Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

『幸福論』

2016-03-21 20:31:02 | 読書。
読書。
『幸福論』 アラン 村井章子 訳
を読んだ。

昔、ヘルマン・ヘッセの『幸福論』を読んだことがあり、
そこから掴んだ幸福というイメージを、
ぼくなりに消化して幸福を定義していました
(というか、書いてあったわけですが)。
それは「没時間性」でした。
時間を忘れて打ち込んだときの幸せ感こそが幸福である、
というものでした。

そういうわけで、
それ以来、幸福を論じる種類の本を避けていたのです、
どうせ同じことを書いているかするんだろう、と思って。
しかし、このアランの『幸福論』はずいぶん著名な作品だと知って、
いつか読もうかなと思っていたら、
個性あるおもしろい体裁の本としてこの村井章子さん訳のが出たんです。
それで買って、長いこと本棚に横たわり、そして今回読みました。
93章からなり、各章2~4ページくらいのボリュームです。

でもって、たとえば、不機嫌と退屈と不幸の関連性などが
何章かにまたがって書かれていて、そうだな、そうだな、
といちいち腑に落ちる感じで読めるのです。
うちの親父のことをドンピシャで言い当てている、と思いながら。
まあ、それはいいですが。

しかし、アランの言い分に異を唱えたくなるところも間々あったのです。
例を出すと、戦争抑止とか人の気持ちを考えることの大事さだとかの観点から、
想像力を強くしていこうっていう風潮ってあるじゃないですか。
でも、所変われば品変わるじゃないけれど、
想像力は不機嫌の源でもあり、
恐怖や不安を呼ぶものだとする本書でのアランの主張もある。

9.11テロのときに、
死んでいった人たちひとりひとりに
人生があったことを考えようみたいなことを言った人がいて、
ぼくもそうだよなあと深く感じたんだけれど、
そうやって自分の感度をあげて、
木の枝を一つ切ることにも痛みを感じるような感性でもって
生きるべきではない、とこれまた本書の考え方。

アランの主張していた時期は第二次大戦前だから、
感性の話には深みがないと思えもするのだけれど、
これはこれで第一次大戦の傷から立ちあがるのに
必要な考え方だったとも考えられるのです。

何が言いたいかというと、
時世や状況や場所によって考え方って
それぞれになるなあということです。
“想像力”にしても、“感性”にしても、
その捉えかたや重きを置くかどうかも変わってきます。

ひとって、
けっこう自分の核にしたい考え方や視点に
絶対性を求めがちなんだけれど、
考え方ってものも流動的っていうか可変的っていうか
そういうものなんだっていう柔らかい捉え方で、
絶対視せず留保つきで懐にいれておくのがいいのではないか。
「絶対」が見つかると楽だからそうしてしまうんだと思う。

ブレないことを良しとするでしょう、今って。
でも、硬直しちゃいけないですよね。
ブレないように「軸を持とう」という言葉は
ぼくのイメージでは強すぎて。
「芯を持とう」くらいならまだしっくりくるんですよね。

さて、もう一つ話しますが、
スポーツ選手だとかって
自分を鍛えていいプレーをすることでお金を稼ぎますよね。
そのお金を稼ぐプロセスって、
一般の商売のやり方に比べると、
不器用な稼ぎ方のように感じるんですがどうでしょう。
不器用というか無骨な者の稼ぎ方というような。
見方によっては、
潔癖な状態でお金を稼げるという不思議さがあります。

根回しだとか情に流されないきびしさだとか、
そういったものが商売には必要で、
判断や助言なんてものをする能力よりも
ずっと役に立つものだとアランは『幸福論』で看破している。
お金が欲しければいわゆるそういった汚さを避けないこと。
そして、避けなけないでお金を求め続ければ、手に入ると言う。

こういうのを読むと、
ぼくはもっと厳しくシビアにならないとなあと思うのです。
きっと、自分の潔癖さみたいなものを示さないでいて、
外からそのことについて
あれこれ批判されるのが癇に障るからなんだと思う。
お金を稼ぐにも、
そういった厭味だとか批判などを受ける痛みが必ず付随するんです。
そして、厭味や批判がもっともらしく聞こえて、
お金を稼ぐことが悪いことに思えるように言われても、
それは決して正しいことではなくて、観念的なものなんです。

つまり、
厭味や批判に耐えられる者が、
お金を稼げるひとだと。
厭味や批判なんかは、
お金儲けのために何もしないで
潔癖でいたいひとが放つものですかね。
だからといって、
お金を稼ぐひとが自らを汚くて野蛮で…と卑下することはないし、
そう思いこまされることもない。
思いこまそうとするひとのほうが野蛮かもしれない。

…とアタマでわかったところで、
これらを血や肉にできるかどうか。

最後に、
不機嫌さについて一言。
不機嫌さを振り払う、つまり不幸に陥らないためには、
行動ありきだと書かれています。
考えてもしょうがない、考えよりも行動だ、と。
それはそれでわかるのですけれども、
なんでも他人のせいにしてしまう種類の不機嫌さに対処するには、
そのひとが自分と向き合うことが大切だと思います。
これは、身近にそういうひとがいるぼくが
自ら考えて到達した思考です。

とまあ、書きすぎた感がありますが、
ひとつ本書から短いセンテンスを引用して終わります。

<愛してくれる人のために、
なしうる最善のことは、
自らが幸福になることである。>

いいでしょ、この言葉。

著者 : アラン
日経BP社
発売日 : 2014-07-10

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