Fish On The Boat

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『創造する無意識 ユングの文芸論』

2009-06-24 22:07:25 | 読書。
読書。
『創造する無意識 ユングの文芸論』 C・G・ユング 松代洋一訳
を読んだ。

心理的な文学と幻視的な文学。
と書いても、何を意味しているかわからないでしょうね。

すべて自分の技巧や計算なんかで、緻密に作品を作っていく。
自分の頭の範囲内で作られた文学が、心理的文学なのかな。
それに対して、幻視的な文学とは、個人を超えた、
みんなの無意識の通底する部分から、
作者がくみ出すというか、強襲されるというか、
つき動かされて作った作品のことをいうのかな。
細かいことを知りたい人は、この本を読んでもらうことにします。

ユングさんだからね。フロイトと並んで、精神世界を科学した人です。
フロイトは読んだことは無いんですよね。
訳者のあとがきによると、ユングはニーチェを好んで読んでいたそう。
僕は、今回ユングを読みましたが、ニーチェは読んだことがありません。
フロイトはドストエフスキーを好んでいたそうです。
僕は、ドストエフスキーは面白いと思って3作品読みましたが、
フロイトは読んだことがない。
なんだかなぁ、って感じですかね。

とはいえ、ユング派心理学者の河合隼雄さんの本は何冊か面白く読んでいたので、
今回このユングを読んだことは、いきなり違う分野に飛び込んだものではなかったです。
実際、この本はユングの入門書というわけでもないんでしょうね。
でも、平易に書かれているから、初めて読んでみるのには
もしかしたら適しているかもしれません。
それはそれとして、さっき書いた、幻視的文学についての稿のほか、
3編が収録されています。

最後に、この本に書かれていたある文章を載せておこうと思います。
本の内容の幹の部分か、枝の部分かといえば、この言葉は
幹に近い枝の部分ということになるでしょう。

___

たとえばプラトンは、認識論の抱えている問題の全体を洞窟の比喩で表し、
キリストは神の国の概念をもっぱら喩え話で語りましたが、
これこそがまさに正真正銘の象徴であって、
象徴とは、まだそれを表すべき言葉や概念がないものを
なんとかして表現しようとする試みにほかならないのです。
・・・P19
___

まぁね、考えればわかることでしょうけれど、
なかなか、忘れがちな基本姿勢だったりしませんか。
無理にたとえ話を使うことはなくて、うまい言葉が見つからないときや、
そういう概念のもつ言葉がないときに、使えばいいんですね。
村上春樹さんはよくたとえを使いますが、それによって、
まだそれを表す言葉や概念がない「物事」や「感じ」を
表現しているってことなんだろうなぁ。
そんな芸術性を持ちながらも、読んでいて面白いんだからなぁ。
やる人だと思いますね。逆に、そういう認識のかゆいところを突いてくるから
面白いのかもしれませんね。

巻末に掲載されているユングの年表を読んでいると、
ちょっとこの人はオカルト方面にも興味を持った人だなってわかるんですが、
この本に関して言えば、まるでオカルトがかったところはないです。
面白いね、こんな、現代の時代に名を残した人が
オカルトがかってたりするっていうのは。
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