Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

考えの切れ端としての、「憎しみ」との付き合い。

2018-12-08 20:53:42 | 考えの切れ端
利他行動を推奨する言説の帰結が
「そのほうが回りまわって自分の『得』になるのです」という、
やっぱり損得に基づいた考え方だったりするのだけれど、
損得についてはもうしょうがないと思うんですよ。
近視眼的な利己行動は周囲の環境を歪ませるからやめたほうがいいですが、
常に平等・公平として行動するのは無理です。

競争があるかぎり、
損得が行動原理のひとつとして働くことから外れることはないのではないだろうか。
だからといって、損得にがんじがらめになることはないですけどね。

ゆえに、
損得によって憎しみが生まれることがあるとしても、
この社会一般で生きていこうと思っているのならば
(世捨て人にでもなるつもりがないのならば)、
憎しみは捨て去りきれないものだと思う。
でも、付き合い方ではないかな、と。
似た感情に「妬み」がありますが、
ネットの辞書によれば、
<他人を羨ましく思い、その分だけ憎らしいと思う感情>だそう。

僕も憎しみを抱えて生きています。
それも、他人との比較によるものなのかもしれないけれど、
自分をよりつよく見つめてみると、
それよりも理想に向かって進んでいきたいのに
その障壁になっているものやことに対しての原因への憎しみとしての性格が強い。

諦めや我慢が憎しみの感情への緩衝材になりもしますが、
しかし、そこからの変化のためには我慢しないことが必要だったりする。
自分の内に溜めこんでいては何も変わらない。
だからといって憎しみにつき動かされる態で他者へ働きかけることは愚かです。
ある程度憎しみを馴らしつけて働きかけることが大切だと思っています。
馴らしつけることで生まれる、理性的な判断や考えってあるでしょう。

合理化、効率化で、
時間をかけないようにすることが標準的で当り前で美徳だ、
みたいなところって世間にありますが、
憎しみを馴らしつけるにはまとまった時間が必要。
人間って時間的なコストをきちんとかけてこそ、
比較的うまく生きていけるようになるんじゃないかなぁ?

憎しみは猛獣なので、
馴らしつけると言ったって、
完璧に飼い馴らすことはできないでしょう。
だましだまし、なんとか付き合って馴らしつける。
それは、自分も憎しみに慣れていく行為でもあります。
これはあくまで慣れることであり、憎しみに丸めこまれることではないとして。

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