Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

しつけにおける子どもと大人の在り様。

2016-03-05 00:09:19 | 考えの切れ端
大半の大人が、わかっていないことをわかっていることとしてものを言う。
もっと考えるべきことだったり、
考えても答えなんてなかなかでなかったり、もしくはなかったり、
どっちを選択するか重い決断をしなければならなかったりするのに。
そういうのは、子どもになめられないことを優先するからなのだろう。

しつけ、教育すること。
それらが大人を変形させる部分はあると思う。
大人自身が小さくまとまらないと、なかなかしつけってできない。
まさにとりあえずの「知恵」「知識」を授けることが多いんじゃないだろうか。

大人が子どもにしつけや注意をすることは、
その子どもが大人になるための基礎部分を固めることで大事だし、
基礎は単純なことだったりもするかもしれないけれど、
大人になれば、その基礎すら疑ってかからねばならなくなる場合も多々ある。
つまり、大人になるまでの、
リミット付きの知恵や知識を処方されていたという部分が見えてきます。

子どもは、ある程度おおきくなったら、
大人がしてくれたしつけや注意は、
自分の行動や思考に付箋をつけてくれた程度のことだと考えて、
考え直せるところは考え直すことをやったほうがいいし、
知的探究心が強ければそうなっていくでしょう。

その段階で、子どもは一時、大人ってウソつきで真実を教えてくれない、
なんて反抗的に思うかもしれないけれど、
ひとが大人となって教育する側に立ち、
しつけをし、注意をしなければならない立場に立たされれば、
途方に暮れた揚げ句にそういう便宜的な考えに行き着いて
しつけをしていることに気づくと思う。

未完成で、不完全で、未熟。
そういう思想や考え方のまま親や教育者、大人にならなければならない。
だからといって引け目を感じながらだと子どもになめられる。
子どもにも教えられながら、
相互に学んでいこうとする空気を共有する大人と子どもだったら、
やりやすいなあとは思う。

よって、大人は人に教えたりしつけたりする立場に立つと変形せざるを得ない。
そのことは大人自身の為にも忘れてはいけないですね。
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