何かを考えているのだったが:
黄金週間:
マスメディアは一向に採り上げないし、政治家も触れてくれた記憶もないが、慢性心不全(BNPの数値が200前後)を抱えている私にとっては、新型コロナウイルスに感染するかも知れないという恐怖感もさることながら「もしも何か異常事態に陥ったときにどうすれば良いのか」との不安感に十分に苛まれている。開業医の先生方は皆休診だし、発熱くらいで仮令掛かりつけであっても大病院の救急に駆け込む訳にはいかない現在の状況である。実は先週リンパ液を抜いていただいた膝は、まだ痛みが再発してきているのだ。急変したら処置ではなく本格的な治療が必要かと恐れている。
私が言いたいことというか望むことは「東京都区内であれば、休み中も開けておられる当番医のような診療所なりクリニックの場所と電話番号くらいを、テレビででも新聞の折り込みででも周知して欲しいものだ」という辺りだ。「町のお医者様に行けば、こういう期間中に連絡すべき電話番号が掲示されているではないか。それを記録しておくべきではないか」などと言うのだったならば、それは血が通っていない行政ではないのか。ある喘息持ちの知人は「万一の場合にどうせよとの指示がない」と嘆いていた。これは専門家会議のお医者様が管轄されるような事項ではないのかな。
ここで矢張り英語の講釈をしておこう。誰が言い出したか記憶はないが、これを英語ぶって“Golden week”などと言うのは、我が国の英語教育の至らなさに毒された考え方だ。ここでは“Golden week holidays”とまで言わないことには、英語を母国語にしておられる人たちには「何のこと?」となりかねないと思う。「お休みの期間中のことだから、holidaysと言わなくても解ってくれるだろう」という考え方が通じにくいのが、英語の発想だとご理解願いたい。なお、“holiday”は「ホリデイ」とは発音しない。Oxfordでも「ハラデイ」と表記されているのだ。
標準語:
もう60年ほども昔のことになってしまったが、兵庫県の有名な私立校から東京(というが実際は横浜市だったが)の大学に進学してきた友人が、興味あることを言っていたのが忘れられない。それは「大阪や兵庫のような関西から出てきた者たちの中で、直ちに恰も昨日まで使っていたかの如くに標準語で話し出す者たちは油断ならない利口者か、小ずるい点があるのだ」だったのだ。そう聞いて注意していると、確かにそういう傾向はあった。関西系の某商社でも公用語とまで言われていた関西弁のままで押し通す人たちには、信頼できる人が多いという実感はあった。
何故、今頃になってこういう昔話を持ちだしたかと言えば、ここ暫くきつい言葉で批判している西村康稔大臣は兵庫県の灘高出身でありながら、当方の友人の中には「まさか兵庫県出身者とは思えなかった」と驚いていた者がいたほど、神戸のアクセントも何も残っていないと思わせるほど標準語で語られるのだ。ここまでで、私が何を言いたいのかをお解り願えれば幸甚だ。実は、私は先頃の内閣改造で西村康稔氏が入閣したときには「彼には期待しても良いか」とすら見ていたので、特措法担当となってからの責任回避的な小ずるい言動には大いに失望しているのだ。
昨日の「テレビタックル」は3週間振りにビデをテープを見せるだけではなかったが、締めくくりに北野武が「近頃の政治家には『やってやろう』という気迫を見せる者がいないな」と嘆いて見せたのは同感だった。これは何も西村康稔大臣だけに当て嵌まる批判ではないのだと思う。アメリカ式に言えば、年間に2,000万円以上もの多額の報酬を得ていれば、それに見合うだけの気迫を見せて働いて貰わねばならない。それに相応しくない働き振りでは退場すべきだ。
休日に国会を開いて「異例だ」などと報道させているようでは、信頼できる訳がない。何もアメリカ式を礼賛するのではないが、ある一定の地位に達して高い年俸を取っている本部長や副社長級には土曜日も日曜日も祝祭日などあって無きが如きだ。実際には閣僚も国会議員も休日も返上で働いてくれていると思っているが、1日くらい国会を開いてニュースになるようで怪しからんと思う。もっと覚悟を以て、お国と国民の為に、目に見えるところで働けと言いたくなる。
黄金週間:
マスメディアは一向に採り上げないし、政治家も触れてくれた記憶もないが、慢性心不全(BNPの数値が200前後)を抱えている私にとっては、新型コロナウイルスに感染するかも知れないという恐怖感もさることながら「もしも何か異常事態に陥ったときにどうすれば良いのか」との不安感に十分に苛まれている。開業医の先生方は皆休診だし、発熱くらいで仮令掛かりつけであっても大病院の救急に駆け込む訳にはいかない現在の状況である。実は先週リンパ液を抜いていただいた膝は、まだ痛みが再発してきているのだ。急変したら処置ではなく本格的な治療が必要かと恐れている。
私が言いたいことというか望むことは「東京都区内であれば、休み中も開けておられる当番医のような診療所なりクリニックの場所と電話番号くらいを、テレビででも新聞の折り込みででも周知して欲しいものだ」という辺りだ。「町のお医者様に行けば、こういう期間中に連絡すべき電話番号が掲示されているではないか。それを記録しておくべきではないか」などと言うのだったならば、それは血が通っていない行政ではないのか。ある喘息持ちの知人は「万一の場合にどうせよとの指示がない」と嘆いていた。これは専門家会議のお医者様が管轄されるような事項ではないのかな。
ここで矢張り英語の講釈をしておこう。誰が言い出したか記憶はないが、これを英語ぶって“Golden week”などと言うのは、我が国の英語教育の至らなさに毒された考え方だ。ここでは“Golden week holidays”とまで言わないことには、英語を母国語にしておられる人たちには「何のこと?」となりかねないと思う。「お休みの期間中のことだから、holidaysと言わなくても解ってくれるだろう」という考え方が通じにくいのが、英語の発想だとご理解願いたい。なお、“holiday”は「ホリデイ」とは発音しない。Oxfordでも「ハラデイ」と表記されているのだ。
標準語:
もう60年ほども昔のことになってしまったが、兵庫県の有名な私立校から東京(というが実際は横浜市だったが)の大学に進学してきた友人が、興味あることを言っていたのが忘れられない。それは「大阪や兵庫のような関西から出てきた者たちの中で、直ちに恰も昨日まで使っていたかの如くに標準語で話し出す者たちは油断ならない利口者か、小ずるい点があるのだ」だったのだ。そう聞いて注意していると、確かにそういう傾向はあった。関西系の某商社でも公用語とまで言われていた関西弁のままで押し通す人たちには、信頼できる人が多いという実感はあった。
何故、今頃になってこういう昔話を持ちだしたかと言えば、ここ暫くきつい言葉で批判している西村康稔大臣は兵庫県の灘高出身でありながら、当方の友人の中には「まさか兵庫県出身者とは思えなかった」と驚いていた者がいたほど、神戸のアクセントも何も残っていないと思わせるほど標準語で語られるのだ。ここまでで、私が何を言いたいのかをお解り願えれば幸甚だ。実は、私は先頃の内閣改造で西村康稔氏が入閣したときには「彼には期待しても良いか」とすら見ていたので、特措法担当となってからの責任回避的な小ずるい言動には大いに失望しているのだ。
昨日の「テレビタックル」は3週間振りにビデをテープを見せるだけではなかったが、締めくくりに北野武が「近頃の政治家には『やってやろう』という気迫を見せる者がいないな」と嘆いて見せたのは同感だった。これは何も西村康稔大臣だけに当て嵌まる批判ではないのだと思う。アメリカ式に言えば、年間に2,000万円以上もの多額の報酬を得ていれば、それに見合うだけの気迫を見せて働いて貰わねばならない。それに相応しくない働き振りでは退場すべきだ。
休日に国会を開いて「異例だ」などと報道させているようでは、信頼できる訳がない。何もアメリカ式を礼賛するのではないが、ある一定の地位に達して高い年俸を取っている本部長や副社長級には土曜日も日曜日も祝祭日などあって無きが如きだ。実際には閣僚も国会議員も休日も返上で働いてくれていると思っているが、1日くらい国会を開いてニュースになるようで怪しからんと思う。もっと覚悟を以て、お国と国民の為に、目に見えるところで働けと言いたくなる。