新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

5月21日 その2 何れが偏向報道なのか

2020-05-21 09:32:33 | コラム
黒川弘務検事長に関する報道:

本日の新聞に掲載された週刊文春の記事の広告を見ると「安倍総理が黒川検事長をごり押ししている」とある一方で、産経の阿比留記者は「安倍総理にはそういうつもりは一切ないと言っておられる」とある。私はこの非常に対照的な報道の仕方を見て「最早というか矢張りというか知らないが、週刊文春は完全に安倍内閣打倒の野党とマスコミ連合に正式に加盟していたのだ」と痛感させられた。確か「HANADA」の花田記凱氏も週刊文春の変わり様を指摘していたが、如何に何でも「ごり押し」と言うからには、余程確たる証拠を握って主張しているのかと思った。

近頃はマスコミ報道も多様化したし、SNS等という私にはほとんど縁がない手法も遍く普及してきている過剰なICT化の時代だ。しかもPresident誌には「フェイクニュース量産で大儲けする村」という記事があって、北マケドニア共和国というフェイクニュースを多発して稼いでいる国があるとの特集があった。何も週刊文春がフェイクニュースを飛ばしていると言っている訳ではないが、このように余りにも内容がかけ離れた報道が出てくると「何れを信用したら良いのか」と当惑させられるのだ。文藝春秋社とマケドニアを同等に扱う気はないが、混乱はさせられた朝の一時だった。

朝日新聞などは既に黒川検事長の辞意の表明を報じているし、例によって例のごとく立憲民主党のちびっ子ギャングだったかの安積等は既に鬼の首を取ってしまったようなはしゃぎ振りだった。私にはこの一連の検察庁法改正案は、リタイアして26年も経った日常生活には無縁だと思ってるのでサッパリ解らない。だが、黒川検事長が遊びではない麻雀を本当にやっていたという確たる証拠を週刊文春に握られていたのであれば、時期的に余りにも悪すぎると思う。

夏の甲子園野球は中止

2020-05-21 08:54:51 | コラム
マスコミ報道は感情的すぎるし偏向している:

日本高野連が夏の甲子園野球の中止を発表した。語っていたのは朝日新聞の社長だった。私は以前に独得な考え方をする高野連のことだから、敢えて開催するのではないかと皮肉のつもりで予測はしていた。本心では「高校総体が中止されただけではなく、そもそも東京オリンピックが来年に延期され、プロのスポーツでは全てがリーグ戦の開始を見送っている状態では、如何に高野連でも強行はしないだろう」と考えていた。中止を発表する記者会見では尤もらしい理由が並べられていたが、私には中止を正当化する為の後付けの根拠に聞こえた。

私には産経新聞までがほぼ1ページを費やして中止を情緒的に扱っていたのは意外だった。産経ですらこの有様だから、他のテレビや新聞の扱いは言うに及ばずで「球児が可哀想だ」、「練習の苦労が報われない」、「夏の風物詩がなくなって全国の野球ファンが落胆」といった感情論ばかりでウンザリだった。私に言わせれば「彼等は高校総体が中止されて目標が消え去った他の運動部の高校生たちは可哀想ではないと言うのか」なのだ。この彼らの情緒的な論調は「自粛で飲み屋や料理屋が危機であるのが可哀想で、多くの企業が苦境に立たされている事は忘れている」のと同じだ。

私の長年の主張は「夏の甲子園の野球を否定はしないが、これは戦後の何も人々が楽しめるというか興味の対象になる催し物がなかった時期には、郷党の誉れを担った子供たちが野球で一所懸命に奮闘して見せてくれることが(私は好まない表現だが)人々に勇気を与え元気にしてくれたという点で、大いに評価され礼賛されていたのは確かだと思う。だが、時代が変わって他の競技が栄え、世の中が多様化してきたので、甲子園どころか野球そのものが唯一の興味と関心の的である時期は終わっているのだ。もっと言えば、朝日新聞の拡販の材料の時期は終わったのだ。

しかも、私ですら意外だと思わせられたことがある。それは多くの小中学生のお子さんを持っておられる親御さんから聞こえてくる声は「子供たちがやりたがるスポーツは野球ではなくサッカーだ」というのが圧倒的に多いのだ。現に、高野連に加盟している高校は4千を割って3千8百台に減少したそうだ。私は40年近くも前から技術的な理由で、何も野球に限らずに高校生の全国大会は止める方が良いという主張をしてきた。最大の理由は「高校の指導者たちがその為だけの枝葉末節の技巧のみを教えたがる」というような、好ましくない指導をするからだ。

このような技術論はさて措いても、今日のように未だ未だ全国で緊急事態が解除されていない時期であり、いつ何時新型コロナウイルスの第二波が襲ってくるのかの見通しも立っていない状態であり、夏場の天候の予測も出来ないと思わせられるのだから、高校の野球部の者たちには気の毒だろうが、中止の決定は順当だろうと思う。だが、マスメディアの感情的な報道の姿勢は偏りすぎではないのか。高校に一体全体どれだけの種類の運動部があると思っているのか。マスコミはその野球以外の部員たちには「全国大会が中止されて気の毒だと同情しないのか」と言って終わる。