新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

5月17日 その3 海外に留学するならば

2020-05-17 13:51:37 | コラム
その国の言葉を教えて貰う先生の選択に注意が必要:

昨日は「英語の汚い言葉」で「沢尻エリカさんがいきなり“swearword”を使ったので、英語を教えて貰う相手の選択を誤っていたのではなかったか」と指摘した。この選択に関連する一寸古くなった昭和初期の挿話を紹介しておこう。

ヨーロッパのある大国に留学された男性は、その国の言葉を非常に流暢に話しておられたそうだ。留学生の間でも評判が高かったそうだ。ところが、その話し方を聞いた現地の知識人が「残念ながら、この方はどうやらある特殊な職業の女性から学ばれたようだ」と批評したのだそうだ。それを聞いた一同は「学ぶ相手の選択を誤ってはならない」と肝に銘じたそうだ。私はその国の言葉はほとんど全くと言って良いほど知らない。英語には恰も女性語はないようだが、馴れてくれば明らかに女性独得の語り方や書き方があると解ってくるものだ。

話は少し本筋から離れるかも知れないが、英語では「生き字引」を“walking dictionary”と言うようだ。上記の件をアメリカの同僚たちに紹介したところ「それは“sleeping dictionary”から学んだということになる」という者がいて、大笑いになったものだった。


5月17日 その2 新型コロナウイルスの恐ろしさ

2020-05-17 10:06:40 | コラム
ウイルスは変異する:

私は以前にこの天敵である新型コロナウイルスは「ウイルスの常として変異するもの」という説を何度も専門家に聞かされて、そのような脅威があることを述べたことがあった。もとより、ウイルスについて何を知っている訳ではないので、「そういうものだ」と聞かされれば、素直に信じるしかないのだ。それで、もしかすると、アメリカやイタリアで猛威を振るっていた(振るっている?)ウイルスは“China virus”が大きく変異したのではないかなどとボンヤリと考えていた。即ち、我が国を襲った中国製とは、異なるウイルスになったのではないかということ。

今朝は目が覚めたのが早過ぎたので、何処の局だったか4時頃からのニュースをボンヤリと見ていた。すると、そこに紹介されたのが日本経済新聞の記事で畏メル友・尾形美明氏が纏めてくださったように「ウイルスのゲノム配列を調べると、感染経路や変異などが分かる。主に「中国型」「欧州型」「売国型」に分類でき、それぞれの地域で爆発的に感染が広がった。」となっていたのだった。このテレビのニュースと尾形氏の情報で、改めて中国製のウイルスの恐ろしさを痛感させられた。実は、私はこの新聞は取っていないのだ、念の為。

ところで、私が批判し続けてきた西村康稔大臣は「緊急事態が解除された地域では気を緩ませないように。緩めば二次感染が発生する危険が」と警告しておられたが、おかしいと思う。解除したご当人は「人々の気が緩む」ことは計算済みだったはずではないのか。何故、方々で気の緩み的な人出の増加が始まってから警告するのか。警告するのならば、解除を通告するときに「くれぐれもも気を緩めずに、これまで通り可能な限り自粛体制を維持して頂きたい」と言えなかったのか。同時に「ウイルスには変異する危険性が高いとご承知置きを」と触れて置いても良かっただろうに。

何れにせよ、「気を緩める方に責任があるような言い方されるのは、貴方独得の責任回避ではないか」と、私は意地悪く西村康稔大臣を責めたくなってしまうのだ。


「訳語に難が」

2020-05-17 09:24:17 | コラム
産経新聞社校閲部長・清湖口敏氏は言う:

一昨15日の清湖口敏氏の“社会的距離”と題されたコラム「言葉のひと解き」は興味深く読んだ。中でも

>引用開始
“感染症予防の分野で「ソーシャルデイスタンシング」という言葉が用いられているようで、ここから「社会的距離」の訳語が出てきたと思われるのだが、世間一般でもメディアでも「ソーシャルでいスタンス」が主流になっているような気がする。「~デイスタンシングが適切か「~デイスタンスか・・・と迷っていたら、新たな問題が浮上した。政府の専門家会議が先頃提案した「新しい生活様式」の中で「身体的距離」という言葉が使われていたのだ。「身体的~」なら英語名も「ソーシャル」ではなく「フィジカル」としなければならない・・・と考えていたら、もう訳が解らなくなっていた。”(以下略)
<引用終わる

と指摘しておられたのは尤もだと思った次第。私はこの“social distance”か「社会的距離」が出てきたときには、てっきり政府の担当部署かマスメディアが素直に英語を直訳したのかと解釈した。だが、「安全な距離」という意味だろうから、それが何故“social”なのかは理解できなかったし、もしかして「社会的距離」という日本語が先に創造されていたのではないかとすら疑っていた。

そこで、思い出したのが私がアメリカで数多く出会った奥方たちの中で最も知的で教養人だと思っていた元の上司の一人の前妻から、4月16日に「シアトル市の都市封鎖(“lockdown”なのだが、我が国では「ロックダウン」というカタカナ語の方が普及してしまった)の状況を知らせてくれたEmailには“ advised to still shelter at home and maintain safe distances while in public,”とあったことだった。

この英文と清湖口氏の論調から考えると、もしかしてアメリかでは“social”か“physical”か“safe“かというような「一定の距離を保つ」為の「答えは一つ的」な表現は使われていないと疑うに至った。それとも、我が国には何処かにおられる権威あるアメリカ事情の専門家が、アメリカの新聞を読まれたか24時間CNNでも何でも見られるようにされて、いち早く“social distance”を紹介されたのではないかと推察した。だが、「オーバーシュート」を誤って使われた尾身茂副座長は「身体的距離」を採用されたようだったのだから、飛び付いたのはマスメディアではないのかとも考えた。

私は仮令元の英語がどうあろうと直訳するのではなく、「安全な距離を保つ」というような所謂「意訳」をする方が、一般の人たちが理解しやすいのではないかと考えている。と言うことは、清湖口氏が指摘された「訳語に難」を支持するものである。余談だが、マスメディアも専門家会議も何時になれば「オーバーシュート」(“overshoot”)には「感染者の爆発的増加」という意味はないと訂正されるのだろうか。