新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

5月11日 その3 訂正です

2020-05-11 14:39:11 | コラム
謹告:

ただ今掲載いたしました「その場で使える簡単な英会話」は #2 であるべきでした。その表記が抜けていました。お詫びして追加します。お許しを。

真一文字拝

5月11日 その2 その場で使える簡単な英会話

2020-05-11 14:30:58 | コラム
やさしくて解りやすい言葉で話そう:

先ほどから小池都知事の記者会見の録画を聞いていると「フェーズ」だの「ロードマップ」などという言葉が飛び出してくる。坂上忍は「今度はロードマップだって」と言ったのは、皮肉かと思ったほどだった。私が常々不思議に思っていることはと言えば、我が国の権威者乃至は専門家と呼ばれる方々は何かと言えば「英語の言葉」を使って語られる点なのだ。尾身茂副座長の“overshoot”も小池都知事の“phase”も“roadmap”もそうだが、私に言わせて貰えば「文語」乃至は我々が言う“big word”であって、日常的に使われるような口語的な表現ではないと思う。

我が国の科学としての英語を学ばれて、非実用的な単語まで覚えられたのは尊敬する。だが、そうだからと言って万人が聞いているような記者会見のような場で引用されるのは、正直に言って感心しない。私は尾身氏の「オーバーシュート」は瞬間的に何を言われたいのかを想像は出来たが、浅学非才にして“overshoot”という言葉は知らなかった。小池都知事の「ロードマップ」にしても似たようなもので、在職中にそういう言葉があるとは承知していたが、聞いたことも使った記憶もない「堅苦しい言葉」であって会話体の言葉ではない専門語の類いだ。

閑話休題。簡単な日常的に使える表現集に話を戻そう。嘗て個人指導した商社の若手の精鋭に「なんでそんなに難しいことを、簡単な言葉ばかり使って言えるんですか」と言われたことがあった。話し言葉とはそういう性質であるし、普通には社内の報告書でも堅苦しい文語(big wordの類い)は使わないものなのだ。だからこそ、私は「コラボレーション」という言葉をテレビ局だったか専門家だったかが使い出した時には驚かされたものだった。お恥ずかしながら、そういう言葉があると承知していた程度で、日常的には使わないのだから。

“Make it two.”
解説)前後の関係が解らないと意味が取れない表現だ。これはレストランなどで注文するときにウエイターかウエイトレスに「前の人と同じものを頼む」という意味で使う。3人目の人は“Make it three.”と言えば良いことになる。日本から来られたお客様たちがメニューと格闘されているときに、私が先頭を切って何か注文すると、ほとんど全員が私に「同じものを頼んでください」となってしまったことが屡々あった。それで、ある時商社の若手に「せめて“Make it two, please.”くらい言いなさい」と教えた表現。因みに、メニューを誰かが見ている限り、注文を取りには来ないのだ。

“He is gone for the day.”
解説)ICT化の時代になったのだから、最早必要がない表現かも知れない。電話をしてみたら「彼は本日はもう帰りました(帰宅しました)」と言われてしまった。「折角電話をしたのに不在か」と嘆かせられたので覚えた言い方。「早退」は“early leave”と言われた記憶がある。“He took an early leave, today.”辺りかな。

“Let me leave the matter up to you.”
解説)「この件は貴方にお任せします。」という意味。もう少し丁寧に言いたければ、“May I leave the matter up to your capable hands?”などと気取った表現もある。確認して置くが、難しい単語を一つも使わずに言えている点が特徴だ。こういう表現は繰り返し音読して覚えてしまう以外に、自分で使えるようにする方法はないと思っている。

“It’s up to you.”
解説)これは「貴方次第です。お任せします」という意味で使う。換言すれば「貴方が決めて下さい」と下駄を預けてしまうことだ。日本語から考えると極めて難しい英訳になってしまう。だからこそ、私は音読・暗記・暗唱を強力に推薦してきたのだ。

“You are the last person whom I expected to meet here, this afternoon.”
解説)ここでは“last”の使い方が要点である。「今日の午後に、まさか貴方にここで会うとは予想していなかった」と訳すので良いかと思う。英語と日本語の発想の違いが非常に良く現れている。“it was the very last thing I wanted to happen to me.“のように言えば「そんなことが私の身に降りかかってくれとは絶対に近く予期していなかった」という意味になるか。

“Let’s have a bite to eat.”
解説)何のことかと思わせるが「食事に行こうぜ」という表現で、極めて口語的というか身内で言うざっくばらんな語りかけ方。“Let’s have a bite.“だけでも十分に通じる。言うまでもないが“bite”は「噛む」という意味だが、名詞では「軽い食事」とジーニアス英和に出ている。

“Make two checks, please.”
解説)これは2人で食事に行って「割り勘」にするときに、ウエイターに予め告げておく表現。即ち、「勘定書きは別々にしてください」という意味。黙っていると伝票は1枚になってしまうのだ。“Make separate checks.”でも意味を為すと思う。念の為に確認しておくと、伝票を持って会計係に支払いに行く習慣は、アメリカにはないのだ。


国難とも言うべき時に

2020-05-11 09:07:02 | コラム
その人物の器量というか真の力量が見えてくる:

私は今回の新型コロナウイルスが引き起こした国難と言っても良い事態が、その対策や処理や制圧対策等々に携わる閣僚、国会議員、専門家会議の方々、医療従事者、専門家、評論家、ジャーナリスト等々の大変なご苦労をしておられる方々が持っておられる実力、知識と経験、力量、器量、実行力、発表の力などが恐ろしいほど剥き出しで表れてきていると思っている。昨夜も何方かが言っておられたが、特措法の下に一部には解除が迫ってきているので、今後は各都道府県の知事の実力が試される時期になるだろうと予告された。私は極めて尤もだと思って聞いた。

この新型コロナウイルスの感染が始まって以来、私は「この問題の処理はこれまでの人生で本当の危機乃至は大難関に直面して、自分の方から積極的に問題の処理に結果を恐れずと言うか失敗を忘れて、真っ向から立ち向かって行き、兎に角何としてもその行く手に必ずあるはずの灯りを見出すべく突進し、問題を無事解決できた経験がない方が挑むには、極めて手強い大難問であると言って来た。

自慢ではないが、私は22年以上もの間、事品質に関しては世界でも最も細かい要求をされ厳しいことを言う日本市場に、我が国の産業界におられる方には想像も付かないような異質であり、低質である職能別労働組合員が生産する製品を輸出する仕事をしてきたので、それこそ数え切れないほどの大小の難問題を処理してきた。中でも最大の難関は事業部の存続どころか会社としてもその史上最大の規模の補償となった案件の処理もあった。処理が終わった日には、自宅のある駅から歩いて帰る力も残っていなかった。

そこで得た教訓は「絶対に問題から逃げてはならない。逃げようとすれば、問題が何処までも後を追ってくる。問題に押しつぶされないように持てる限りの知恵を絞って全力で対応する以外に解決できる方法はない」ということ。この方法にしても非常に怖いことで、兎に角事件の全容を早く把握して、原因と対策を考え出さないことには、一歩も前には進まないのだ。何故、このような思い出話に持っていったかと言えば、現在我が国で事に当たっておられる方のほとんど全員が、初めて難局に正面から当たっておられるという点を指摘したかったのだ。

しかも、恐らくこれまでのご経験でこれほどの大難問題を乗り切ってこられた経験をお持ちではいないと思うのだ。長いのか短いのかも解らないトンネルの先の光を見出そうとされても、トンネルの形状すらお解りではないのではと想像している。その制圧の難しさを知ってしまうと、つい逃げ腰になってしまうか責任を逃れるようなことは当たり前のように起きる。だが、閣僚や国会議員がそれでは困るのだ。専門家会議に依存してばかりいられても困るのだ。自らの力で何とかして見せよう、その為には周囲に協力させようとの姿勢で取り組んで貰わねばならないのだ。責任観念だ。

その意味からすると、私はこれまでに繰り返して(ご当人は逃げておられる積はないだろうが)西村康稔大臣と加藤勝信厚労相を責任回避であると手厳しく批判してきた。そう言うだけの根拠は既に上記してある。順調な学歴を経て中央官庁に就職され、国会議員となられた今日までの経験の範囲内でこれほどの難局を処理されたことがなかったと思えば、及び腰なのは寧ろ仕方がないかとすら同情している。だが、同情は何事も解決しないので、敢えて厳しく強く批判したのだ。

対応を持て余しているのは何もこのお二人の大臣だけではない。私は人選を誤っているとすら見ている例の専門家会議も「何をして良いかがお解りではないのでは」と本気で疑っている。「先例がないというかこれまでに症例がない病を抱えた患者さんを診て治療法を考え、処方箋を書けと言われても、最早臨床医ではない方々には無理なお願いではないのかな」とすら見ている。即ち、専門家会議の会員の力量が問われているのだ。果たして本当にそれに相応しいのかと言いたくもなる

多くのテレビ局では毎日のように所謂専門家の他に厚労相経験者の議員、お医者様だった議員、感染症や疫学専門のお医者様を呼んできては色々とご意見を伺っている。だが、そういう場に引き出されると、議員の場合には悲しいまでに器量の乏しさや知識の不足や力量の無さが露呈されてしまうのだ。特に自民党のNT等は多弁であるが何を言いたいのかがハッキリせず、五月蠅いだけだとしか評価できない。お医者様にも問題なしとしない。やたらに厳しいことを言って「大変だ、大変だ。こうしないと大変なことになる」という類いの聞く方を驚かす発言に終始される方もいる。

私はテレビ局はご登場願うべき方を厳選して視聴者を無闇に驚かすようなことがないように配慮すべきだと思っている。一般の視聴者は少しでも役に立つ情報を必要としているのだから、誇張したような表現や内閣を貶めるような発言をする専門家等を避けて、正確で信頼するに足る情報をゲストを選んで発信すべきだ。私には既にここまでで指摘したようにその人物の器の大きさのほどが見えてしまった閣僚だっていると指摘している。間違ったらご免なさいだが、国難を処理には真っ向から責任を持って当たって頂きたいから言っているのだ。