言葉を大事にしよう:
昨30日にはゲストが日本大学危機管理学部先崎教授と東京大学大学院古田准教授と異色の顔合わせで、「新型コロナウイルス拡大で露見日本人の価値観と不信哲学&倫理学者が考察」という何のことかサッパリ解らない見出しだった。だが、チャンネルを合わせてみれば、中々の論客であると評価してきた先崎彰伸容教授が出ておられたので、如何なる展開になるかと期待して聞いていた。お二方とも東大文学部倫理学科の出身というのにも興味を惹かれた。
私が我が意を得たりと思った点があった。それは古田准教授が「言葉を大事にしよう」という主張を展開された中で、誤った使い方の例に挙げられたのが、私が再三再四指摘して来た「オーバーシュート」の誤用だった。古田氏は「権威者が使われると、それが仮令誤りであっても権威ある方使われたと言うことだけで広まってしまうのだ。オーバーシュートには劇的な増加という意味はないにも拘わらず」と指摘されたのだった。これ以外にも誤用の例として「濃厚接触」(=close contact)等も挙げておられたが、私にとっては大いに有り難い誤用の例の指摘だった。
お二方は反町に「新型コロナウイルスの終わった後の我が国はは如何なる状態になるか」と投げかけられても「解らない」と率直に言われた。先崎教授は「これまでに当たり前のように普通にあったものが、現在のようにこれほどアッサリと消えてしまったし、再生されることがないように見える状態は恐ろしい。どのように変わって行くかの予見は難しい」という意味の事を言われたし、古田准教授も「前例がないので読めない」という考えだった。
私は各テレビ局が好んで起用すると思っている、言わば世間受けがする専門家よりも、このご両所のような新しい世代の研究者の意見には聞くべきものがあると思って、約2時間弱の間「なるほど。この世代ではこう見ているのか」と大いに勉強になった。古田准教授は東京ドームを超満員にしたコンサートの写真を出して「現在までは当たり前だったこのような人混みが、コロナ後にもあり得るだろうか」と疑問を呈していたのも、とても印象的だった。
昨30日にはゲストが日本大学危機管理学部先崎教授と東京大学大学院古田准教授と異色の顔合わせで、「新型コロナウイルス拡大で露見日本人の価値観と不信哲学&倫理学者が考察」という何のことかサッパリ解らない見出しだった。だが、チャンネルを合わせてみれば、中々の論客であると評価してきた先崎彰伸容教授が出ておられたので、如何なる展開になるかと期待して聞いていた。お二方とも東大文学部倫理学科の出身というのにも興味を惹かれた。
私が我が意を得たりと思った点があった。それは古田准教授が「言葉を大事にしよう」という主張を展開された中で、誤った使い方の例に挙げられたのが、私が再三再四指摘して来た「オーバーシュート」の誤用だった。古田氏は「権威者が使われると、それが仮令誤りであっても権威ある方使われたと言うことだけで広まってしまうのだ。オーバーシュートには劇的な増加という意味はないにも拘わらず」と指摘されたのだった。これ以外にも誤用の例として「濃厚接触」(=close contact)等も挙げておられたが、私にとっては大いに有り難い誤用の例の指摘だった。
お二方は反町に「新型コロナウイルスの終わった後の我が国はは如何なる状態になるか」と投げかけられても「解らない」と率直に言われた。先崎教授は「これまでに当たり前のように普通にあったものが、現在のようにこれほどアッサリと消えてしまったし、再生されることがないように見える状態は恐ろしい。どのように変わって行くかの予見は難しい」という意味の事を言われたし、古田准教授も「前例がないので読めない」という考えだった。
私は各テレビ局が好んで起用すると思っている、言わば世間受けがする専門家よりも、このご両所のような新しい世代の研究者の意見には聞くべきものがあると思って、約2時間弱の間「なるほど。この世代ではこう見ているのか」と大いに勉強になった。古田准教授は東京ドームを超満員にしたコンサートの写真を出して「現在までは当たり前だったこのような人混みが、コロナ後にもあり得るだろうか」と疑問を呈していたのも、とても印象的だった。