Fish On The Boat

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「コミュ障」ト仕分ケスル害悪

2013-05-11 19:35:36 | 考えの切れ端
ツイッターのタイムラインを流れてくるので知りましたが、
コミュニケーション障害(以下、コミュ障と略)という言葉がありますね。

昔は、…そうですね、僕が20歳くらいの頃の15,6年前だとか、
そういう言葉は聴きませんでした。
いつから、コミュ障なる言われ方がするようになったのかは定ではない
(そりゃそうです、若い人ならいざ知らず、最近知ったんですから)。

自分に自信がない、他人を信用できない、話ベタ、話し馴れしていない、人見知り...etc、
人との付き合いがうまくいかなかったり苦手だったりする理由があり、
「もう少し社交的になれば」と言われれば、「いや、自分に自信がなくてね」などと返答したのが昔。
特に、この「話馴れしていない」というのが、対人関係におく手の人の、
一つの悪循環によるものだったりします。
人と話をする機会を避けるので、話の妙味、流れの捉え方、
相手の意図など何を考えているかということに
思いを巡らす察知力が育っていないからです。
そういう人でも、少しづつ、人に慣れて、人生経験を積んでいくうちに、
人づきあいが苦手だったその理由が緩和され、察知力が育ち、会話の面白味も
わかってくるものです。人によっては、孤独を愛するという性格もあります。
そういう人は、コミュ障とは言われないのかな。

そういう人たちが大半だと思うのですけれど、
今はコミュ障というレッテルがはられ、カテゴライズされるものなのですか。
いやなものですねー、「ちょっと他人を信用できないんだよね」
「話がへただからさ」レベルで済む人が多いのではないのかな。
コミュ障という言葉によって、
差別を感じます。コミュニケーションに長けた外向的な人だけが優性種で、
そうじゃない人は劣性種扱いというような。
そういったようなコミュニケーションが苦手か得意かは
コミュ障のような言葉を使って区別しなくていい事柄だと思います。

そういった人の性格などでもなんでも言葉を当てはめて「仕分け」すれば幸せになるものでもない。
逆に無理やりはっきりさせて、「あなたはこっち、わたしはあっち」扱いすることで不幸になる。

新しい概念に新しい言葉がずばっとハマってすっきしたり視野が広くなったりすることがあります。
でも、なんでもかんでもそうすればいいってものじゃない。

親しき仲にも礼儀ありとはよくいったもので、
人との付き合いでも言ってはいけないこととかあるじゃないですか、
それを言っちゃお終いよ、という、絶交につながる決定的な一言だとかあります。
あれといっしょで、それを「仕分け」しちゃ、人間関係の暖かみや連帯感を持つうえで
やっかいになるものがある。それが、コミュ障だと思います。
つまり、人をつかまえて、あなたはコミュ障です、などと仕分けするなどというのは、
人の尊厳からしても、愚かではないかと思います。

本当に、病気としての重いコミュニケーション障害は別だとは思いますけどね…。
そういう人は、心理療法士の方などの助けが必要なのでしょう。

軽い意味で、コミュ障などとは言わない方がいいです。
新しい言葉だからと、飛びつくように使って、自分の優越を確かめたり、
自分を卑下してみたりするのは、まだまだ心の成長途上の人だよなぁと、
30代を過ぎた人はみるでしょう。

とにかく、人とコミュニケーションするのが苦手で、コンプレックスを持っている人を
追い込むなということですね。
僕も人見知りですからね、まぁ、馴れるとよくしゃべったりしますけども。

コミュ障という言葉で、不当に生きづらさを産むむことはないです。
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