読書。
『採用基準』 伊賀泰代
を読んだ。
コンサルタントファーム・マッキンゼーの採用マネージャーだった著者が、
地頭より論理的思考力より大切だと考えているものを教えてくれます。
それはいったい何なのか?
答えはリーダーシップでした。
ここで「なんだ、リーダーシップか」と思ったひとは、
日本の従来のリーダシップ観に毒されているひとです。
ワンマンなイメージであったり、雑用係をやらされるイメージだったり、
「リーダーは組織に1人いればよい」と考えたり、
調整役だと思われたり、などなどは、
日本的なリーダー観なのでした。
目標を掲げ、先頭を走り、決断し、コミュニケーションをとること。
それら4つが、リーダーシップの大きなポイントなのですが、
その詳細についてはここでは紹介せず、本書を読むことをおすすめします。
なんていったって、この本に裏タイトルをつけるならば、
『リーダーシップ論』とでもいいたくなるくらい、
おおきくページを割いて、リーダーシップについて説明してくれているのです。
また、序盤に書かれていた、「考えること」と「正解を探すこと」の違いについては、
そうだ、そのとおりだ!と教えられる内容でした。
問題をふっかけられると、
きっとその問題には正解があるものと思いこんで、
答えを探す的な思考に陥ることって多いかもしれない。
それでひとつ答えを見つけて「これで合ってますよね?」と返してしまう。
「では問題です!」と言われるようなものではそうなる。
ぼくの場合、自分で問題を見つけたケースではそうならないのですが。
人から問題をふっかけられた場合や、
もとからある問題に取り掛かるよう言われると、
そこにはひとつの正解が存在しているように心から勘違いしてしまうことが多い。
そこには何か心理的誤謬があるような気がする。
なぜって、まず安直ではあるけれど、
幼少時、学生時を思い浮かべるとわかることがありますよね。
親や教師の問う「問題」は子どものあたまを試すものが多い。
「2かける5は?」「1582年は何があった年?」という、
正解のあることを質問して答えさせるので、
答える方の頭は正解を探す思考方法になる。
そして、そういった正解を探す思考方法って、
切迫感があり視野が狭くなることに似ていて、
考えが膨らむという方向へはまず行かない。
だから、「正解を探す思考」というのは、
「考える」というものとはちょっと違うということになる。
一方、「考える」ときって問題となることすら自分で見つけた場合、
必然的というくらいにそうなる。
だって、その問題さえ新発見なので、
答えがないことはわかっているというか靄に隠れて見えないから。
なので五里霧中から始まっても正解を探すのとは違って、
ちょっと気楽な感じで伸び伸びと「考える」。
そうつまり、「正解を探す」というのは、
軍隊的というかロボット的というかだし、
さらに枠からはみ出ることは絶対にないです。
他方、「考える」ほうは自由気ままで開拓していく感じで、
肩の凝らない楽しさすらある場合があって、
枠からはみ出たって良いしそれで誰にも怒られない。
そういう「正解を探す」思考と、「考える」思考の違いがわかれば、
「考える」場面で「正解を探す」という誤謬を減らすことができないかなあ。
心理的に刷り込まれているのは、
「正解を探し」て合っている時に褒められてその心理、
もっと言えば脳の回路が強化されたからで、
なかなか覆すのは難しいかも。
他者からの質問に、他者にはなにか意図があって、
その意図をくんで期待にこたえたいという心理が「正解を探」させるわけです。
あ、そうか、そこにも「空気を読む」だとか「察する」だとかの、
特有の日本文化による日本人の心理があるのかもしれない。
そういう意味じゃ、哲学ってすたれてる場合じゃないよなあ。
ぼくが以前面接で経済学をやったと言ったら
「経済学って経営学よりも役に立たないよね」なんて言われて、
「いや、考える訓練になったと思います」と答えたんだけれど、
それだよね、大事なのは考えること。
ぼくが学生の時分には「哲学はもう死んだ」
みたいなことが言われていたような気がしたけれど、
ヨーロッパじゃやっぱり若い人もちゃんと哲学をやってる文化がある
っていうのを読んだことがあるし、
日本人がお金儲けにばかり走るチャラいサルとしてだけじゃ生き残れないなら、
やはり哲学したらと思う。
お金儲けのうまさとその気質については、
江戸時代のひとたちの時代から受け継がれてきているという話もあったような。
学者さんだけ頭を使って、町民はあたまからっぽだったんだろうか。
そういうことを言うぼくも、基本的にあたまからっぽ型人間なんですけどね。
あたまがからっぽ型の人間はクリエイティブなことに向いていると言われていましたが、
ぼくはなんとなくそれには疑問を持っています。
たしかにあたまをからっぽにしてそれから考えて、
という緩急は効果的なような気がするのだけれど。
話は戻るけれど、話がそれていく「雑談」というものにこそ、
「考える」思考法の修練の要素があるように思います。
とくにぼくみたいな、へんにまじめなところのある人は、
そういう雑談から不真面目さを学んで、
そうやって枠のはみ出し方を知っていくのがよいのかもしれない。
それていく雑談を紡いでいくには「考える」ことが大いに関係しているでしょ。
それていく会話を成り立たせるのは「考える」ことがあってこそ。
脱線だってじつはクリエイティブなものじゃないですかねえ。
「雑談の醍醐味は適度な脱線にある」。これでどうだろう?
それと、リーダーシップに話を戻すと、
「リーダーシップのない人に成果目標を与えると、
その人は結果を出すために無謀な方法に頼ります。
プレーヤーとしての自分の成功体験をメンバーに押しつけたり、
根性論や精神論で乗り切ろうとする人もいます。」
との一文がありました。
ぼくはリーダーシップの強い人間ではないけど、ここまでじゃないな。
また、「和を持って尊しとなす」は前の職場で実践しようとしてきたことだけれど、
それって成果をあげるためには真逆の考え方だということでした。
リーダーシップを発揮してこそ成果はあげられるそうだ。
和を尊ぶのは、事なかれ主義だそうで、あちゃーって感じ。
疲れない方を選んでいたというのは自覚がある。
でも、殺伐としないでも仕事はできるし、
楽しさが仕事の中にあったっていいじゃない、とも思うのですよ。
最後に、感じたことを。
このあいだ安倍総理が「一億総活躍社会」というスローガンを掲げましたが、
いまいち何を言っているのかわからないなんてマスコミで書かれていたりもしました。
「一億総活躍社会」は「一億がみんなリーダーシップを発揮する社会」
という方向に帰着させてから方針を決めるがよろしいのではないか。
リーダーシップの大事さについては本書を読むといいです。
重ねて言いますが、日本人のもつ従来のリーダーシップ観は、
奇形というか、稚拙であることもわかります。
「一億がみんなリーダーシップを発揮する社会」は民主的な社会だと思うよ。
まあまずは、糸井重里さんの言葉を拝借することになりますが、
「じぶんのリーダーはじぶんです」として、
そこからリーダーシップを発揮ししてくといいのかもしれないです。
というわけで、長くなりましたが、非常によい本でした。
問題解決能力の、構築的能力もぼくにはまだまだ足りないなとも痛感。
小説を書くのにも必要な能力です。
『採用基準』 伊賀泰代
を読んだ。
コンサルタントファーム・マッキンゼーの採用マネージャーだった著者が、
地頭より論理的思考力より大切だと考えているものを教えてくれます。
それはいったい何なのか?
答えはリーダーシップでした。
ここで「なんだ、リーダーシップか」と思ったひとは、
日本の従来のリーダシップ観に毒されているひとです。
ワンマンなイメージであったり、雑用係をやらされるイメージだったり、
「リーダーは組織に1人いればよい」と考えたり、
調整役だと思われたり、などなどは、
日本的なリーダー観なのでした。
目標を掲げ、先頭を走り、決断し、コミュニケーションをとること。
それら4つが、リーダーシップの大きなポイントなのですが、
その詳細についてはここでは紹介せず、本書を読むことをおすすめします。
なんていったって、この本に裏タイトルをつけるならば、
『リーダーシップ論』とでもいいたくなるくらい、
おおきくページを割いて、リーダーシップについて説明してくれているのです。
また、序盤に書かれていた、「考えること」と「正解を探すこと」の違いについては、
そうだ、そのとおりだ!と教えられる内容でした。
問題をふっかけられると、
きっとその問題には正解があるものと思いこんで、
答えを探す的な思考に陥ることって多いかもしれない。
それでひとつ答えを見つけて「これで合ってますよね?」と返してしまう。
「では問題です!」と言われるようなものではそうなる。
ぼくの場合、自分で問題を見つけたケースではそうならないのですが。
人から問題をふっかけられた場合や、
もとからある問題に取り掛かるよう言われると、
そこにはひとつの正解が存在しているように心から勘違いしてしまうことが多い。
そこには何か心理的誤謬があるような気がする。
なぜって、まず安直ではあるけれど、
幼少時、学生時を思い浮かべるとわかることがありますよね。
親や教師の問う「問題」は子どものあたまを試すものが多い。
「2かける5は?」「1582年は何があった年?」という、
正解のあることを質問して答えさせるので、
答える方の頭は正解を探す思考方法になる。
そして、そういった正解を探す思考方法って、
切迫感があり視野が狭くなることに似ていて、
考えが膨らむという方向へはまず行かない。
だから、「正解を探す思考」というのは、
「考える」というものとはちょっと違うということになる。
一方、「考える」ときって問題となることすら自分で見つけた場合、
必然的というくらいにそうなる。
だって、その問題さえ新発見なので、
答えがないことはわかっているというか靄に隠れて見えないから。
なので五里霧中から始まっても正解を探すのとは違って、
ちょっと気楽な感じで伸び伸びと「考える」。
そうつまり、「正解を探す」というのは、
軍隊的というかロボット的というかだし、
さらに枠からはみ出ることは絶対にないです。
他方、「考える」ほうは自由気ままで開拓していく感じで、
肩の凝らない楽しさすらある場合があって、
枠からはみ出たって良いしそれで誰にも怒られない。
そういう「正解を探す」思考と、「考える」思考の違いがわかれば、
「考える」場面で「正解を探す」という誤謬を減らすことができないかなあ。
心理的に刷り込まれているのは、
「正解を探し」て合っている時に褒められてその心理、
もっと言えば脳の回路が強化されたからで、
なかなか覆すのは難しいかも。
他者からの質問に、他者にはなにか意図があって、
その意図をくんで期待にこたえたいという心理が「正解を探」させるわけです。
あ、そうか、そこにも「空気を読む」だとか「察する」だとかの、
特有の日本文化による日本人の心理があるのかもしれない。
そういう意味じゃ、哲学ってすたれてる場合じゃないよなあ。
ぼくが以前面接で経済学をやったと言ったら
「経済学って経営学よりも役に立たないよね」なんて言われて、
「いや、考える訓練になったと思います」と答えたんだけれど、
それだよね、大事なのは考えること。
ぼくが学生の時分には「哲学はもう死んだ」
みたいなことが言われていたような気がしたけれど、
ヨーロッパじゃやっぱり若い人もちゃんと哲学をやってる文化がある
っていうのを読んだことがあるし、
日本人がお金儲けにばかり走るチャラいサルとしてだけじゃ生き残れないなら、
やはり哲学したらと思う。
お金儲けのうまさとその気質については、
江戸時代のひとたちの時代から受け継がれてきているという話もあったような。
学者さんだけ頭を使って、町民はあたまからっぽだったんだろうか。
そういうことを言うぼくも、基本的にあたまからっぽ型人間なんですけどね。
あたまがからっぽ型の人間はクリエイティブなことに向いていると言われていましたが、
ぼくはなんとなくそれには疑問を持っています。
たしかにあたまをからっぽにしてそれから考えて、
という緩急は効果的なような気がするのだけれど。
話は戻るけれど、話がそれていく「雑談」というものにこそ、
「考える」思考法の修練の要素があるように思います。
とくにぼくみたいな、へんにまじめなところのある人は、
そういう雑談から不真面目さを学んで、
そうやって枠のはみ出し方を知っていくのがよいのかもしれない。
それていく雑談を紡いでいくには「考える」ことが大いに関係しているでしょ。
それていく会話を成り立たせるのは「考える」ことがあってこそ。
脱線だってじつはクリエイティブなものじゃないですかねえ。
「雑談の醍醐味は適度な脱線にある」。これでどうだろう?
それと、リーダーシップに話を戻すと、
「リーダーシップのない人に成果目標を与えると、
その人は結果を出すために無謀な方法に頼ります。
プレーヤーとしての自分の成功体験をメンバーに押しつけたり、
根性論や精神論で乗り切ろうとする人もいます。」
との一文がありました。
ぼくはリーダーシップの強い人間ではないけど、ここまでじゃないな。
また、「和を持って尊しとなす」は前の職場で実践しようとしてきたことだけれど、
それって成果をあげるためには真逆の考え方だということでした。
リーダーシップを発揮してこそ成果はあげられるそうだ。
和を尊ぶのは、事なかれ主義だそうで、あちゃーって感じ。
疲れない方を選んでいたというのは自覚がある。
でも、殺伐としないでも仕事はできるし、
楽しさが仕事の中にあったっていいじゃない、とも思うのですよ。
最後に、感じたことを。
このあいだ安倍総理が「一億総活躍社会」というスローガンを掲げましたが、
いまいち何を言っているのかわからないなんてマスコミで書かれていたりもしました。
「一億総活躍社会」は「一億がみんなリーダーシップを発揮する社会」
という方向に帰着させてから方針を決めるがよろしいのではないか。
リーダーシップの大事さについては本書を読むといいです。
重ねて言いますが、日本人のもつ従来のリーダーシップ観は、
奇形というか、稚拙であることもわかります。
「一億がみんなリーダーシップを発揮する社会」は民主的な社会だと思うよ。
まあまずは、糸井重里さんの言葉を拝借することになりますが、
「じぶんのリーダーはじぶんです」として、
そこからリーダーシップを発揮ししてくといいのかもしれないです。
というわけで、長くなりましたが、非常によい本でした。
問題解決能力の、構築的能力もぼくにはまだまだ足りないなとも痛感。
小説を書くのにも必要な能力です。