Fish On The Boat

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『言葉と無意識』

2015-08-29 15:29:29 | 読書。
読書。
『言葉と無意識』 丸山圭三郎
を読んだ。

第一章が難しかったけれど第二章からついていけました。なんとか。
意識の深層に、制度や秩序を超えて流動的に動く力があるのではないか、
それは従来の政治学が捉えられない目に見えない
「政治的なもの」があるかもってところが
東浩紀さんの『一般意志2.0』に繋がったりもした。

しかし、総じて、この本は言語学者で構造主義の父と呼ばれる
ソシュールを中心にした言語論です。
それもチョムスキーなどが扱う表層の言語論ではなくて、
言葉の生まれる深淵までをも覗きみるタイプの言語学のやり方です。

表層の言葉、すなわちぼくらが口にしたり書いたりして、
意識に上らせて使っているタイプの言葉を「ラング」といい、
表層に行くまでの、もごもごしたかたまりのような、
意味をあらわす言語の種をふくんだもの、
わかりやすくいえば無意識の中にあるような言語的なものを
「ランガージュ」と名付けて区別していました。
この「ランガージュ」は厳密には意識上にもあるんですよね。
一つの言葉の意味するものの周りを漂う、
雰囲気みたいなものがきっと「ランガージュ」だと思います。

このランガージュという考えを受けたうえで、
著者は、フロイトやユングの精神分析の話にも移っていきます。
本のタイトルにも「無意識」という言葉がはいっているくらいですから。
それで、でてきました、無意識の意識化の話です。
このブログの常連さんならば「読んだことがあるかも」
と思ってくださる方もいらっしゃるでしょうけれども、
かつてユングの本を読んだときにそこから読み取った考えが
無意識の意識化でした。

無意識を意識化していくことによって、
日常生活や幼少期に受けてきた抑圧から、
自らを解放することができるのではないか、という考えです。
そうすることで、ストレスなどの多い現代において、
精神面で病んでしまうことが減るように、
もっと言えば、病んでしまった心が癒えるように、とする考えです。

本書においては、
まず、カタルシスにおける無意識の意識化について述べられます。
演劇や文学、映画などに触れることで、その悲劇的な内容にもかかわらず、
そのクライマックスでサーっと気持ちが浄化される。
それは、無意識にあって言語化や意識化をされないでいたものが、
外部に表現されたものによって意識上に汲みあげられたことによる
意識化があったという図式になります。
そして、さらに深い意識化でいえば、昇華があげられていました。
昇華の考えはそれまでの僕のよりも幾分クリアでした。
たとえば、内部にマグマのようにある性欲動というものを、
性的な形ではなく、代表的な形では、
作品作りなどの創作的なもので外部に出すという意識化を昇華と呼び、
無意識の意識化のやり方においても、よりダイナミックなものだとされている。
こういった行いによって、病的になりがちな現代で、
心の平静を少しでも手に入れることができるのではないかと思われるのです。

それにしても、30年近く前の本だけれど、
その高い知性の人が(東大文学部卒業で中央大学教授など歴任。故人)
結論付けた考えを今のおいらも独自に育てたアイデアとして
(ユングで気づいたわけだけど)持っているというのは、
おいらのアタマもそんなに悪いもんじゃないぞと思わせられることでした。
卑屈になることないんだよね。きっと多くの人がそうだろうと思います。
卑屈になってちゃ、アタマもよく働きません。

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