新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

5月6日 その2 20年4月の新宿区の人口

2020-05-06 13:51:00 | コラム
20年4月は295人の減少で347,570人となっていた:

20年の4月の新宿区の人口は前月に続いて減少し、対前月比△0.08%の347,570人となっていた。その内訳は、日本人は1390人の増加で307,351人となっていた。ところが、永年採り上げてきた外国人の数はこれまで余り経験してこなかった現象で、一気に1,685人と大幅に減少し40,219人となっていた。これは対前月比では△4.02%の落ち込みで、全体に占める比率も11.6%と長い間維持してきた12%台を割り込んだのだった。私には前回12%を下回ったのが何時のことだったかの記憶がない。

これで、外国人は新型コロナウイルスの感染者が増え出す前の昨年12月には147人の減少で、今年の1月にも470人も減り、2月にも132人で3月にも562人の減少だったのだから、4ヶ月間の合計で2,864人もの減少となっていたのには、些か驚かされた。彼等がウイルスの感染を恐れて帰国したのかとも考えられなくもないが、言わば鎖国状態の我が国を簡単に出国できたとしても、彼らの祖国が易々と受け入れるのだろうか。他に想定できる現象の理由は、日本語学校閉鎖されては滞在している理由も意味もないのではないか。それにアルバイトもままなるまい。

かく申す私は、先月の外出自粛要請などが出る前から、ただひたすら感染を恐れて3月からは我がアパートから600 m程の都バスの停留所まで出掛けたのは病院に通った2回だけだったから、ラマダンに入ったイスラム教徒たちの動向すら分からない状態。また、一時は大久保通りやイスラム横町であれほど売られていた中国から横流し(?)マスクも、噂によれば早くも供給過剰状態となって、50枚1箱の値段も¥3,000かそれを切るまでに下落した模様である。だが、薬局等の正規の販路で売られているとは、未だ寡聞にして聞いていない。

10万円の給付にも触れておこう。昨日は広島市のことを論じた。ここ新宿区ではより詳細な統計が入手できるので、少しだけ掘り下げてみよう。それは新宿区の広報には世帯数が掲載されているということだ。4月の統計では区内の世帯数は220,769で、3月は220,948となっていた。何れにせよ22万台であるから、それほどの数の申込書を各家庭に送付するのは物理的には容易ならざる作業であろうとは想像がつく。だが、区役所だけではなく方々に支所がるのだから、案外に早く受け取ることも出来るかと、密かに期待している。矢張り、悪政アルバイトでも雇うのかな。

先月から本当に大事を取って出歩かないようにしていたので、街角から得た情報も極めて限定されてしまった。その中でも過去4ヶ月間に外国人が2,864人も減少していたことは、特筆すべき事件だったかも知れないと思っている。個人的には、一刻も早く専門家会議に過度に依存することなく、新型コロナウイルスが制圧されて、自由に街角の景気診断ではなかった、大久保通りから百人町の動きを報告できるようになって欲しいと、心から願っている。

参考資料:新宿区広報 令和2年5月5日号


新型コロナウイルス制圧策の問題点

2020-05-06 09:02:40 | コラム
現状は何処の何方の責任なのか:

私が考える責任者は矢張り政府である。ほとんどの問題点は再三再四指摘して来た「後手・後手の継ぎ足し方式」の考え方しか出来なかった政府と、未曾有の難関に接して何ら有効な手を打てずに右往左往しただけだった厚生労働省と、それを率いているはずの加藤勝信厚労相を責めたいと思う。加藤氏は大蔵官僚としては優秀だったかも知れないが、不運にも経験したこともなかった未知の世界の厚生労働行政の指導者になっては、畑違いの場では気の毒に見えるほど無為無策だった。

恐るべき事に厚生労働省か加藤大臣か知らないが、今頃になってあれほど不評だった「37.5度が4日連続で云々」という制約の37.5度を改善しようかと検討を開始したと報じられている。検査の結果で陽性となった患者を自宅に留め置いて死亡させてしまったにも拘わらず、誰も責任を取らずに今になって改善を検討するとは酷すぎるやり方だ。私はこの奇怪千万な仕組みは厚生労働省が決めたのだろうかと思っていたが、どうやらそうではなかったようなのだ。余り好みではない「朝日デジタル」によれば、

「専門家会議が2月17日にまとめた目安では、軽症者が医療機関に殺到して医療崩壊するのを防ぐといった狙いから、風邪の症状や37・5度以上の発熱が4日以上続いた場合に帰国者・接触者相談センターに相談することとされた。高齢者や基礎疾患がある人ら重症化しやすい人についても、2日程度続いた場合だった。」となっていた。

そうであれば、保健所に何もかも負担させ、そこに集まったPCR検査の検体を、保健所員の手で検査機関にまで運ばせているというテレビのニュースを見て、私は呆れ返った。あれを見るまではPCR検査の数が増えないのは保健所が障害物になっていたのだと信じ切っていたが、かかるアナログというか前時代的な業務になることを強いたのは、かの「専門家会議」らしいようだと初めて推察するに至った。中尾彬に「何の専門家なんだい」と言われたのは、再び尤も至極だと思うようになった。

そこまで言っても、私は専門家会議に何もかも責任をかぶせるのは不当だと思っている。イヤ寧ろお気の毒だとすら考えている。新型コロナウイルスの感染が始まって以来、面白くないニュースだと承知していても、私は関連のテレビや新聞のニュースには注意していた。だが、どうやら「専門家会議」への諮問を決めてあの偏った委員の編成というか選択を、何処の何方がなさったかを見損なっていたらしい。この件は報道されたのだろうか。

事実、私はつい数日前までは何処の何方が座長であるかも知らなかったし、その構成員には臨床医で現実に患者を診ておられるのが釜萢医師一人だったと聞いて、ここでも正直に言って呆れ返った。何も知らない政治家が依存すべき存在ではないとしか思えなかった。ましてや、既に指摘したように前面に出すべき存在ではない。当事者は内閣であり、その閣僚だし、与党の議員たちではないのか。絶対に小池都知事ではない。

私はこの会議と尾身茂氏が会長だと報じられている諮問委員会も、誰が選ばれているかの報道には接していない。専門家会議の構成員については、先頃日本大学危機管理学部の福田教授が指摘されるまで危機管理の専門家も入っていなければ、エコノミストもいないと知らなかった。これも驚き呆れた。報道によれば、尾身茂副座長は“better late than never”だが、エコノミストもお入れ願いたいと政府に申告されたそうだ。きついことを言えば「漸く身の程を知った」のだろうか。

昨夜も開業しておられる倉持医師が「専門家会議の提言は余りにも抽象的であり、現場にとっては何の役にも立たない。釜萢医師一人が現場をご存じのような構成で、彼等が何を言おうと自分たちは自分たちで出来ることをやるだけ」と憤慨された表情で言われていた。以前から専門家会議の在り方とそれに対する内閣と関係閣僚の異常とでも言いたい依存度を批判してきた私からすれば、内閣も専門家会議も加藤大臣と西村大臣も謙虚に聞くべき倉持医師の意見だったと痛感している。だが、私が幾らここで遠吠えしても、専門家会議の構成員が直ちに変わるとは期待できないと思う。

昨日は「我が国にもアメリカのCDCのような組織を早急に設けて全面的な権限を与えて、新型コロナウイルスの制圧に当たらせるべきでは」と言った。だが、落ち着いて考えなくとも解ることで「この誰がやっても思うように旨く事が運ぶ確率が低い時期に、このような仕事を手を上げて引き受ければ貧乏くじだ」と誰しもが思うだろう。ましてや、逃げ回り専門の西村康稔大臣は不適格だし、加藤大臣も同様だ。だからと言って、このまま現場から離れてしまった管理職ばかりの専門家会議への依存はもっと望ましくないと思う。

誰だったか失念したが、所謂政治評論家が「人気の終わりが見えてきた安倍総理の言うことを全面的に聞こうとしない閣僚と与党議員が多いので」と言っていた。だが、その総理ですら二言目には「専門家に聞いて」と言われるのだ。そんなことを言う前に、ウイルスに感染の危険を覚悟で、目一杯よりも困難な状態でマスクも防護服も不足している医療の現場で敢闘しておられる多くの医師と看護師の苦境を見に回られては如何か。専門家が言っていることが如何に空疎で現実を知らない空論だと解るかも知れないと思う。