新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

5月5日 その2 緊急事態が延長された

2020-05-05 14:50:39 | コラム
安倍内閣のご苦労に思う:

安倍総理の記者会見:

昨4日夜の安倍総理の延長を発表される記者会見は申し訳ない次第だが、予め報道等で内容が伝えられていたことと、恐らくスピーチライターか官僚の作文を読まれることになるだろうから迫力が乏しくなるだろうと想定していたので、真剣には聞いていなかった。こう言ってはいるが、決して総理を批判しているのではなく、この苦難の時に何とかせねばならないと日夜極限まで奮闘しておられれば、あのようなお疲れの表情だったのは止むを得ないだろうし「総理、誠にご苦労さまで御座います。どうぞお体を大切になさってください」と声をかけたくなっていた。

だが、テレビに登場する評論家やジャーナリストたちの言うことは「迫力がなかった」だの「何を言われたいのか不明確だった」とか「一定以下になればでは、具体性が乏しい」と言ったような非難が多く、総理以下閣僚の苦心惨憺に対する同情も何もなかったと、私には聞こえた。そういう意味では既に採り上げた「総理自身の心の底からの語り掛け」ではない以上、迫力が不足したのは当然の結果だと思っている。先ほどもバイキングで甲斐よしひろなるロック歌手もしたり顔で「迫力不足」と語っていたが、彼如きが言うべき事ではあるまい。我々が頼れるのは、総理だけなのだから。

PCR検査の不足:
この件は長い間テレビが採り上げる新型コロナウイルス関連の話題の中で最も頻繁に専門家やお医者様たちが採り上げている。だが、検査の実態は一向に彼等が望むようにと言うか、改善される兆しが見えてこないのだ。当初は専門家会議でも「医療崩壊を回避したい為に(非難囂々となった)諸々の条件を付けた」と表明していたが、今や増やすべきだという見解に変わったようだ。だが、昨日だったかテレビが採り上げた保健所の過剰どころではない物理的な負担の様子を見せられては、検査の数を増やしたくても増やせないと、厚労省の代弁をしているのかと思わせられた。

だが、数が増えないことに対する一般の人の意見の中には「官民共に懸命に検査を実施ている機関の中には、このままPCR検査を増やす態勢を何とかして整えたとしても新型コロナが収束した後ではその増加した態勢を何に活かすのかを恐れている」という見方すら聞くことがある。「増やせと言う前に、いきなりあのような検査を十分にこなせるような検査員が右から左に揃うのか」という極端なようでもある物の見方をする人もいた。先日は民間の検査会社の社長さんは「我が社はコロナ以外の検査もやっているので、既に手一杯だ」と語っていた。

この件に関する方針を決めるのは専門家会議ではなく内閣ではないのか。何かというと「我が国にはCDCのような全責任を持つ組織がないので」と批判する声がある。だが、それならば「国政に全責任を負っておられる内閣総理大臣が厚生労働省でも内閣府にでも、そのような権限を与えた組織を設ければ良いのではないかな」と私は愚考しているのだが、そのように事は運ばないのだろうか。この危機に際して特別な立法でも措置でも講ずる訳にはいかないのだろうか。

10万円の給付:
昨夜は何処の記者か知らなかったが「追加の10万円給付は検討されていないのか」という、言わば当たり前のような質問をしていた。総理は明確な答えは避けておられた。この辺りも迫力不足を云々される一因だろうが、私は別な見方をするようになった。それは、何処の局だったか記憶はないが、広島市役所で多くののテーブルの上に積み上げられた無数の窓開き封筒を背にして、広島大学の学生たちが「アルバイトが消滅したこの時期に有り難いこと」と感謝しながら、封筒に給付手続きの書類一式を詰め込んでいた。

広島市の人口は300万人に近いようだから、人の手で封筒に詰め込んでいるのでは、余程大勢の学生アルバイトを集めても一朝一夕にその夥しい数の封筒を郵便局に持ち込めるのは、何時のことになるのだろうかと痛感させられた。そして、その先にある仕事は受け取った家庭の方々は必要な事項を記入して、銀行口座を証明するに資料と本人確認の資料を添付して、再び投函せねばならないのだ。それを受け取った市役所では態勢を整えて、書類を整理するのだが、恐らく不備は出てくると思う。銀行振り込みの準備はその先になるだろう。

その際に如何に資料不備に対応するかも予め決めておかねばならないだろう。とすれば、一斉に銀行口座に振り込めるのは何時になるかと想像すると、果たしてこの300万都市では6月中でも難しくはないのかと等と考え込まされた。我が新宿区でも4月末で4万人もの外国人も含めて35万人近い人口である。区役所はさぞかし大変だろうなと、お節介にも今から同情している。

そういう状況になる現金の現金給付をもう一度などとなれば、市区町村の役所は再び大変な負担になってしまうのだろうが、アルバイト学生を喜ばせることは出来るかも知れないななどと考えながら、ニュースを見ていた。実は2回目ともなれば、財源の心配もせねばなるまいが、赤字国債以外の名案があるのだろうか。そうなれば継ぎ足しになる前に、今のうちに2回目もあるかも知れないし、部分的にでも何でも解除を言うのは5月14日頃などと言われない方が得策だったのではと思っている。継ぎ足し方式をこそ回避された方が良くはないか。


「何の専門家なんだい」

2020-05-05 09:39:51 | コラム
専門家会議への依存に対する疑問:

件名は先ほどテレ朝で中尾彬が言っていたこと。「あの程度のことなら俺でも言えるよ」と、専門家会議の新生活様式への提言をくさしていた。尤もだと思って聞いていた。安倍総理は昨4日夜の緊急事態を5月31日まで延長する記者会見でも、何度か『専門家に相談して』と言われたし、かの西村康稔大臣も何かと言えば自分で決めるとは言わないで常用する逃げ口上でもある。私は既に何度か採り上げて疑問を呈しておいたが、政治というか総理や閣僚がこの重大な時期にあって「自分で決断するが専門家の意見も聞く」と何故言えないのかと極めて不審に思っている。

これも既に採り上げたことだが、国にとってあれほど重大なことを決める為の諮問機関に、感染症や疫病の専門のお医者様のみを集めて、危機管理の専門家もエコノミストも入れずに依存するだけに終わらず、陰の存在を表に出して不慣れなプリゼンテーションまでをさせてしまうような他人依存の政治手法には、飽き飽きしているのだ。私は繰り返して言うが、あの尾身茂副座長が担当したプリゼンテーションなどは、内閣の誰かがやるべきものであり、お医者様に依頼したこと自体が判断の誤りだと思っている。

私がここまであの専門家会議への依存を否定し批判するのには、それなりの理由がある。その点を例え話で説明してみよう。それは「入社以来工場で製造の現場で実際に機械を操作して実績を挙げてきた技術者を、その高い技術を高評価し大抜擢して、いきなり営業本部に異動させて、会社最大の重大な得意先の営業を担当させたのと同じだ」ということ。如何にその技術者が現場で優秀であっても、政治的判断をする場合も多々ある営業担当に向いているかいないかは、深く考えなくとも解ることではないか。

確かに専門家会議にはその道の権威者なのだろうと思わせられるお医者様は多いと思って見ている。だが、そういう方々を集めて感染症や疫病に関して教えて頂くことは政治しか知らない閣僚には必要なことだとは解る。だが、私には安倍内閣の依存度を見ていると「隠れ蓑」代わりにしているかの如くに見えるのは何故だろう。中尾彬の指摘も尤もだと思うし、「何故一国の内閣の閣僚足る者が自分で判断して決める」と言えないのかと、重ねて言いたい。

古い話になるが、1953年にニューヨークから来た真珠のバイヤーの手伝いをしたときに、ある報告書を纏めるように指示された。大学の文学部英文学科の3年生だった私は何ら躊躇うことなく、一気呵成に文章を書いていったし、勿論改行するなどは考えてもいなかった。そこで雇い主から「駄目だ」と言われた。それは「その書き方は君がビジネスの世界にいたことがないと示している。報告書である以上、各項目別に箇条書き(=“itemize”という、念の為)にしないことには、読む方が解り難くなる」という指導だった。「なるほど」と大いに勉強になった。

何故こういうことを持ち出しかと言えば、専門家会議のお医者様たちは優れた技術者であっても、政治的な要素も入ってくるビジネスの世界の権威者ではないのだ。日常的にアメリカ式のプリゼンテーションを内部や外部の場でやって来られた訳ではないのだ。しかも、先日のようにあれほど重要な説明を技術者であるお医者様に依頼した内閣の方針がおかしいのだと、私は敢えて断言しておきたいのだ。専門家会議の構成員を再検討されることである以外に、あのような何かと言えば依存する態勢から脱却して欲しいと思っている。技術者に営業や経営をさせるのは疑問である。