藤氏はここでも責任は回避するのか。

報道では、新規の(私には少なくとも、厚労省によって改正されたなどと諂う気はない)取り決めには、悪評サクサクの「37.5度の4日連続」はなくなるようだが、遅すぎるのだ。私には理解しがたいの事は「専門家会議の権威あるはずの臨床医ではないとしか見えない偉い先生方が言われることと、現場で患者さんを診ておられる開業というか臨床のお医者様たちが言われることの間に違いが多い点」なのだ。お医者様の間でもこういう事態が起きているときに、大蔵省とこ衆議院議員しか経験していない人物を大臣に据え置くことが最善の策なのだろうか。