Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

『走ることについて語るときに僕の語ること』

2018-12-21 01:35:39 | 読書。
読書。
『走ることについて語るときに僕の語ること』 村上春樹
を読んだ。

長年マラソンやトライアスロンをやられている
作家・村上春樹さんによるメモワール(回想録、あるいは個人史)。

僕は走ることにまったく興味がないし、
瞬発力もなければ肺活量もないタイプで、
つまりどっちかといえば運動系の人間ではないので
本書のタイトルを見ても長く食指が動かなかったのですが、
いろいろな種類の本を読んでいるうちに、
本書のようなタイプもいいかなと思い、今回手にとってみました。

村上春樹さんは長距離走に向いた人であると自ら言っていて、
長距離走は小説家として長編を書くことによく似ている、と述べている。
仮にその類似性が正しいとしても、
長距離走と長編執筆の両方をよくできるのに相関があるかといえば、
謎だとは思うんですよね。

たとえば、僕なんかは、
子どものころから肉体は比較的まずまずでも
肺活量が学年一容量が小さくて長距離はほんとうに苦手だったし今でもそうだけれど、
「子ども時代に長距離走のできないあなたは、
長編小説なんて書けないし向いてないからやる必要はない」
と決めつけることはできないと思う。

人生の欠損部分は空白地帯であって、
空白地帯はプラスとしてもマイナスとしても決めつけられないものではないだろうか。
つまりは考慮外。
長距離走はわかりやすい例なのかもしれないけれど、
それに代わるなにかに従事するものがあって、
それが小説を書くことに良い相関のあるものだってこともあるだろうし、
「ローマに続く道はこれ一本!」的には考えたくない。

と本書の中ほどまで読んで考えていたら、
次の章で著者は「あくまでこれは個人的な意見で」的なエクスキューズを、
まあまあな量の紙幅を割いてつけていました。

最近思うのだけれど、
村上春樹さんの言葉は、
とても巧みであるがゆえに弱点や脆い点をうまくカモフラージュしたり
斟酌をうながしたり
エクスキューズ付きだったりしながら
ひとつの丸みある結論(あるいは結論ではなくとりあえずの終着点だったりもする)に
繋がっていくタイプ。

それが、
僕みたいな軟弱者(類する人はたくさんいるでしょうけれども)が読んでみれば、
けっして歯切れの良くない部分でさえ、
彼のその言葉の明快さによって鋭く、
そして言葉丸ごとが正鵠を得ているように感じられるものなんですよね。
でも、前述にあるような弱点や脆い点はけっこう怪しいんですよ。

そりゃ、村上春樹さんといえど、
何もかもを見通す大哲学者・大文化人ではないですからね。
大文学者がすべて正しい知を備えた者という、
持ちやすいだろうけれど間違ったイメージが、
ごくふつうの人々のごく一般的である頼りない思考力を軽くいなしてしまって、
彼の言葉はすべて正しいってなっちゃう。
こういうアラではないけれども、
そういった部分が見える人には見えるし、
日ごろそういうのが見えない人にも見える一瞬が訪れたりするものです。
まだほころんでみえる時があるぶん、
不誠実ではないのかなあと思いもして。
そりゃあ、社会におおっぴらにする言葉なんだから、
しゃんとして示さないとという本気の気持ちで書いている。
それはそれで、ゲームの「上手なプレイヤー然」とした構えかなぁ。

ただ、村上春樹さんに限らず、
好きな作家さんや文化人の方たちを妄信してしまう人ってたくさんいると思いますし、
いちいちそこを考えて受け手への誠意を持ちすぎる対処では、
人はついてこないんじゃないかと思いもするわけなんですよね。
スケール感が小さくなるし、
支持とか信奉とかって、過大評価や誤解がつきものなんじゃないかと、
仮定してではありますが僕はそう考えるところってあるんです。
そういうわけで、村上春樹さんのような有名な文学者はどうふるまうか。

だから、この世を社会ゲームというゲームとしてとらえ、
自分たちはプレイヤーだとしてふるまうみたいなポジションでいるとして
村上春樹さんと彼の言葉を考えると、
かっちりは収まらないけど、
ほぼといった態で収まるように見えてくる。

そんな感じなのだから、
受け手の側は、
話半分で聴く姿勢を常に意識の片隅にちょっとでいいから持ったら良いのでは、
と思いもします。
妄信はよくないし、
何かのはずみで妄信に亀裂が生じたときに深刻な恨みが生まれないためにも、
そういう姿勢は少なくとも僕はできるだけ持っていたいと思うのです。

……と、まるで本書の内容に具体的に触れていませんが、
ランナーとしての生活のひとつのケースとして本書は読め、
さらに小説家としての生の部分が垣間見える、
小説を書くことへの忌憚のない語りもあります。

走ることについて興味が無くても、
読書好きの方なら面白く読めてしまうでしょう。
やっぱり文章がうまいから、
どんどん、というようにページを繰る手が止まらなくなります。
散文の書き方の模範にもなるような本でした。


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