読書。
『一億総ツッコミ時代』 槙田雄司
を読んだ。
著者の槙田さんは、マキタスポーツという名前で芸能活動をやっていらっしゃる方です、
ご存知の方も多いでしょう。
お笑いブームを経て、いまやお笑い供給過多になっている時代。
一般人までがお笑いの感覚を身につけ、あれやこれやとツッコミを
いれてばかりの世の中になっている。
「そんな世の中は窮屈で生きづらくないか」
そういう見地から、ツッコミが蔓延している世の中を転換するべく、
より生きやすい世の中にするベく、
警鐘を鳴らし、新しいスタイルを示唆するのが本書です。
読みやすくわかりやすく、各章、各節ごとの情報量(中身)の
確かさを頭に入れる気持ち良さがあり、
その情報の持っている価値を考えてみるのも面白い本です。
面白い、といっても、自分を見直す部分が少なからずあるので、
苦みというものがあります。
それはコーヒーのようなもので、苦みあっての美味しさに通じる
味を持つ文章だと思いました。
ちょっとネタバレになりますが、
「ボケ」や「ベタ」な生き方こそが、本当に豊かな生き方だと
論じているのです。読んでみると、そうだよなぁと思いますよ。
ツッコミという息苦しさというものがあります。
合理性原理主義とでも言いたいくらい、
世の中、合理的なものを尺度にツッコミをいれますけれど、
そうじゃなくて整理整頓のできていないような非合理的なものの価値に
スポットライトを当てている。
臨床心理学者の河合隼雄さんは、「合理的なものは心に良くない」と言いましたが、
そこに通じるものが、槙田さんのボケの価値を復古させようとする思想に
表れていたりします。
また、ツッコミをいれること、パーティーション(仕切り)を区切ってその枠の中から
自分ははみ出さないことばかりに気をつけて生きることは、
実は自分を守ってばかりの防御過ぎる姿勢だということも解き明かしています。
どんどんツッコミをいれて、ちょっとした失敗すら指摘して、閉塞感という
身動きのできない空気を生んでいるようにも見えるとも論じている。
つまり、行き過ぎたツッコミというものは、めくじらをたて、
あらをさがし、相手の弱点を突いて自分を有利にすると言う論法なのです。
そんなイヤな行為が笑いの衣をまとっているがために、
笑いを取れるんだという小さな利己心がツッコミを行わせる。
笑いというものは確かに愉快でスカッとするかもしれないですが、
もはやそこには笑いのバブルが生じているかもしれない。
笑いを求める気持ちが行き過ぎているんです。
そこまで他人を笑わなくてもいいんじゃないかな、と
読んでいても感じました。
また、これは、芸能人のファンに対してですが、
「自分たちがいてあげなきゃ」という視線を持っていることが、
傲慢な見方かもしれないってマキタさんは論じているんです。
アイドルが例でしたけど、なんとか手助けしてあげたいと感情移入して見る行為も随分傲慢だ、と。
なるほどなぁと読んでいます。
本谷有希子さんも、舞台クレイジーハニーでそのようなことを題材にしていました。
今の時代、そういったモンスターが見える化されてきているところなんだと思います。
僕もそういうところは気をつけたいな、と振り返りながら考えたりしました。
そんなわけで、芸人さんが書いた本だとあなどってはいけない、真っ当で、
寛容さのある警句が並んだ本です。
一読の価値ありますよ。面白かったです。
『一億総ツッコミ時代』 槙田雄司
を読んだ。
著者の槙田さんは、マキタスポーツという名前で芸能活動をやっていらっしゃる方です、
ご存知の方も多いでしょう。
お笑いブームを経て、いまやお笑い供給過多になっている時代。
一般人までがお笑いの感覚を身につけ、あれやこれやとツッコミを
いれてばかりの世の中になっている。
「そんな世の中は窮屈で生きづらくないか」
そういう見地から、ツッコミが蔓延している世の中を転換するべく、
より生きやすい世の中にするベく、
警鐘を鳴らし、新しいスタイルを示唆するのが本書です。
読みやすくわかりやすく、各章、各節ごとの情報量(中身)の
確かさを頭に入れる気持ち良さがあり、
その情報の持っている価値を考えてみるのも面白い本です。
面白い、といっても、自分を見直す部分が少なからずあるので、
苦みというものがあります。
それはコーヒーのようなもので、苦みあっての美味しさに通じる
味を持つ文章だと思いました。
ちょっとネタバレになりますが、
「ボケ」や「ベタ」な生き方こそが、本当に豊かな生き方だと
論じているのです。読んでみると、そうだよなぁと思いますよ。
ツッコミという息苦しさというものがあります。
合理性原理主義とでも言いたいくらい、
世の中、合理的なものを尺度にツッコミをいれますけれど、
そうじゃなくて整理整頓のできていないような非合理的なものの価値に
スポットライトを当てている。
臨床心理学者の河合隼雄さんは、「合理的なものは心に良くない」と言いましたが、
そこに通じるものが、槙田さんのボケの価値を復古させようとする思想に
表れていたりします。
また、ツッコミをいれること、パーティーション(仕切り)を区切ってその枠の中から
自分ははみ出さないことばかりに気をつけて生きることは、
実は自分を守ってばかりの防御過ぎる姿勢だということも解き明かしています。
どんどんツッコミをいれて、ちょっとした失敗すら指摘して、閉塞感という
身動きのできない空気を生んでいるようにも見えるとも論じている。
つまり、行き過ぎたツッコミというものは、めくじらをたて、
あらをさがし、相手の弱点を突いて自分を有利にすると言う論法なのです。
そんなイヤな行為が笑いの衣をまとっているがために、
笑いを取れるんだという小さな利己心がツッコミを行わせる。
笑いというものは確かに愉快でスカッとするかもしれないですが、
もはやそこには笑いのバブルが生じているかもしれない。
笑いを求める気持ちが行き過ぎているんです。
そこまで他人を笑わなくてもいいんじゃないかな、と
読んでいても感じました。
また、これは、芸能人のファンに対してですが、
「自分たちがいてあげなきゃ」という視線を持っていることが、
傲慢な見方かもしれないってマキタさんは論じているんです。
アイドルが例でしたけど、なんとか手助けしてあげたいと感情移入して見る行為も随分傲慢だ、と。
なるほどなぁと読んでいます。
本谷有希子さんも、舞台クレイジーハニーでそのようなことを題材にしていました。
今の時代、そういったモンスターが見える化されてきているところなんだと思います。
僕もそういうところは気をつけたいな、と振り返りながら考えたりしました。
そんなわけで、芸人さんが書いた本だとあなどってはいけない、真っ当で、
寛容さのある警句が並んだ本です。
一読の価値ありますよ。面白かったです。