新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

5月30日 その3 29日夜のPrime Newsより

2020-05-30 14:42:10 | コラム
予想しなかった収穫があった与野党政調会長の出席:

実は、自民党政調会長・岸田文雄氏が出ると知って失望というか何の期待もなく、チャンネルを合わせていた。彼の語りはニュースでつまみ食いする程度でも「全く無味乾燥」と評価していなかったので、興味が湧かなかったのだ。だが、立憲民主党政調会長・逢坂誠二氏は安倍内閣の揚げ足取りだけの存在だとしか情報の持ち合わせがなかったので、これまた期待感なしという具合だった。だがしかし、終わりまで眠気にも襲われずに最後まで見て(聞いて)しまった。何も感動するような内容だと言うのではなく、両名の人となりを知る貴重な機会だったという意味だ。

岸田文雄という人はその大学の出身者には屡々見受けられる個性豊かな(と言えばお世辞めくが、世間では一癖も二癖もある異色な人物が多いという見方をする人が多い)人柄ではなく「非常に狭い幅の中で『えーと』を再三挟んでは慎重に言葉を選んで、言質を取られないような臆病とでも形容したいような事しか言えないのか、あるいは言わないようにしているのかは不明だが、聞いていても常識の範囲内を出ない事しか言わないので、確かに面白くない」のだ。反町が如何に煽っても慎重居士は同じないのである。

だが、例によって後難を恐れて言えば、安倍晋三さんには、可能ならば彼には禅譲等はしないで頂きたいなと痛感させられた。もしも、アメリカのトランプ大統領がその狙いの通りに再選を果たせば、トランプ氏は岸田文雄首相の扱いに困窮されるか、投げ出すかの何れだろうかと危惧する。残す手法は、あの堅苦しい通訳をする高尾氏を留任させて、前任者とは変わらない堅物だという印象を与える事くらいしかトランプ対策が思い当たらないのだ。岸田氏の正体など知り得ようがないか、個人的に付き合えば、希望的観測では意外に慎重居士ではないのかも知れないとは思うが。

逢坂誠二氏だ。揚げ足取りだけが能事ではないと知り得ただけでも収穫があった。何らの予備知識もなく発言を聞いたので判明したが、思考体系は緻密でかなり良く勉強をしてあるなとは思わせてくれた。「良い事を言うな」と思わせてくれたのは「立憲民主党は国会では揚げ足取りばかりで、やれ黒川前検事長だの、モリカケだの桜の会だのという類いの質問ばかりをしているのは承知している。だが、決してそれだけではなく何十回も岸田政調会長と野党を代表して打合会を積み上げて、意思の疎通を図っている」と発言して、岸田氏にもそれを認めさせるのに成功した強かさを見せた。

その辺りに父親の跡を継いで国会議員になって(その間に銀行勤務が挟まれていたが)言わばアメリカ式の「スピードトラック」に乗って経験を積んで「禅譲待ち」の岸田氏とは大いに異なる、北大の薬学部を経てニセコ町長という言わば「叩き上げ」に近いような経験をしてきた逢坂氏は、反町に何を振られようと綺麗に切り返すだけの場慣れと余裕を見せていた。その辺りが言うなれば「アッパーミドル」育ちの岸田氏との違いであり、岸田氏は与党内で苦労せずにここまで来た弱みを見せてしまったようにも思わせてくれた。

私から見れば、BSフジの意外とも言いたくなるような好企画になった昨夜の2時間弱だった。私は反町には今後とも与野党のこれと思う人物を呼んで、その能力というか正体が分かるような手法を続けて貰えると面白いと思っている。過日は西村康稔特措法担当大臣の登場を敢えて見送ったのは、失敗だったかも知れないと反省している。でも、あのお利口さんぶりではねー。


5月30日 その2 我が国を22年余りアメリカ側の一員として見てきた者として

2020-05-30 10:26:51 | コラム
我が国を外側から観察してきたので:

私は1972年8月から全く思いもかけなかった運命が私に向かって流れてきたし、信じられないような偶然の積み重ねで、思ってもいなかったアメリカの大手紙パルプメーカーの日本駐在マネージャーに転進した事は、これまでに繰り返して述べてきた。しかも更に転進したアメリか第2位の紙パルプ林産物メーカーのウエアーハウザーでは「アメリカ第2位の対日輸出額の会社」の一員として、彼等の思想信条・哲学・倫理観、思考体系の下に我が国とアメリカの企業社会の文化の相違を「これでもか」と言われそうなほど経験してきた。

故に、私が未だに述べている事は「外側から見た日本」という色彩が濃厚だと思っている。この点は是非とも語承知置き願いたいのだ。それがお気に触ればご容赦を。

その22年半の経験の中から学び得た事は「我が国が如何に優れた国であるか」という厳然たる事実である。アメリカと単純に比較すれば「教育水準が高くムラがないので、簡単に言えば働く者の質が高く均一である」、「前項までのお陰で生産性が低いのなんのと批判されても、工業製品から非耐久消費財に至るまで世界にその例を見ないほど高品質である」、「アメリカほどの貧富の差がなく、少数民族の存在が文字通り少数である」、「世界に例を見ないほど清潔感を尊重し、何処に行って街はチリ一つないほど綺麗である」、「道徳的であり、倫理観がある」等々かと思う。

特に遺失物が戻ってくるという点は、西欧諸国では想像もない次元にある。ウエアーハウザーで初めて出張してきたニュージーランド人のマネージャーがタクシーの中に“wallet”(札入れで良いだろう)を置き忘れた。目的地で下車して気が付いて顔面蒼白で私の秘書に電話で中に入っていたクレデイットカード等の会社とATMカードの銀行に取り消しを依頼する電話をするように依頼した。私が偶然にタクシーの社名と運転手名を見ていたので、秘書に先ずそこに電話をさせた。すると、walletは既に届けられていた。彼は「奇跡だ。日本という国を見直した」と叫んだ。

但し、我が国とアメリカの間には文化比較論では触れてこなかった「法律による細かすぎる規制」にはお互いに想像も出来なかった何ともならない違いがある。これは現実にアメリカ側を代表して我が国に輸出をしてみて初めて解る事だ。出来る限り凝縮して言えば「我が国では輸出入は原則禁止だが、例外としてあれとこれは許可する」となっている一方で、「アメリカは原則として何を輸出入しようと勝手だが、これだけは禁止」という、日本側から見ればゆるゆるの規制しかかかっていないのだ。

これだけでは何が言いたいのか不明だろうから、私の経験から一例を挙げておこう。我が社の最大の取引先が我が国の大包装展にアメリカの大型の1.5と2リッターの牛乳パック見本品を展示しようとして、我が社に20枚ほどの提供を依頼された。それを本社が誤って私宛に送ってしまった。すると、日常的に輸入業務に携わっていない私は通関業者から輸入手続きの申請をせよと通告があった。「見本の提供だから無料だが」と言ってみたが、税関が認めず飽くまでも国内でも転売目的と看做すと、厳しく通告された。即ち、禁を破った格好になってしまったのだ。

業者には「無駄な抵抗」と言われたが、税関に電話して事情を説明したが事態は変わるどころか更に悪化して「転売するに当たってそのカートン(見本)を専業者に依頼して経費をかけて消毒の為に燻蒸すれば許可する」となった。「それらのカートンは英語の印刷しか施されておらず、日本国内には通用しない規格である」との説明は我が国の輸出入管理令の前には無効だった。これを融通が利かない禁止的は規制と見るか、衛生観念の発達とみるかは難しいが、法律には勝てず業者に依頼して燻蒸してやっと得意先に「転売はない」との条件で引き渡せた。

国内製品の規制も挙げておこう。ご存じの一般人もおられるとは思うが、1980年代に入って牛乳は紙パックが圧倒的に市場を占有する時代になっても、我が国の乳等省令では紙パックを何らかの製品に新規に採用する乳業や飲料のメーカーは、厚生省(当時)に「例外容器使用の申請書」に容器に使用されるアメリカの原紙とラミネートされているポリエチレンのペレットの見本を添付せねばならなかったのだ。これは厚生省では牛乳の包装容器はガラス瓶と決めていたので、過半数を占める紙容器は「例外容器」と規制されていたのだ。液体容器原紙の対日輸出にはこういう見えざる手間暇をかけて今日に至っているのだ。

このように何事につけても厳格に規制されている事柄が多い我が国では、今回のようにいきなり武漢ウイルスに大規模に襲来されても、恐らく四方八方に張り巡らされた規制と前例等々の壁(なんで官民挙って「ハードル」と言うのだろう)を乗り越えなければならなかったのだろうと、密かに推定している。そして独断と偏見だと言われても仕方ないと覚悟して言えば「諸々の規制等が邪魔をして「初動が遅かった」と批判した原因となったかのようだし、私が言う「後追いの継ぎ足し方式」を招来したのだろうと疑っている。私でさえ「これでは危ないのでは」と憂いていた。

ところがである、世界の方々の国で懸念して見せた初動の遅さに加えるに、彼等が見れば場当たり的になってしまう後追いの継ぎ足し方式に徹していたし、PCR検査もキャパ(嫌な言葉だ)があってもも最小限しか実行してこなかった我が国でも、感染者数も死亡者も何も世界最低の水準を保ち続けてきたのだった。事ここに至っても我が国の方式を批判する国もあるし、批判勢力は国内にもごまんといる。我が国のマスコミが有り難がるワシントンDCの地方紙「ワシントンポスト」は賞賛とも読める記事を掲載したが、私は嫌みか皮肉だとしか読めなかった。

彼等には無手勝流が成果を挙げたのが余程勘に障ったのだろう。言って置くが、あの新聞はアメリカ全土で購読されている新聞ではないのだ。朝日新聞とは違うのだ。私は20年以上もワシントン州を中心に東はニューヨーク、中西部ではシカゴ等々大袈裟に言えばアメリカ中を飛び回ってきたが、ワシントンポスト紙を読む機会はついぞ訪れてこなかった。

話を戻そう。私には我が国でワシントンポストが取り上げたほどの今日までの制圧策が功を奏している理由を、医学的か感染症学的に見る事あなど出来る訳はない。だが、以前にも指摘したが、我が国はアメリカと比較すれば国民の質があらゆる意味でバラついていないし、質的に問題かと懸念されている流入してきた諸外国の民族の比率はアメリカとは比較にならないほど低い。これは大きな優位性であり相違点だと思っている。我が国には私がシカゴやアトランタで見聞する機会があった「アフリカ系住民街」は存在しない。LAのような広大なKoreatownもない。

それだけではない、我々はごく自然に清潔かそういう観念を持つように育てられてきた。「手を洗う習慣」は何もウイルス襲来の前から厳しく言われてて来た。マスク着用の習慣はインフルエンザ対策もあったが、抵抗なく着用するようになっていた。国民の質のムラのない均一性は「要請」されただけでも(橋下徹氏が何とか法律と扱き下ろそうとも)、圧倒的多数の国民が不要不急の外出をしないで過ごしてきた。二者択一でしか物事を考えられないアメリかではロックダウンに訴えないと、外出を抑え切れなかったのとは大いなる「思考体系」の相違点である。

より細かく分析すれば、我が国では「要請」と言われても、コインの裏側は「外出禁止」と読むような思考回路があるのだ。だが、二者択一でしか物事を考えられないアメリカ人は「禁止」と真っ向から通告されないと守れないのだ。言いたくはないが、この辺りの思考体系の相違点は「彼等の中で永年暮らして、彼等と一つも目的の下で苦楽を共にしてきて初めて見えてくる」と思っている。彼等は「言われていない事は一切やらない」のだし、ましてや「職務内容記述書」で指示されていない項目はやる義務もないし、対価も支払われないと承知している民族だ。

私は何時まで経ってもそれほど文化と思考体系が異なる連中を何故か崇め奉り、彼等がいう事を有り難く承り、彼等に気兼ね(特に中国に)をする時代はとっくの昔に終わっていると思っている。アメリカやヨーロッパの諸国に留学すれば、何か素晴らしい学問的に優れた教養と知識と世界観が身に付くと思うのは勝手だが、私は経験的にもそうとは見ていない。それだけではない「英語が流暢にしゃべれるようになる事を最終目的のように看做すものおかしい。問題は話している内容であり、外国人を説得する能力が備わっているか否か」である。

私は「何とかポスト」や「どこそこのTIMES」が何と言おうと、我が道を堂々と進んでいく方が良いと思っているし、安倍首相も西村担当大臣も加藤厚労相もその辺りを十分にお解りであると、正直に言えば、かなり希望的観測の要素を組み入れて期待している。だが、どうしても気にかかるのが西村担当大臣が「専門家会議にお諮りして」と内閣があの会議の下位にあるかのような謙り方は異常だと思う。私はどう見ても武漢ウイルスに対する臨床経験が十分におありとも思えない専門家を選ばざるを得なかった政府にも問題があると信じている。


第2波は既に襲来していたか

2020-05-30 10:20:13 | コラム
昭和大学の二木客員教授が指摘された「余波」が穏当だと思う:

昨29日には東京都では22人という感染者が発生して、小池都知事が設定した何とか言う基準値をぐらつかせたが、彼女は躊躇せずにステップ(既に指摘したが、カタカナ語を使う必然性など皆無だが)の段階を進めると発表してしまった。同様に九州の北九州市でも長いゼロの期間を経て20名突破を記録してしまった。この様子を見て出演しておられた二木氏に司会者が「第2波が起きているのか」と尋ねた。私の捉え方では「余震」とでも言われるかと思えば「余波であって、第2波とはもう少し日時を経てからドンと大規模に襲ってくるもの」と解説された。納得だった。

私はテレビ局がご登場願っている専門家の方々には「所謂」を付けたい嘗ては臨床をされていた頃に積み上げた預金的経験に基づいて主に理論的な事を述べられる一派と、二木氏のように勿論理論の裏付けはあるが、かなり現実的で解りやすく親切に語る流派と、現実に悲しいほど直面されている開業医からの立場で「現場の物理的な過剰負担と経営難」を時には感情的に、時には切々と訴えられる倉持氏のような、現実を語るどちらかと言えば「政府批判派」とに別けられると思っている。だが、この第3類はテレビ局の意に沿わないようで、何時も「リモート」であるのも面白い。

私は「第2波」であるかないかなどを語るべき立場にはいないが、北九州はいざ知らず、東京で生じている20名を突破してきた流れは「第2波」ではないと考えている。確かに都区外の病院で集団感染(私は「クラスター」というカタカナ語は採らない)が生じたという事実はあるが、テレウワーキングなるものがある程度普及しても、多くの会社員は相変わらず「遅刻」なる制度に縛られているようだし、老いも若きも飲み屋に群がっているような、フラストレーションからの開放感を味わう夜間外出のような緊張感の欠如をこそ、責めたい気がするのだ。

最後に八つ当たりし気になるかも知れないが、今週の週刊新潮がほとんど完膚なきまでに小池都知事の売名行為と、すべの道は再戦に続く的な姿勢を叩いていたのは尤もであると考えている。それが都民と都区外からの通勤者の緊張感を削いだのではなかったかと看做している。この辺りは産経新聞の花田凱記氏の「週刊誌ウオッチング」が鋭く衝いていると思うので、興味と関心をお持ちの型はご一読を。話を戻しておくと、私は「余震」は良いところを衝いたと思って自画自賛したいのだが、どんなものでしょうか。