新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

5月22日 その2 “slang”=「俗語」とは

2020-05-22 13:39:54 | コラム
“slang”と“swearword”は違う:

先日“swearword”の説明をした際に「遺憾ながら、我が国では屡々“slang”即ち「俗語」と混同されている」と指摘した。そこで、今回は「俗語」とは如何なるものかを解説しようと思う。

最初に確認しておくと「“slang”(スラング)は「俗語」乃至は「隠語」か「符丁」か「記号」のことであって我が国で遍く“swearword”=「汚い言葉」と混同されるか誤解されている」ということである。即ち、困ったことにスラングとswearword(「汚い言葉」)とを混同されていることが多いという意味だ。その結果、アメリカ人は「下品なスラングを多用する」という誤解が生じていた。松本清張氏が「アメリカ兵が下品なスラングで話し始めた」と書いておられたのは良い(悪い?)であろう。アメリカ兵隊たちには確かに両方を多用する者が多いが、松本氏がこの二つの違いをご存じではなかったし、聞き分けるだけの英語についての理解が出来ていなかったようだ。

日本語にも勿論「符丁」も「隠語」も「記号」もあるし、それらを「汚い言葉」と看做す習慣もないと思う。例えば、昭和20年代の三越には隠語があって店員同士ではお客様を「前主」と呼び、「手洗い」を「遠方」などと称していた。これはお客様の前で「お手洗いに行って来ます」などと聞こえるように言うのは失礼であるとされ「遠方に行って来ます」などと同僚に断るように教育されていた。因みに、お客様用の手洗いは「前主遠方」となる。

ここでもOxfordの助けを借りて「スラング」とは如何なる言葉を言うかを考えて見よう。この辞書には“Very informal words and expressions that are more common in spoken language, especially used by a particular group of people, for example, children, soldiers, criminals, etc.”とある。ジーニアス英和には「特定の社会や職業の通用語、専門用語。隠語、符丁、合い言葉」とある。何だ、犯罪者も使うのならば下品ではないか-と言いたいだろうが、それは別途swearwordの解説を読んで頂ければ解って貰えると思う。

slangの例を挙げて見よう:
booze=酒というかアルコール飲料を言う。「私は酒は嫌いだ」と言いたければ“I don’t care for booze.”のようになる。
buzz.=ブザーを鳴らすと言う意味だが、“Give me a buzz.”で「電話をくれ」なのだが、“buzz”が俗語である。この代わりに“ring”を使っても同じことになるので、ringも俗語に入れて良いだろう。勿論、正式には“call”と言うべきだ。
bookie=私設馬券屋、所謂「ノミ屋」のこと。
cabby or cabbie=「タクシーの運転手」。タクシーは“taxi cab”というから“cab”を縮めたのだろう。
cop=「警官」なのだが、その謂われは警官のバッジが銅製なので、“copper”(「カパー」であって残念ながら「コッパー」ではない、念のため)を短縮したと聞いたことがあった。
Fedex=正式にはFederal expressという宅配便の固有名詞だが、これをこのように動詞に使って“Fedex it.”などと言えば「急ぎだから宅配便で送っておけ」となる。“courier service”のことで「クーリエ」などとも言われている。
gas=ガソリンで、元は“gasoline”なのは言うまでもあるまい。故に、「ガソリンスタンド」はgas stationとなる。「ガソリン・スタンド」はカタカナ語だから要注意。
goody=お菓子だのキャンディのこと。
newsstand=街頭などの新聞雑誌売り場のことだが、「ガソリンスタンド」はここにある「スタンド」を取り入れたのだと推定している。
pop=炭酸系飲料のことで些か古い言い方だ。soft drinkの代わりに使われている。
rookie, rooky=「新入り」、「新米」、「新兵」の意味になる。カタカナ語では「ルーキー」となっているが、これはカタカナ語製造業者の表記の誤りであり「ルッキー」か「ルキー」の方が英語の発音に近いのだ。大体からして、“book”と書いて「ブーク」と言うかという話だ。

私は以下は一寸趣が違うが、アメリカの硬貨の俗称もslangの範疇に入ると思っている。
buck=ドルである。10㌦ならば複数の“s”を付けねばならない。
quarter=25セント。すなわち、4分の1である。
dime=10セントなのだが、“a dime”とすると否定的に使って“I don’t care a dime about that matter.”で「そんなことちっとも気にしない」となって、ややidiom的な感も。
nickel=5セントになる。
penny=1セントである。
gotcha=(相手が言うことが)「解った」であり、誰かを「見付けた」ないしは「捕まえた」という意味に使う。I’ve got you.を短縮した形。これは上品ではないだろう。

ここまでの例で「汚い言葉」とは全く異なっている種類の表現であると理解して頂けただろうか。


内面と外面

2020-05-22 08:20:39 | コラム
上からの覚えが目出度いのは何れか:

つい最近何処かの週刊誌ででも読んだか定かではないが、私が新型コロナ問題が発生して以来重要な担当大臣になっている西村康稔氏と加藤勝信氏の評価が内部では高いと知った。だが、私はこの両大臣を「この国家的な大危機に際して頼むに足らず」と口を極めて批判してきた。

即ち、西村康稔大臣はお利口さんの責任回避型であり、加藤勝信厚労相にも同様な欠陥があって、このお二方が本当に将来の総理候補だと言われているのであれば、それは安倍総理か官邸のとんでもないお眼鏡違いだと扱き下ろしてきた。尤も、今では加藤氏は責任回避型と言うよりも「人を見下している嫌みな奴」と見るのが正確だと思っているが。

そこで「お眼鏡違い論」である。私は少なくとも45年以上もの間、我が国とアメリカの会社の優れた人材とその評価でも良いかも知れないが、どのように出世というか昇進して行くかの在り方を見てきた。ここでいきなり感想と結論を言ってしまえば、我が国に会社では「取引先として一定期間に外部から見ていて、彼こそは次期管理職者への昇進が当然、乃至は役員に任命されるだろう」と高く評価してきた方々が昇進される割合は、恐らく1割にも満たなかったと思っている。

この点ではアメリカの会社でもほぼ同様で、私が所属した事業部内では辣腕の副社長がそういう人事はしなかったが、本社内で関係してきた他の事業部では、矢張り彼こそは次期本部長かと評価するやり手が昇進した例は極めて少なかった。W社内部では副社長に任命するか重要な地位に抜擢される者は、先ずハーバードのビジネススクールの短期コースに派遣されるか、修士号を持っていない者の場合は、ビジネススクールの2年間のコースに入っていくので、外から見ても出世コースに乗ったと解るのだ。しかし、多くの場合は「何で彼が?」と思わせられたものだった。

そこで、西村と加藤の両氏だが、少なくとも私にはとても「この人物に我が国の将来を託そうか」と思わせてくれるような「頼り甲斐」は薬にしたくとも見出せない。昨日も西村氏は「25日に首都圏を解除するか否かは、専門家のご意見を頂戴して」と言っていた。何度でも言うが本末転倒だ。専門家会議が閣僚の上に位するはずがないだろう。総理も先日の記者会見で尾身茂副座長(諮問委員会会長)にマイクを譲る際に「ここからは尾身先生に」と敬称を付ける謙り振りだったのは失望した。西村氏には「国家の命運を担っている」くらいの覚悟が欲しい。尾身氏に担わせてどうする。

ここまでで何を言いたかったのかとなるが、それはこの二人の大臣は「上」という官邸の何とか言う総理の補佐官の覚えがめでたいという点を指摘したいのだ。そこで高い評価をさえ得ていれば責任逃れ発言に終始しようと、他人を見下して「俺様は上司に認められているのだ」とばかりに誇示して人を見下すような人物には期待できない、イヤ期待したくない」のだ。ここをもう少し突っ込んでみると「上」には人というか部下を評価する眼力がないという意味になる。補佐官も官僚出身のようだから、責任回避術に長けておられるのかと、あらぬ疑いもかけたくなってしまう。

我が国の政府というか官邸の組織には「下から言うべき事を後難を恐れずに具申できるような仕組みになっているのか」と思ってしまう。そういうことを「上」に言いに行くのは途方もない度胸を要するし、自らの職を賭けることかも知れない。でも、私はあのままこの二人のような内面が良い者が蔓延るのが得策とは思えないのだ。一歩譲って一般論として「官邸等の人の上に立つ組織では正しく公平に査定すべきではないのか」と言いたい。アメリカの組織では上司の査定だけではなく、同僚による評価も加えている制度がある。「上」はこの際「外面」も勘案すべきではないのか。