新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

5月1日 その3 4月30日のPrime Newsより

2020-05-01 11:48:41 | コラム
言葉を大事にしよう

昨30日にはゲストが日本大学危機管理学部先崎教授と東京大学大学院古田准教授と異色の顔合わせで、「新型コロナウイルス拡大で露見日本人の価値観と不信哲学&倫理学者が考察」という何のことかサッパリ解らない見出しだった。だが、チャンネルを合わせてみれば、中々の論客であると評価してきた先崎彰伸容教授が出ておられたので、如何なる展開になるかと期待して聞いていた。お二方とも東大文学部倫理学科の出身というのにも興味を惹かれた。

私が我が意を得たりと思った点があった。それは古田准教授が「言葉を大事にしよう」という主張を展開された中で、誤った使い方の例に挙げられたのが、私が再三再四指摘して来た「オーバーシュート」の誤用だった。古田氏は「権威者が使われると、それが仮令誤りであっても権威ある方使われたと言うことだけで広まってしまうのだ。オーバーシュートには劇的な増加という意味はないにも拘わらず」と指摘されたのだった。これ以外にも誤用の例として「濃厚接触」(=close contact)等も挙げておられたが、私にとっては大いに有り難い誤用の例の指摘だった。

お二方は反町に「新型コロナウイルスの終わった後の我が国はは如何なる状態になるか」と投げかけられても「解らない」と率直に言われた。先崎教授は「これまでに当たり前のように普通にあったものが、現在のようにこれほどアッサリと消えてしまったし、再生されることがないように見える状態は恐ろしい。どのように変わって行くかの予見は難しい」という意味の事を言われたし、古田准教授も「前例がないので読めない」という考えだった。

私は各テレビ局が好んで起用すると思っている、言わば世間受けがする専門家よりも、このご両所のような新しい世代の研究者の意見には聞くべきものがあると思って、約2時間弱の間「なるほど。この世代ではこう見ているのか」と大いに勉強になった。古田准教授は東京ドームを超満員にしたコンサートの写真を出して「現在までは当たり前だったこのような人混みが、コロナ後にもあり得るだろうか」と疑問を呈していたのも、とても印象的だった。


5月1日 その2 何故PCR検査が増えないのか

2020-05-01 11:41:52 | コラム
4月30日の「報道1930」より:

確かBSフジのPrime NewsのCMの時にチャンネルを合わせたと記憶するが、報道1930にインターネット出演で民間の検査会社の社長さんが出ていた。彼はPCR検査が増えない理由を「人員の不足である。それはPCR以外も検査しているので手が回りきれないこと」から入って「中国からの供給に依存する試薬の不足と、スワープ?(=検体を採る綿棒のような器材)も間に合っていないから」と、言うなれば「無い無い尽くし」の状態を語っていた。即ち、検査機があっても数をこなせないのだとの説明だった。

この件は、これまでの報道では「保健所が手一杯であるとか、37.5度が何日続いているか等々の未だに改善されていない条件がボトルネックになっている」となっていたと思う。だが、TBSが現場を追ってみれば、こういう悪条件があったということのように聞こえた。我が家の直ぐ近所にある東京都健康安全研究所などでもPCRをやっていると聞いた気もするが、肝腎の試薬や器材が不足では、如何ともし難いかと思わせられた。これはTBSのスクープか?

9月入学変更論に思う

2020-05-01 08:29:45 | コラム
何故外国に合わせたがるのか:

私は敢えて否定はしないが、諸外国では標準であるからと言って、それに短兵急に合わせようとする考え方には余り賛成できない。永年アメリカ人の中で過ごしてきた経験から言っても、何でも彼らの文化というか制度というのか習慣が優れていて、我が国がそれに合わせていかねばならないと考える必要はないと思っている。我が国の文化と独自性の維持を優先して考えておく必要があると思っている。彼等にしたところで、我が国の優れた点を取り入れていくようになったのであるから、彼らの文化の中からこれと思うものを従来のように採り入れていけば良いのではないのか。

思い出してみても頂きたい。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と称えられた時期があったではないか。我がW社は我が国の優れたTQCの運用の状況に学ぼうと、全事業部の幹部が団体を組んでデミング賞受賞の多くの会社と工場を訪問し「日本に学ぼう」、「品質を向上させよう」と動いたものだった。「和」が“wa”となってそのまま英語の中で通じるようになっていたではないか。4月が新学期であっても留学生が来ていたではないか。4月からだったものを、9月に形だけ入れ替えるのではなく、如何なる恩恵や特徴があるかを考える方が先ではないのだろうか。

私は未だに「白人の国を礼賛する傾向があり、それが世界の基準になっている」と考えるのは、我が国の実力を認識できておらず世界を具に見てきていないからだと思っている。「世界でこれほど均一で質が高い労働力を備えた国が他にあるか」と認識すべきだ。それが優れた教育の賜物であって、識字率や初等教育の充実が未だしというアメリカと比較して欲しいのだ。我が国に日本語が話せない階層が存在するか。していないではないか!自分の国の優れた点を自覚するのが先ではないか。

そこで、例によってアメリカの実情を振り返って見よう。私はアメリカの会社に転進して、初めて製造業では4年制の大学の新卒者を試験をして定期採用していないと知った。だが、銀行・証券業界では新卒を採用しているようだと、後になって知り得たのだった。彼らの世界では、私が39歳でMead Corp.に転進したように、本社機構にいる者は全て日本式に言う中途採用者というか、何処かで実務経験を積んだ者たちの世界なのだ。同じ会社でも工場は別会社と同様の存在で、その地方で新卒者を採用することがあるが、そこから本社機構への異動などは通常はあり得ない。

4年制の大学出身者は、先ずは中小企業等に就職し実務の経験を積み腕を磨く機会を模索し、その業界で実力を付けてから、大手から勧誘されるか引き抜きが来るのをを待っているのだ。あるいは、狙いを定めた会社の特定の事業部の本部長宛に履歴書を送付して空席でも生じたときに声をかけて貰うのを待つという方法もある。勿論、ヘッドハンテイングをされることもある。中には人材派遣会社に籍を置き、派遣先で本採用の機会を狙うという手段もあるようだ。

と言うことは、4年制の大学出身者が大手製造業界に出ていこうと思えば、9月入学も夏休み前の卒業も関係ないのだ。以前にも採り上げたが、ロスアンジェルスのレンタカー会社でお客の送迎をしていた州立大学出身の若手は、そこからでも国際市場に出て行ける職種を狙って勉強中だと語って、目を輝かせていた。そういう国の制度を導入することに如何なる意義があるかは、私には俄に判断出来ない。但し、MBA取得者は修士課程修了後に直ちに大手企業に就職になるが、ハーバードのビジネススクール辺りになると、入学した時点で大企業からの青田刈りがあると聞いている。

繰り返して言うと、アメリカ式は「XX会社に入りたい」というのではなく「QQ会社の何々事業部の営業職に就きたい」というように狙うのである。私はこれが「就職」であって、我が国で行われているのは「就社」だと思っている。即ち、「採用されて何処の事業部に配属されるかは解らない」ということはないのだ。私の最初の転進に場合はMead社のパルプ事業部が日本市場拡張の狙いで、適切な人材を求めているところに出会っただけだった。

ウエアーハウザーの場合もほぼ同様だったが、ワシントン州の本社の事業部までインタービュー(=面接試験?)を受けに行き、半日で終わって「君に決めた」となった。その2泊3日の本社出張の経費は航空券も含めて全て会社負担だった。私は勤務するようになってから、敢えて「何故それほど経費をかけるのか」と尋ねてみた。答えは「間違いない人物を採る為には、この程度も経費を惜しんではならない。迂闊に駄物を採用したくないのだ」だった。「なるほど、トリプルAの会社とはこういうものか」と実感した。

アメリカは我が国のように卒業を控えて一斉に就職活動をして、企業側も新卒者を定期採用して教育していくのとは、全く異なる制度と言うか習慣の下で事が進んでいくのだ。私はその文化の相違点を十分に認識した上で、制度変更を検討する方が無難だと思っている。いきなり今年から変更に踏み切れば、既に指摘されているような諸々の問題が出てくるだろう。「急いては事をし損じる」事がないように、政府も教育する側も十分に注意をして、我が国の長所を消さないように検討した方が良くはないだろうか。