新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

5月23日 その2 IOCのコーツ氏は言った

2020-05-23 09:32:46 | コラム
私はIOCを信奉するべきではないとすら考えている:

報道によれば、IOCのばコーツ氏(John Coatesだったか)は「東京オリンピックを開催できるか否かを10月まで待って、出来ないようであれば再度の延期はない」と述べたそうだ。既に述べたように、私はこの白人の集団の我が国を含めて加盟の他国を見下した姿勢と手前勝手な決定と物の言い方に、今更ながらウンザリさせられていた。それはオリンピックというあれほどの規模の大会を主催されてきたのだからそれなりの権威はあるだろうくらいは認識している。だが、あの威張り方には辟易となるし、それに素直に従う我が国の関係者には情けなさすら感じている。

来年への延期も(報道だけによれば)我が国の組織委員会と十分に話し合い審議を尽くしたような結果ではなかったようだし、マラソンの札幌への移転にしたところで、突然の宣告だったとしか思えないのだった。その上に来年への延期に伴って発生する費用の負担も、報道によれば、IOCが勝手に審議してあの程度の少額に決めて「後は開催国が背負え」としか思えない手口だ。私には「開催させてやったのだから、有り難いと思え」と鼻の先にぶら下げて、何か言うようにしか思えない。

私の個人的な感覚では、ヨーロッパの諸国の感染状況や、アメリカのトランプ大統領方式のチャイナウイルス制圧対策未だしという情勢下で、果たして来年の7月までに何の心配もなく観客を入れて、全世界の加盟国が東京に集まって競技が出来るのかと問われれば「極めて疑問に感じざるを得ない」と答えるだろう。専門家は「ワクチン次第だ」と言われるが、私にはそれは「禁止的条件」としか理解できない。見方を変えれば、誰も「来年の7月でも難しいだろう」とは言い出しかねている状況ではないのか。

コーツ氏が言うように「更なる延期はない」が実際のことになってしまった場合に、我が国の経済的出費と損失は過大すぎるのではないのか。とても、新型コロナウイルス制圧出来た後は「経済を回す」などということではなくなってしまうのではないのか。ウイルスの蔓延は我が国の過失でもないし、責任を問われる問題ではないと思う。それでも、IOCは開催取りやめとなった場合に、我が国に全ての経費を負担せよと言うに等しいことを、コーツ氏は平然として言うのだ。私は彼らの厚顔無恥を非難したい。組織委員会はあの時点で反論するか、一言申し入れておくべきだった。

この件は「甲子園の野球を止めて高校球児が可哀想だ」などと朝から晩までいう感情論とは次元が違う。私は森喜朗会長は正々堂々と「IOCは中止の場合の費用負担の用意を」と即刻申し入れてあったと希望的に考えている。彼等を恐れる必要などない。言うべき事を言っておかないと「あの時に条件の提示がなかったではないか」などとシレッとして言い出すのが彼等だから。


「経済を回す」と言うが

2020-05-23 08:51:49 | コラム
一体何処の誰がどうやって回すのだろうか:

新型コロナウイルスのの猛威がどうやら少し下火になってきたかの感があり、安倍総理は首都圏を残して緊急事態を解除すると表明された。誠に結構なことで、自粛生活に耐えてきた国民をと言うか、我々を褒めても良いと思っている。その解除に至までの指標というか、某厚生労働大臣の言葉を借りれば目安を達成しつつある過程で、何処からともなく「経済を回す」という声が聞こえてきた。この流れは依然として感染者が目立って減少している訳でもないアメリカの多くの州では、既に現実のことになっていて、人々は街に溢れているかのような状態だ。

私はだからと言って、アメリカよりも遙かに安定していると見える我が国でも、このような傾向に追随する必要があるのかと疑っている。と言うよりも、市中には好ましくない材料が余りにも多く見られている状況下で、何処の誰が勢い良く買い物というか消費に励むのかという疑問だ。悪条件とは、大小の企業の倒産と整理と閉鎖が増え、失業者が増加し、給与所得が減少し、インバウンドとやらが90%以上も減少し、輸出入が振るわず、最大の貿易相手国である中国経済が全人代とやらで目標値の設定を見送っていたし、アメリカの景気も大いに低迷中だという辺りかな。

このような悪条件ばかりが揃っているときに、新型コロナウイルス制圧策がここまでの成果を挙げたからと言って、10万円の給付を受けた人々が「そうですか。もう安心ですか」と言って、高額な品物を買いに出ていくだろうか。例えば「待ってました」と言って高級外車などを買いに走るだろうか。豪華な温泉旅行に一家揃って出ていくだろうか。小池都知事の先走りに従って自粛閉店したデパートに殺到するだろうか。一般の家庭にそれほどの消費に向ける可処分所得などあっただろうかという問題だと思う。

何方か経済の専門家が指摘しておられたが、低所得者ほど消費に走るものであり、所得が増えるほど貯蓄なり証券投資に回してしまうのだそうだ。であれば、給付金の増額に効果があるかと考えた。現に、早めに解除された地方都市では多くの中年以上と見える人たちが「再開を待ち望んでいました」と言ってデパートに押しかけていた。「なるほど。そういうことだな」と思ってテレビのニュースを見ていた。余談になるが、私が「最早デパートのような大規模小売業の形態には将来はない」と言い出したのは、30年以上も前のことだ。とっくに専門店とスーパー等に負けていたのだ。

そう言う私だって、経済を回して景気を回復させるのは焦眉の急であるくらいは承知している。だが、企業にせよ個人にせよ、それだけの原資があるのかという疑問だ。10万円の給付にしたところで、「毎月出せばどうだ」と言う専門家もおられる。私はみみっちい補正予算等を組んで訳が解っていない野党とマスコミ連合軍に批判されるくらいならば、この際思い切ってトランプ大統領並みの規模の予算を組んで、国民に50万円でも配ってみようとでも考えたらどうかと言いたいのだ。

私の暴論的考え方は「その原資は赤字国債にする選択肢かないだろうから、財政の均衡を目指している財務省が承知しないとは思う。だが、経済が回り始めて景気が回復するかどうかなどは、国民に安心して使えるだけの資金を給付してみなければ解らないのではないか」なのだ。勿論、希望的観測だが、この多額給付方式が成功すれば税収も増えて、その給付した分だけでも回収できるのではないかとすら夢想している。某大臣のように責任回避ばかりを考えていないで、この古今未曾有の難局を乗り切ろうと思えば「一か八か」の勝負も考慮の余地があると思っている。