Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

ゲーテ曰ク

2009-04-22 19:44:52 | 考えの切れ端
ゲーテの言葉にこんなのがあります。

「どんな場合にも口論なんぞする気になるな。
賢い人でも無知なものと争うと、無知に陥ってしまう。」

口論のさいに湧き出てくるものは、怒りの感情と言葉。
そういったものが、無知へ通じるものとして書かれている。
「賢い人でも無知なものと争うと、無知に陥ってしまう。」とあります。
きっとね、賢い人というものは、言葉にできない、なっていないものを
見据えているんじゃないのかな。賢いか無知かを判断するのって、
そこのところにかかってくるんじゃないかという気がしてくる。
口論なんか、言葉になっていないもので戦うというのがないですよね。
言葉だけであーだこーだ言い合うのは、言葉になっていないけど大事なもの
をないがしろにして争うことなんじゃないか。
そうなると、争点となる論理にしろ正論にしろは低い次元でのものとなる。
「無知に陥ってしまう」ということになるんですかね。
自分は、すごく程度の高い話をしているんだ、と口論する人は思い、
それによって、ちょっとした喜びすら覚えている人がいるかもしれない。
でも、所詮、それは言葉の中でだけ帰結する程度のものごとなんだよ、
ということになりませんか。
怒りの感情が絡むと、もっといろいろ単純化して話しそうですし。
高次の考えをもっていなくても、低い次元での言葉をたくさんもっていれば、
なんだかんだと言いくるめることってできるんだと思います。
そして、そういうのが得意な人もいますし、そういう人に限って、
「俺に(私に)従え」という強引な持っていき方をしたりもするんじゃないか。

もう僕も30歳を超えて、考え方が固まる時期だなんて言われもします。
しかし、頭が固い人にはなりたくないので、本を読んだり映画を観たりして
頭をほぐしたり鍛えたりしています。
わからないことはわからないでいいのです。
そこをわかった風にまとめてしまったりすると、
自分の伸びしろを短くしてしまうことになると思っています。
今回の記事もまた、ちょっとそういうスタンスです。
おおまかな方向は見定めている感じ。
そういうくらいで良い物事。
そうじゃない物事もあるなぁ。
こうなるからこうなると断言できることも、まぁあるんですな。
だからといって、それを全てに当てはめるとおかしくなりますね。

以上です。
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