読書。
『思い出のマーニー』 ジョーン・G・ロビンソン 高見浩 訳
を読んだ。
児童文学のくくりに収まりきらない、
深みのあるイギリスのファンタジー小説です。
数年前にスタジオジブリが、
物語の舞台を日本に移してアニメ映画化したのをご存じだと思います。
僕はそれを映画館で観て、
とても感動しまして、原作である本書を購入し、
今回やっと読んだのでした。
子ども時代の孤独、
親や大人のいいなりになることを望まれる環境、
影で行われる大人たちからの隠蔽されたいじめ。
そういった事柄が、
主人公のアンナと不思議な少女マーニーがともに笑いあい、
幸せな時を過ごす背景にあります。
運命は気まぐれに、そして容赦なく振る舞うものです。
でも、アンナとマーニーは非常に不思議なかたちで、
そんな暴君のような運命の外側で幸せな時間を創りだす。
もうそこが、ファンタジーの真骨頂だと思いました。
現実的なお堅い時間感覚や常識とは違うところのものを用いることで、
そういった現実世界で窮屈な思いをする読者たちを癒し、
励ますことができたりする。
アンナは、内側の人間ではなく、外側の人間だ、として、
疎外感を感じている。
他人の輪の中に入ることができないし、
もともとから、そっち側の人間ではないと重く感じている。
そういったマイノリティの味方にもなる本でした。
最後に、本書のこの一句を。
<プレストン夫人と同じく、ペグおばさんもまた、
美味しい、しっかりとした食事の力で治せない心の傷など存在しないと信じていた。>
この文章にはとても共感しました。
僕の場合は主に夕食がそうなのだけれど、
おざなりにしないようにしているのは、
同じように信じているところがあるからです。
というわけですが、
この作品は僕にとって百冊に一冊の僥倖といっていいくらい、
たいへん好きで大切なものなのでした。
映画版で滝涙でしたが、
だいぶ落ち着いて読んだ今回の読書でもうるうるきてしまいました。
『思い出のマーニー』 ジョーン・G・ロビンソン 高見浩 訳
を読んだ。
児童文学のくくりに収まりきらない、
深みのあるイギリスのファンタジー小説です。
数年前にスタジオジブリが、
物語の舞台を日本に移してアニメ映画化したのをご存じだと思います。
僕はそれを映画館で観て、
とても感動しまして、原作である本書を購入し、
今回やっと読んだのでした。
子ども時代の孤独、
親や大人のいいなりになることを望まれる環境、
影で行われる大人たちからの隠蔽されたいじめ。
そういった事柄が、
主人公のアンナと不思議な少女マーニーがともに笑いあい、
幸せな時を過ごす背景にあります。
運命は気まぐれに、そして容赦なく振る舞うものです。
でも、アンナとマーニーは非常に不思議なかたちで、
そんな暴君のような運命の外側で幸せな時間を創りだす。
もうそこが、ファンタジーの真骨頂だと思いました。
現実的なお堅い時間感覚や常識とは違うところのものを用いることで、
そういった現実世界で窮屈な思いをする読者たちを癒し、
励ますことができたりする。
アンナは、内側の人間ではなく、外側の人間だ、として、
疎外感を感じている。
他人の輪の中に入ることができないし、
もともとから、そっち側の人間ではないと重く感じている。
そういったマイノリティの味方にもなる本でした。
最後に、本書のこの一句を。
<プレストン夫人と同じく、ペグおばさんもまた、
美味しい、しっかりとした食事の力で治せない心の傷など存在しないと信じていた。>
この文章にはとても共感しました。
僕の場合は主に夕食がそうなのだけれど、
おざなりにしないようにしているのは、
同じように信じているところがあるからです。
というわけですが、
この作品は僕にとって百冊に一冊の僥倖といっていいくらい、
たいへん好きで大切なものなのでした。
映画版で滝涙でしたが、
だいぶ落ち着いて読んだ今回の読書でもうるうるきてしまいました。